第9話 憧憬を捨て追求
フランシス・キシンガムとの婚約は私も納得してのこと。
……そう思うけれど、会って間もない彼と打ち解けるにはまだまだ時間が必要だった。
「名前の呼び方も大切だけど、それよりもっと砕けた口調で話してはどう? 婚約者なのによそよそしいわ。ほら、私を助けてくれた夜はもう少し違ったじゃない?」
意趣返しのつもりでそう言うと、彼は「あのときは緊急事態だったろう」と少し悩む素振りをみせる。
「わかった。君が望むならそうしよう」
「ええ、お願い。事件が解決すれば解消される婚約だけれど、どうせならお互い遠慮は少ないほうがいいでしょう?」
「……」
今思えば、舞踏会で私が婚約破棄されたその瞬間から、彼は国内の不穏分子を排除するための策を企てていたのだろう。
その一手が、目の前で婚約破棄された私への婚約の申し出。
「最初はとんでもなく無神経な人物かと思ったけれど、実際は優秀な策士だったということね……」
「なに?」
「いえ、なんでも」
フランシス様はそれ以上深追いはしてこなかったものの、気になることでもあるのかこちらへうかがうような視線を向けた。
「……もし、事件が解決してロイドが再び婚約を申し出たら、受ける気なのか?」
「まさか! 確かにロイドのことは好きだったけれど、向こうは私と出会ったときのことなんて忘れていたし、狼の仮面のことだって……」
「……仮面?」
「と、とにかく! 私だけがいつまでも昔のことを覚えていて、勝手に理想を押し付けていたのかもしれないって……そう思うようになったの。子どもじゃないんだから、現実的に生きないと!」
それに、一方的に礼儀を失した態度を取ったロイドはウォーレンハイム伯から叱責され、勘当寸前とも聞く。
ロイドには弟がいるため、爵位の継承権が弟へと移る可能性も充分にあり得た。
さすがに彼もそうなる可能性を考えなかったわけではないはずで……そこまでして私以外の女性と結ばれたかったのなら、改めて私に婚約を申し入れることはないだろう。
いつの間にか、校内に建つ教会の屋根が見えてくる。
今日のように行事のない日は教会を管理する司祭の青年がいるだけで、穏やかで静かな時間が流れているはず。
この後もそうであってくれればいいと、私は心から願った。
「フランシス様、今日はやはり……」
銀髪の彼を見上げると、口元の前で指を振られる。
言い直しを要求されていると気付いて、ぐっと唇を噛みしめた。
「フ、フランシス……やはり私ひとりで行かせてください。彼女も学校で事を荒立てるようなことはしないでしょう」
「……君がそこまで言うなら従おう。ただ、何かあればすぐに介入する」
そう言って、さり気なく自身の剣の柄に触れたのは、荒事になるのも辞さないという彼の意思表示。
国王秘書官が剣を振るうとなれば、死人が出てもおかしくはない。
私がどう対応するかで、この後の事態が大きく変わるというわけだ。
もしかすると、私は背負わなくてもいい重い責任を背負い込んでしまったのかもしれない。
派閥間の調停はお父様とモリス司教、黒幕探しはフランシスとマシューお兄様にそれぞれ任せておけば、それで問題ない。
私に与えられた一番大切な仕事は、フランシスの婚約者として振る舞うこと――それだけ。
……だけど、それで満足できる訳がない。
ロイドへの未練でもなんでもなく、私は自分が何に巻き込まれているのかを知りたい!
まずは、そう……マリア・グレイにどんな思惑があるのか。
「リリーナ」
考えを巡らせていた私の前に、風に揺れる水面のように輝くプラチナブロンドが映った。
「俺は貴女を守る。それだけは信じていてほしい」
吸い込まれるような青い瞳が、私の胸の内に寄り添おうとしているのを感じる。
初めて舞踏会で会った日から、彼に名前を呼ばれる度に懐かしい気持ちになるのはなぜなのだろう。
「フランシス……」
そのとき、教会の裏口から私達の元へ白衣を纏った司祭の青年が駆け寄って来る。