第5話「現代知識と戦国の知恵」
朝霧がまだ屋敷の庭を覆っていた。
夜明けとともに動き始める兵士たちの掛け声が、どこか懐かしく聞こえる。
結依は縁側に座り、手元の布袋を整えながら深く息を吐いた。針山の隣には、乾かした薬草の束。
昨夜、篠田から「明朝、官兵衛様の視察に同行せよ」と言われていたが、屋敷の中では日常の仕事も待っていた。
洗濯、裁縫、炊事――そして薬草の仕分け。結依は、視察での学びも念頭に置きつつ、日々の作業を着実にこなしていく。できることを積み重ねるうちに、女中たちの視線も柔らかくなっていった。
「結依殿、これを見てくれぬか」
呼びかけたのは、官兵衛の側近・篠田。 年の頃は二十代半ば、整った顔立ちに穏やかな声。結依が屋敷に来てから何かと気を配ってくれる人物だった。
「薬草の束を分けたいが、これは煎じ薬に使えるのか?」
差し出された青みがかった葉の束を見て、結依は思わず頷いた。
「はい。ドクダミに似ていますが、乾かして粉にしても使えます。熱を下げる作用があります。煮沸しても薬効は変わりません」
「ほう……そうか。医師の者は“毒草”と言っておったが」
篠田が目を丸くする。結依は少し笑って答えた。
「昔から誤解されやすい薬草なんです。戦国の医術書にも“毒と薬は紙一重”と書かれています」
その時、庭の方から声が上がった。
「うわっ……!」
「血が出てるぞ!」
兵士の一人が足を切ったらしい。皆が慌てて水桶を持って駆け寄るが、誰も手を出せない。
結依はすぐに立ち上がった。
「傷を洗わないと、膿んでしまいます。私も手や腕に傷がある場合は、他人の手当てはできません。手当てをする際は、必ず患者ごとに手を洗ってください」
周囲の兵たちは一斉に驚きの声を上げた。
「な、何を言う!水などかけたら毒が入る!」
「女の言うことなど、信用ならぬ!」
彼らの反応は当然だった。消毒の概念がないこの時代では、水で洗うことが“悪化の原因”とされていたのだ。 だが結依は動じなかった。
(違う……。放っておけば感染して命を落とすかもしれない)
迷いながらも、結依は桶の水をすくい、傷口を慎重に洗い流した。血液感染を避けるため、手袋もなくとも手洗いを徹底する。
篠田が兵士を押さえ、他の者を下がらせた。
「やらせてみろ。……官兵衛様がそなたに任せた意味を、俺は見てみたい」
結依は自分のハンカチを裂き、乾燥させた薬草を包んで押し当てた。
「これで炎症が広がるのを防げます。しばらく安静にしてください」
兵士は戸惑いながらも頷く。その様子を見ていた者たちは、静まり返った。
数日後――。 あの兵士の傷が驚くほど早く癒えていると噂になった。結依が手当てした薬が効いたのだ。
屋敷の中で、彼女を見る目が少しずつ変わり始める。
「結依殿、あの薬草……本当に効いたのだな」
篠田が感心したように言う。
「はい。けれど、もっと怖いのは“疑うこと”をやめてしまうことです。昔の常識に縛られると、新しい知恵が生まれませんから」
その言葉に、篠田は小さく笑った。
「……官兵衛様も同じことを仰る。“思考を止めるな”とな」
*
その日の夕刻、官兵衛の視察に同行していた際、熱を出した兵士のために結依が薬を煎じる場面があった。 古参の男が声を荒げる。
「おい、それは毒草ではないか!その匂い……俺は知っておるぞ!」
「毒を盛る気か!」
「この女、怪しいぞ!」
不安と疑念が視察先の空気を包む。
結依はゆっくりと立ち上がった。
「……では、私が飲みます」
静かな声に、皆が息を飲む。篠田が止めようとしたが、結依は首を振った。
「これで、毒でないと分かります」
ためらわず薬碗を口に運ぶと、苦味が喉を通り、体が熱くなる。しかし何も起こらない。
「……大丈夫です。これは解熱と利尿の薬です。毒ではありません」
やがて兵士の熱が引き、顔に血の気が戻る。その瞬間、視察先の空気がふっと緩んだ。
古参の男が深く頭を下げる。
「……無礼を申した。疑うたわけではないが……」
結依は首を横に振った。
「いいえ。疑うことは悪いことではありません。人の命がかかっているなら、慎重であるほうが大事です」
その夜、屋敷の縁側で官兵衛が書を開き、篠田に問いかける。
「――あの娘、恐れておらぬのか」
「恐れていると思います。ただ、それより“誰かを救いたい”という想いが勝っております」
「なるほど……己の正しさを証明するためではなく、救うため、か」
官兵衛は短く笑った。
「面白い。あの娘、人を癒やす才があるな」
少し離れた廊下の影で、結依は偶然耳にして胸の奥が温かくなる。
(この時代でも、私の知識が誰かの役に立つんだ……)
夜風が薬草の香りを運ぶ。遠くで虫の声が響く中、結依はそっと空を見上げた。
「官兵衛様の言葉って……時代が変わっても揺るがない強さがある。私も、ああいう芯のある人間になりたい」
✜この物語はフィクションであり、実際の歴史•政治•人物•世俗•習俗•人物•宗教•国•文化•医療•経済等とは一切関係ありません。




