第8話 教会にて
石畳の庭を進んでいく途中には、教会で暮らす人々のための菜園や果樹園などがあって様々な植物が実を付けていた。目新しさから何の植物か質問すると、その度にモリス様は丁寧に教えてくれる。
「昨夜は大変だったと聞きましたが、体調はいかがです?」
菜園の中を歩きながら、さり気なく尋ねられて笑顔を返す。
「少し寝不足ですが、もう大丈夫です」
「そうですか。キシンガム卿も心配しておられましたよ。彼が人を心配するというのはあまりに珍しくて、少々驚いてしまいました」
本気とも冗談とも判断の付かない発言に何と返せばいいのか、私は困って曖昧に笑った。
そして、フランシス様の名前が出たことで気になっていたことを聞いてみる。
「あの、モリス様もフランシス様と一緒に巡礼の旅に行かれていたんですか?」
「ええ。彼は立派に護衛を務めてくれました。私どもとしても、教会と長年の付き合いのあるキシンガム侯爵に同行してもらえたのは助かりました」
モリス様の言う通り、護衛の任務に間違っても革新派の人間を同行させるわけにはいかない。大司教の護衛に相応しい人物として、若きキシンガム侯爵に白羽の矢が立つのは当然のことだった。
「長旅ですし、何かあったときのことを考えればフランシス様のように精霊魔法を使える方がいらしたほうが安心ですものね」
冷気を帯びた鋭い一太刀を思い浮かべた私の言葉に、モリス様は一瞬目を見張る。
「……なるほど。昨晩、魔法を使われたのですか。まったく、精霊の力で生き物を害するのは禁忌だと前々から言っているのに……」
「魔法に禁忌があるんですか?」
「もちろんです。強い力を行使する者には、守らなくてはならない規則があるもの……精霊の力を借りる魔法も同様、故意に人を傷つければ反動が返ってきます」
穏やかな口調で諭されて、昨夜の咄嗟に光景を思い出す。
(手加減する素振りもなかったけど、大丈夫だったのかしら……)
魔法の反動がどれほどのものなのかわからず、不安になってくる。と、モリス様がゆっくりと歩みを止めた。
理由も分からないまま前を覗き込むと、そこには小さな薔薇園が広がっていた。
「まあ……!」
数は多くないものの、教会の象徴として頻繁に使われる白薔薇を中心として、様々な薔薇の株が植えられている。
「どうです? 立派なものでしょう。薔薇は育てるのが難しいのですが、みんな頑張って育ててくれています」
満足そうに笑ってみせたモリス様は手近な薔薇に手を添えて、しなやかな枝ぶりを見つめる。
「……彼は昔から精霊を知覚できていましたし意思の疎通も取れていましたから、契約した精霊の嫌がることはしないとは思いますが」
思い出すように目を細める様子からは、フランシス様との付き合いの長さを感じさせる。
「そんな才能をお持ちだったんですね……。あまりよく知らないのですが、洗礼を受ければ誰でも魔法を使えるようになるのですか?」
「いえ、『教会の洗礼を受けた者の中に、精霊魔法を使える者が現れる』と思われがちですが、実はあまり関係がないのです。洗礼は望めば誰でも受けることができます。魔法を使うには、それとは別に精霊と契約を結ぶ必要がありましてね」
何気なく辺りに視線を走らせ、他に人の気配がないことを確認してからモリス様は私へ視線を向ける。
「信仰心の厚い大公殿下も未だ魔法は使えません。……精霊も契約相手は選びたいのでしょう」
ぺルトランデ王国におけるもっとも強力な後ろ盾を指して、はははと子供のような無邪気な笑い声を立てるモリス様。
「モリス様ったら……今日はその大公もいらしているのではありませんか?」
「大丈夫。本人は来たがっておりましたが、今日は一般の方々への教話が目的ですから、ご辞退願いました」
(マルディニー大公のことをそんな風に言うなんて、大公は余程嫌われているのかしら? それとも、モリス様がとっても偉い方とか……?)
いくら大公を始めとする保守派が教会に傾倒していても、協会は保守派に対して冷静な姿勢を崩していないのかもしれない。
(今まで教会の方と話す機会がなかったから内情は知らなかったけれど、モリス様のように話しやすい方もいるのね)
「では、物好きな精霊がいたら、私も魔法が使えるかもしれませんね」
冗談半分でそんなことを言ってみた私を、モリス様はじっと見つめてくる。
「ふーむ、そうですな……」
考えあぐねるように唸った後、「貴女は……少し変わった経緯で精霊と縁を持つことがあるかもしれない」と呟いた。
「変わった経緯、ですか?」
私が首を傾げた瞬間、石畳の上を歩く規則正しい靴音に気がついた。
段々とはっきり聞こえてくる靴音と共に白薔薇が綻ぶ花園に現れたのは――。
(フランシス様……!)
銀細工のような髪を後ろでまとめた彼は、氷蒼を思わせる瞳をまっすぐにこちらへ向けてくる。
数時間前に別れたばかりとは言え、こうして陽光の下で顔を合わせるのは初めてだった。
白磁の顔に美しい鼻梁――深夜まで話し合いをしていた疲労など、微塵も感じさせない凛々しい表情が浮かんでいる。
すらりとした身体は筋肉質とは言い難いけれど、その些細な動作や姿勢からはしっかりと鍛え上げられていることがわかった。
白薔薇に囲まれているのも相まって、絵画の中に迷い込んだかのような光景にしばし言葉を忘れて息を呑む。
「モリス、そろそろ聖堂へ。大司教が来なければ始められない」
彼はモリス様から傍らにいた私へ視線を移すと、表情を変えることなく頭を下げる。まるで、最初から私がここにいることを知っていたかのようだ。
けれど、今の私にはそれよりもずっと気になることがある。
「だ……だだ大司教!?」
聞き間違いでなければ、確かにフランシス様はモリス様にそう言った。
階級でいえば司祭を任命する権利を持つ司教の更に上、二年に渡る巡礼を終えて帰国されたばかりの大司教――ずっと話していた相手の正体を知って、声が上ずる。
「ははは! そういうことです。驚かせてしまいましたかな?」
イタズラに成功した子供のように楽しそうな笑い声を上げて、モリス様はぽんっと私の肩を叩いた。
「お話できてよかった。またお会いしましょう、リリーナ様。では、失礼いたします」
あまりの出来事に、フランシス様の横を通り過ぎて颯爽と立ち去って行く背中から目が離せずに固まってしまう。
「リリーナ嬢、どうかされましたか?」
「わ、私、モリス様が大司教とは知らなくて……! 何か失礼なことを言ってないかしら……!?」
記憶を引っ張り出して会話の内容を思い出そうと唸る。
「モリスのことなら気にすることはありません。彼は何を考えているかわからない。気を遣うだけ無駄というもの」
「そ、そこまでハッキリ言わなくても……!? ……でも、二年も同行していた貴方が仰るなら、それなりに正しい評価なのかもしれませんね」
あの年齢で大司教ということは、ゆくゆくは枢機卿になる可能性が高い。
となると、多少は曲者らしさを持っているのは当然のことなのかもしれない。
「確かに巡礼に同行しましたが、彼とは私の両親が生きていた頃からの付き合いです。昔は今よりも人をからかうのが好きで……」
平坦な声の中に呆れが混じっているのを感じ取り、思わず顔を上げる。
「フランシス様もからかわれたんですか?」
「…………はい、子供の頃の話ですが」
「ふふっ、それはそれは」
幼いフランシス様とそれをからかう若きモリス様を想像して、その微笑ましさに思わず頬が緩む。
そんな私を見て、彼も少しだけ目元を細めた。
昨夜はマシューお兄様に釘を刺されたことで彼に対して余計な緊張をしていたけれど、こうして接してみると無表情の中にも感情の変化が見て取れる。
大きく表情を変えないのは仕事柄、心を読まれないようにと考えてのことかもしれない。
作り物めいた美しい顔立ちに白銀の髪、そして深海に眠る宝石のような瞳が、怜悧な雰囲気に彩を添えていた。
「屋敷から出て、少しは気分転換になりましたか?」
「はい。昨夜襲われたばかりなのに外出なんて、呆れられてしまいますね。でも、ずっと部屋にいるのも気が滅入ってしまって……」
「構いません。そのために護衛を付けていますので。貴女がこちらにおられるのも報告を受けていました」
「そ、そうなんですか!?」
ここまで来る間も辺りには警戒していたつもりなのに、怪しい気配は一切感じなかった。
(素人の私に気づかれるようでは護衛にならないということね……あら?)
念のため辺りの様子をうかがったとき、風もないのに揺れる薔薇に気を取られる。
まさか、と思った瞬間――。




