乙女を夢見たおじさんは異世界転生したら乙女になれるのか
――柔らかい。
身体がふかふかの何かに沈んでいく感覚で、佐藤正志は目を覚ました。
「……天井、白っ」
いや、白だけじゃない。レース模様。しかもカーテンがひらひらと揺れている。
頬に触れる布は、会社の安物タオルじゃなく、絹のような滑らかさ。
ゆっくり身体を起こすと、部屋の隅に巨大な姿見。
そこに映ったのは――金髪巻き髪、ピンクの瞳、ドレスを着た少女。
「は? だれこの……可愛いの」
口に出してしまった。しかも鏡の中の少女の口が完全に同期して動く。
「……え、俺? いやいやいやいや」
頬をつねる。
「……痛っ! これ、夢じゃないのか」
その時、ドアがノックされ、メイド服の少女が入ってきた。
「お嬢様、朝でございます」
「お、お嬢様……?」
「ええ、フィオナ様」
「いや、俺は佐藤正志、55歳独身経理課長――」
メイドはきょとんと首を傾げた。
「……お嬢様、まだ寝ぼけておられるのですね」
「……はい、フィオナです☆」
(心の声)わかった、これ異世界転生ってやつだ……俺、乙女になったんだ……!
異世界生活初日。正志改めフィオナは、お茶会デビューすることになった。
庭園には、薔薇のアーチ、噴水、金糸のパラソル。
テーブルには、カラフルなマカロンやケーキが山盛り。
(心の声)……これだよ、これが乙女の夢だよ……!
優雅にフォークを取り、ケーキを口に――
「うめぇぇ!」
令嬢たちの笑顔が一瞬固まる。
「あら……フィオナ様、ずいぶん豪快な」
「うふふ、糖分は脳にいいのよ♡」
「……糖分?」
(心の声)やべ、会社で同僚に言ってたクセ出た!口調、直さなかんな。
さらに乙女力向上のため、翌朝から独自メニューを開始。
「いち、に! いち、に!」
スクワットをする令嬢を見て、メイドが青ざめる。
「お嬢様、その……太ももが……素晴らしい筋肉です」
「ふっ、…乙女は基礎体力が必要なのよ」
町で可愛いドレスを見つけても、つい機能性を確認してしまう。
「このスカート、スリット入ってる。動きやすそう」
店員「お嬢様、それは……戦闘用です」
「戦闘用ドレス!? 買うわ」
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舞踏会の夜。
攻略対象その①、王子が近寄ってきた。
「君、面白いな。もっと話そう」
「いやいや、…私はモ……ただのモブ令嬢だから!」
「モブ? それは貴族位か?」
「…いえ、なんでもないです」
さらに騎士団長まで寄ってくる。
「お嬢様、その脚力……騎士団に入る気は?」
「え、騎士団令嬢? なんか響きカッコいい」
あげく、商会の御曹司にもこう言われる。
「フィオナ様は……最高の商売パートナーになれそうだ」
「……それ、プロポーズより響くんだけど」
(心の声)おかしい、俺の乙女道が筋肉ルートとビジネスルートに逸れかけてる……!
ある日、ヒロインのセレナが泣きながらやってきた。
「フィオナ様……王子が最近、私を避けるんです」
55年の経験が勝手に口を動かす。
「セレナ。男の人は、追われると逃げる生き物よ」
「……逃げる?」
「だから少し距離置いて。あと笑顔。笑顔は最強の武器よ」
「……笑顔、ですか?」
「そう。私なんか55年間、笑顔の練習してきたけど、誰にも響かなかった…」
「えっ……」
「いえ、なんでもないわ」
セレナは笑顔を取り戻し、王子と仲直り。
しかしフィオナは一人、噴水の前でつぶやく。
「……前世じゃ、誰にもこんなアドバイスできなかった」
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春の舞踏会。ピンクのドレスに身を包み、鏡の前で自分を見つめる。
「55年かけて、やっと夢が叶った……」
音楽と香水の中、誰とも踊らず、ただその場を楽しむ。
攻略対象も、ヒロインポジションもいらない。
「私は、自分の乙女道を――謳歌する!」
そこへ王子が手を差し伸べる。
「フィオナ……君は本当に、不思議で……美しい」
「……やめて、そういう軽い言葉な苦手よ」
(心の声)揺れてんよ、自分!
舞踏会の夜、フィオナは笑顔でステップを踏む。
その笑顔は、前世で一度も見せられなかった、本当の“乙女の笑顔”だった。