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第4話「信頼の芽生え」


朝露が竹の葉を濡らし、屋敷の庭に光が差し込む。

炊き出しの煙がゆるやかに立ち上り、味噌と煮干しの香りが風に混ざる。ここで迎える二度目の朝――まだ夢の続きのように、現実感が薄い。


「おはようございます」


思わず口に出た挨拶に、近くにいた兵士たちがわずかに眉を上げる。言葉づかいが違う。ここでは“おはようございます”ではなく、“おはようにござりまする”なのだと、昨日学んだばかりだ。


篠田が兵士たちに目配せをし、落ち着いた声で告げた。


「そなたは異国より来た者ゆえ、言葉は気にするでない」


兵士たちは納得したように頷き、緊張が解けた。結依はほっと胸をなでおろす。




「……結依殿、朝の支度は済んでおるか」


穏やかな声で話しかけてきたのは、官兵衛の側近、篠田。昨日、初めてまともに言葉を交わした相手だ。

兵士たちが彼を「篠田殿」と呼んでいたのを耳にしていた。年は二十歳前後だろうか。凛とした物腰ながら、どこか柔らかな気配を纏っている。


「はい……あ、いえ、はいでございます」


慣れない口調に、つい噛んでしまう。

篠田はくすりと笑い、竹籠を差し出した。中には包帯や薬草、布切れが入っている。


「負傷した兵がおりましてな。官兵衛様より、そなたに診てもらえと」


「私に……ですか?」


驚きに声が上ずる。薬局事務とはいえ、少しは薬や衛生の知識がある。けれど医療行為は、責任が重すぎる。


篠田が静かに言った。


「怖がるな。そなたは“知る者”だ。戦の場で知ることは、何よりの力となる」


その言葉が、不思議と胸に落ちた。

――知ることは、力。

現代でも、何度もそう信じて学んできた。違う時代でも、通じるものがあるのだと思うと、少し勇気が湧いた。




怪我をした兵の腕を布で巻き、井戸の水で洗い流す。


「うっ……!」


痛みに声を上げる兵に、結依は慌てて声をかけた。


「傷は浅いです。しかし、必ず手を洗い、清潔にしないと膿んでしまいます。……ごめんなさい、少し我慢してくださいませ」


布の清潔さが命を左右する。現代では当たり前のことでも、ここでは命綱だ。

結依は手や腕に切り傷がある場合は他人に触れないこと、患者ごとに手を洗うことも忘れない。血液からの感染は、糞尿以上に危険だ――そう心の中で確認しながら作業を続けた。




篠田が感心したように呟く。


「見事な手並みだな。まるで薬師のようだ」


「そんな……私、薬局で働いていただけなんです」


「その働きが、ここでは人を救うのだ」


その一言で、心の奥が温かくなる。

昨日までの結依は、ただ“生かされている”だけの存在だった。

でも今は、“誰かの役に立てる”という感覚が、確かにあった。




昼下がり。竹林の影で官兵衛が静かに弓を構えていた。

結依の姿に気づくと、手を止めることなく声をかける。


「そなたの手当、見事であったと聞いたぞ」


「いえ……大したことでは」


「人の命を軽んじるな。戦において、手当は武よりも重い時がある」


そう言って、官兵衛は弦を引く。張り詰めた空気が一瞬で緊張に変わり、矢が放たれる。

的の中心を射抜く音が響くと、彼は短く息を吐いた。


「戦は、人の心で勝つものだ。恐れを制し、知恵を磨け。そなたは、少しずつ学んでおるな」


その声には、わずかな笑みが混ざっていた。

叱咤でも命令でもない。まるで弟子に向けるような穏やかな眼差し。

結依の胸の奥が、じんわりと熱を帯びる。




夕刻。庭の端で篠田と並んで洗濯をしていた。

桶の水面に映る夕焼けが赤く染まり、遠くでは兵たちの笑い声が響く。


「……官兵衛様、いつもああして人を見ておられるのですね」


「はい。おぬしも気づいておろうが、あの方はすべてを観ておられる」


「全部……?」


「弱さも、迷いも、そして、そこから立ち上がる力も、だ」


篠田の声には深い敬意があった。

その口調を聞きながら、結依は改めて思う。


――この人たちは、命を懸けて生きている。

――私も、ここで生きるのなら、学び、強くならなければ。


洗濯物を絞る手に力がこもる。

その手を見て、篠田が少し笑った。


「その顔、まるで戦に出る侍のようだ」


「えっ、そ、そんな……!」


慌てて笑うと、二人の間にふっと柔らかな風が流れた。

いつのまにか、恐怖や不安よりも、“信頼”という言葉が近くにあった。




夜。灯火の明かりの下で、結依は小さな帳面を広げた。

そこには、今日見つけた薬草や布の管理法を書き留めている。現代の知識と、この時代の知恵を少しずつ組み合わせていく作業。


外から篠田の声がした。


「結依殿。官兵衛様より、明朝の視察に同行せよとの仰せだ」


「えっ、私も……?」


「はい。どうやら、おぬしを認められたようだ」


胸の奥に広がる小さな驚きと喜び。

この世界で、初めて誰かに“認められた”気がした。

灯を見つめながら、結依は小さく呟く。


「……戦国の荒波の中でも、頼れる人がいる」


夜風が障子を鳴らす音が、静かに響いた。

それは、新しい信頼の芽が、確かに息づき始めた音だった。




✜この物語はフィクションであり、実際の歴史•政治•人物•世俗•習俗•人物•宗教•国•文化•医療•経済等とは一切関係ありません。


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