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冷血公は目の前で婚約破棄された私なんぞをご所望です  作者: 庵仗紗矢


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第7話 迷い込んだ先

 翌日。


 部屋が修理中のため、私は来客用の部屋で過ごすことを余儀なくなされていた。

 昨夜の話し合いが長引いたため部屋で遅い朝食を取ったあと、何をするでもなく過ごしていたらアイリーンが一冊の本を持ってやってくる。


「お嬢様、お部屋からこちらをお持ちいたしました」


 それは部屋のサイドテーブルに置いていた小説の最新刊だった。

 私が好きな小説だからと、わざわざ持ってきてくれたに違いない。


「ふふ、ありがとう」


 受け取った本を眺め、最初の頁を開いてみる。

 少しだけ文字を追ってみるけれど、思った通り目が滑ってしまう。


「……後でじっくり読ませてもらうわ」


 そっと机に置いて、外を眺めると晴れ渡った空の下、小鳥が街の平和を歌うように囀っている。


(昨日あんなことがあったなんて嘘みたい。外はこんなに穏やかなのに……)


 マシューお兄様は今朝も早くから仕事のため王城へ出かけていて、学校も休みの私はひとり屋敷に残されていた。


「少し、外の空気を吸って来ようと思うの」


「かしこまりました」


 心配そうにこちらをうかがっていたアイリーンにそう伝えると、すぐに出かける支度を整えてくれる。


 目立たないように屋敷の裏口から外に出た私たちは、通りに向かって人の流れが出来ていることに気づいた。


「今日は何かあるのかしら?」


「はい、巡礼から戻られた大司教様が教話をなさるそうです」


「教話……丁度いいわ。行ってみましょう」


 教会で定期的に行われている教話は信者でなくても自由に聞くことができる。

 長い間不在にしていた大司教が姿を見せるということで、今日は特に人が集まっているのだろう。


「思ったよりすごい人ね……」


 教会の前までやって来ると既に人だかりができていた。

 よく見ると、教会の中へ入るために長い列が作られている。


「今から並んでも入れるか、聞いてきましょうか」


「そうね。あまり長いようなら諦め……」


 そのとき、風に煽られて帽子がふわりと浮かび上がった。


 「あ!」と手を伸ばしたけれど、上手く風に乗ってしまったのか帽子はそのまま落ちることなく飛んでいってしまう。


「お嬢様!?」


「大丈夫。すぐに戻るわ!」


 木漏れ日の中を白い帽子がひらひらと舞う。

 人混みを縫うようにして追いかけていた私の前に、綺麗に刈ら揃えられた生垣が現れた。


「ああ、もうっ! どこか通り道は……!」


 辺りを見ると、生垣と生垣の間に細い道があるのを見つける。

 庭師用の通路と思しきそこを通り抜けて空を見上げると、帽子は東屋の屋根に引っかかっていた。


(あんな所に! どうやって取ればいいのかしら。誰かに事情を話して協力してもらいたいけど、今は教話の準備でみんな忙しいだろうし……)


 こうしてもたもたしている間にも再びどこかへ飛ばされてしまいそうで、途方に暮れる。


「困ったわ……」


「おや? そこにおられるのはもしや……」


 突然の声にびくっとした私は、東屋の屋根ばかり気にしていて、その中に佇む人影に全く気がついていなかった。どうやら、教会の裏手へ回り込んでしまっていたらしい。


 見覚えのある顔は五十代に差し掛かったところか、優し気な眼差しがこちらに向けられる。


「もしかして、フランシス様のお屋敷にいらした……?」


「ええ、昨夜ぶりです。モリスと申します、リリーナ様」


 モリス様は立ち上がってこちらにやってくると「こんなところでお会いするとは思いませんでしたな」と朗らかに笑う。


 フランシス様の屋敷で会ったときとは明らかに違う、細かい刺繍の施された高価な服を着ているところから察するに、モリス様も大司教の教話に参列するのかもしれない。


「すみません。母の形見の帽子が飛ばされてしまって、それを追いかけて来たんです。勝手に敷地に入ってしまい、申し訳ございません」


 非礼をお詫びすると、モリス様は首を振る。


「いやいや、お気になさらず。それで、形見の帽子というのは?」


 私の視線の先で揺れる帽子を見たモリス様は「ははぁ」と顎を撫でた。


「これは精霊のイタズラですな」


「イタズラ? ……あっ!」


 聞き返した瞬間、帽子が風に吹かれて木の葉のように再び宙を舞う。

 さっきとは違って、ゆっくり落ちてくるそれを手を伸ばして掴み取る。


「よかった……! モリス様、ありがとうございます!」


「私は何もしておりませんよ。イタズラがバレて、精霊が勝手に返してくれたのです」


 不思議に思って屋根を見上げてみるものの、そこにはただただ青空が広がるだけで何もない。


「……私には見えませんが、モリス様には精霊がお見えになるのですね」


 精霊教会の方と接したことのなかった私はすっかり感心してそう言った。


「見えるというか、なんとなくそういう感じがいたします」


「なんとなく」


「はい、なんとなくです」


 冗談めかした回答に思わず笑ってしまう。


(いくら教会の方でも大司教様ほどの方でなければ見えないのかもしれないわね。今度、フランシス様に会ったら聞いてみようかしら)


 日差しの下に出てきたモリス様は眩しそうに空を見上げる。


「教会の近くは精霊が集まりやすいのですが、特に今日は人が多いせいか彼らも賑わっているようです。きっと、リリーナ様にも興味を持ったのですよ」


「それは有難いことですね。でも、私なんて興味を持たれるような者ではないのに」


 今も近くでこの会話を聞いている精霊がいるのだろうかと、中庭を見回す。

 石造りの回廊にぐるりと囲まれた中央には小さな噴水があり、そこから菜園のほうへ水路が伸びている。手入れされた低木と花々が、午後の柔らかな日を浴びて輝いていた。


 教会の前に並ぶ人々の喧騒はここには届かないようで、微かな水音と共に静謐な時間が流れている。


「おそらくキシンガム卿の影響かと。精霊と契約している人間と接触すると、稀に他の精霊が寄ってくることがあるのです。この人間にも自分たちが見えるかもしれない、とでも思っているのでしょう」


 はた迷惑な話です、と穏やかに笑う姿を見て、不思議と緊張が解けていく。


 保守派や精霊教への偏見は持っていないつもりだけれど、これまで私がエドフォード家の人間だとわかると遠回しに敬遠されることが多々あった。

 その度に、私が革新派の家の娘である以上、お互いに距離を取るのが正解なのだろうと納得してきた。


 だからこそ、こうして普通に接してもらえることが新鮮で嬉しくもある。


 モリス様は東屋とは反対にある一角を示した。


「ここでは薔薇も育てておりまして、よければご覧になりませんか」


「よろしいんですか?」


「もちろんです。イタズラとはいえ精霊が引き合わせてくれたのですから、こうして語らうことにも意味があるのでしょう」


「それが、精霊教の教えですか?」


 私の問いに、モリス様は静かに笑って頷いた。


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