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第11話「邸での手応え」


冬の朝、邸内は澄んだ冷気に包まれていた。

村から帰還した結衣は、官兵衛から「しばらく休め」と告げられ、数日間の休暇を取っていた。

夜通し馬を駆け、疲労も溜まっていたが、屋敷内での家事の手伝いや兵の妻たちとの交流で、静かに心を整えていた。


朝の光が差し込む廊下で、結衣は兵士の妻や子どもたちと軽く挨拶を交わす。

彼女たちは、普段は見慣れぬ異国の娘に戸惑いながらも、自然と笑顔を向けてくれる。

「お手伝いに来てくださりありがとうございます」と、糧食の整理や洗濯を手伝う妻たちに結衣は柔らかく微笑む。短い時間ではあるが、この交流が、邸内の空気をほんの少し温めるのを感じた。



休暇を終えた翌日、結衣はそろばんと帳簿を手に、屋敷内の物資や兵糧の管理に取りかかる。

出陣や任務で消耗する物資の計算は、単なる数字合わせではない。無駄を省き、必要な箇所には惜しみなく投資する。

そのメリハリを大切にするのが、結衣の「人に投資するお金の使い方」だった。

普段は質素に、しかし兵や士気、命に関わるところには惜しまない。たとえば繰り返し使える食器や道具は可能な限り再利用し、出陣の際は験担ぎも兼ねて下着や兵糧に工夫を施す。


そろばんの珠を弾く音が、静かな邸内に響く。篠田は廊下の端で結衣の様子を見守った。しばらくの沈黙の後、彼は低く口を開く。


「……結衣(ゆい)、よく考えておるな。普段は節約でも、必要な時に人へ金を回す。無駄がない。」


結衣は顔を上げて微笑む。


「はい。繰り返し使えるものは使います。でも、人や士気に関わることには惜しみません。それが少しでも兵や村を守ることにつながると思います。」


篠田はそろばんの珠を目で追いながら、静かに頷いた。


「なるほど……計算も正確で無駄がない。結衣(ゆい)は、元の世界でもこうして人を守る役目をしていたのか?」


結衣は小さく肩をすくめる。


「そう……かもしれません。でも、ここで学ぶことも多いです。人を動かすこと、命を守ること、工夫して備えること……」


篠田は軽く息を吐き、結衣の隣でそろばんの音に耳を澄ませる。言葉は少ないが、その佇まいには安心感があった。


「……そなたと一緒に作業していると、不思議と落ち着くな。目の前のことに集中しているおぬしを見ていると、こちらも自然に心が整う。」


結衣は驚いたように目を上げる。赤くなるような感情ではない。ただ、胸の奥にほっとする気持ちが広がった。


「……そう言ってもらえると、少しだけ勇気が出ます。」


篠田は膝を折り、帳簿を覗き込みながら静かに言った。


「無理に言葉で示さずとも、結衣(ゆい)の行動や工夫で人は動く。それが何より力になるのだな。」


結衣は小さく息をつき、珠を弾く手に力を込める。

篠田の存在は、ただそばにいるだけで心を支えてくれる。ただ、安心できる存在として互いの距離が縮まった瞬間だった。



昼下がり、結衣は兵の妻たちと小さな茶を囲む。薪を割る音や炊事の香りが混ざる中、妻たちは「結衣様に教えていただくと、仕事が楽になります」と笑う。

結衣も微笑み返す。

「皆さんの力で、邸の生活が回っているんです。私も少しお手伝いしただけです」と、穏やかに答える。そのやり取りが、屋敷内に柔らかな時間を生む。



夕方、官兵衛のもとを訪れる。

帳簿とそろばんを前に、結衣は今日の作業内容や物資の管理、藩内の店を利用して注文を行う経済配慮、兵糧の改善案や必要な投資のポイントを報告する。

官兵衛は一言も遮らず、指先で机を叩きながら聞いていた。


「理をもって恐れを鎮め、命を守る……見事な策じゃ。結衣、そなたの知恵と判断があれば、戦場だけでなく、日常も守れる。」


結衣は微かに頷いた。

自分の知識や工夫が、戦国の人々の役に立っている実感があった。



夕刻、結衣は邸の裏庭に立ち、冬の風に頬を撫でられながら空を見上げる。傍らには篠田の足音。


「官兵衛様への報告、ご苦労だったな。」


「篠田さまも……お疲れさまでした。」


「戦場よりも、こうした屋敷内での管理の方が堪えるな。」


二人はしばらく無言で立つ。日が傾き、淡い橙色が雪に映える。


「結衣。」


「はい。」


「おぬしのやり方は、戦とは違う。だが確かに、戦を終わらせる力を持っておる。」


結衣は息をのむ。篠田の声は穏やかで柔らかく、しかし力強い。


「戦を終わらせる力……?」


「恐れを鎮め、人を動かした。あれが戦を超える術でなくて何だ。」


結衣は静かに目を伏せる。

胸の奥に、村の焚き火の灯や、今日邸内で見た人々の温もりが浮かぶ。


「……私は、ただ、生きてほしいと願っただけです。」


「それで十分だ。」


篠田は背を向け歩き出す。

その背中を見送る結衣の胸には、静かだが確かな温もりが広がっていた。


夜が降り、邸に灯籠の光が揺れる。

恐怖の中で見つけたものは、ただの勇気ではなかった。

人を思う温度。

そして、誰かと共に在るという確かな光。それを、結衣はゆっくりと心に刻んだ。




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