第8話 罠にして決意
1週間前の夜、グレイ男爵と長男が行方不明だと聞いて、その場の全員が隣国の介入を疑った。
男爵と長男を誘拐し、マリアを脅しているのではないか――。
「確かにペジェット派とマルディニー派は政治思想の違いから対立している。であれば、グレイ男爵の件は目くらましで、本当はマルディニー派こそが隣国と繋がっていると考えることもできよう? キシンガム伯爵」
お父様は剃刀のような鋭い視線でそう言った。
これはグレイ男爵の行方不明を教えてくれたフランシス様自身を疑う言葉でもある。
なぜなら彼は――キシンガム家は古くからマルディニー派を支える名家なのだから。
「父上! それはあまりにも酷い侮辱です。陛下の秘書官を内通者だと言いたいのですか!?」
「お兄様、落ち着いて……! 無礼をお詫びします、フランシス様!」
思わず立ち上がったマシューお兄様をなだめつつ、フランシス様へ頭を下げる。
いくら政敵とはいえ、私の命を助けてくれた恩人への言葉としてはあまりにも酷いものだ。
相手によっては腹を立ててこのまま帰られてもおかしくない。
焦る反面、ふと疑問が頭をもたげた。
ということは、フランシス様は政敵の娘である私に婚約を申し出ている……?
私はフランシス様の様子をうかがった。
「マルディニー派は精霊教会を心棒する保守派。……ですから、ここは私が教会を代表して断言いたしましょう」
そう言って会話に口を挟んだのはフランシス様が連れて来たモリス様だった。
彼は全員を見回して、改めて教会式の礼を取る。
「マルディニー派も教会も、このような陰謀に加担することはありません。……なんせ、教義に反しますからな」
「教会を代表? ……まさか貴方は……モ、モリス司教!?」
じっと目を凝らしていた父は、自分の屋敷に国内の教会と信者とを統括する司教がいることに気づいて、信じられないといった表情で固まった。
「今、なんて……?」
父の言葉に私も思考が止まる。
フランシス様は対立派閥の一角をなすエドフォード家へ単身で乗り込むどころか、精霊教会の司教まで連れて来ていたということ……!?
「わたくしはキシンガム閣下の親代わりでもありますから、よく彼の屋敷に出入りしているのですよ。まあ、今夜は無理やり連れだされた形ですがね」
にこにこと人好きのする笑顔でそう答えるモリス司教の隣で、フランシス様は黙って紅茶を口に運ぶ。
マシューお兄様はさすがにご存じだった様子で、フランシス様とモリス司教が気分を害されていないことにホッとしているようだった。
最近までフランシス様が護衛を命じられていたのはモリス司教で、任命された理由も古い顔馴染みだからなのだろう。
そして今晩はトマス・エドフォードから余計な疑いを持たれることを予想したうえで、モリス司教を連れて来ていたに違いない。
いくらお父様でも反対派閥の最重要人物ともいうべき相手に、目の前で関与を否定されるなんて思ってもみなかったはず……。
「ここまで用意周到とは……ふっ……ふははははは!」
突然笑い出したお父様は髭を撫でつけながら銀髪の若者へ視線を向けた。
「噂通り、頭は切れるようだな? キシンガム伯爵」
「お褒めいただき、光栄です」
「であれば、貴公の考えを聞こう。此度の姦計に対処し得る最善手はなんだ?」
フランシス様は手にしていたカップを置いて、怯むことなく父の視線を受け止めた。
爵位は同じとはいえ、対立派閥に属する二回りも年上のお父様に対して、彼は怯むことなくはっきりと告げる。
「早急に状況を変える必要があります。黒幕が思いも寄らぬ方向へ」
「……具体的には?」
父の問いに、どんな答えが返されるのか私にはわかっていた。
同時に、なぜ彼が婚約を迫ってくるのか、その理由も明確になった。
「ペジェット派とマルディニー派を代表するリリーナ嬢と俺の婚約を認めていただきたい」
ここへ来る前、彼が私に言った言葉が脳裏に呼び起こされる。
『我々の婚約は貴女を守り、不穏な一派を捕まえるための罠なのです』
――そう、これは罠。
私だってエドフォード伯爵家の娘。
ずっと好きだった人と結ばれるだなんて……そんな都合のいい夢を見ることはもう止めたわ。
我が国の為、不穏な計画を阻止するのに必要だというのなら上等よ。
「お父様……私、その婚約受けます!」




