第6話 元婚約者を想う
「……ずっとわからなかったんです。どうしてロイドが婚約を破棄すると言い出したのか。でも、もしマリアが男爵の指示で、ロイドを心変わりさせるように唆したのなら……納得がいきます」
ロイドはウォーレンハイム家の資金難がエドフォード家によって仕組まれたものだと言っていたけれど、マリアから嘘を吹き込まれて騙されているのかもしれない。
(私よりもマリアの言うことを信じるなんて……)
私が暗い顔をしていると、お兄様が苛立たしげに立ち上がる。
「そう考えるのが自然だ。……夜会での一件を聞いたとき、俺も同じことを思った。まったく、男爵令嬢に鼻を伸ばして婚約者を蔑ろにするような男だったとはな。ウォーレンハイム伯爵にも伝えたが、ロイドは驚くべき恥知らずだ」
窓から夜の帳に閉ざされた外を眺めながら、吐き捨てるように罵る。
お兄様がそんな風に怒るのを見たのは初めてだった。
「すまない、リリーナ。あんな男と婚約させたのが間違いだった」
「そんなこと言わないで、お兄様。ロイドは昔から努力家で、ウォーレンハイム伯爵を継ぐために一生懸命頑張っていたわ」
「ですが、あまり好かれる人柄ではないようですね」
既に関係者のことは調べ尽くしているのか、フランシス様の声が冷たく響く。
私は少しでもロイドを擁護したくて食い下がった。
「確かに他人に厳しくて、それでいて少し怒りっぽくて……ちょっと自信過剰なところはありましたけど……で、でも決して悪い人では……!」
人間には誰しもいい所と悪いところがあると訴えたかった私の肩を、穏やかな笑顔を浮かべたお兄様がポンと叩く。
「リリーナ、今のを聞く限りあいつに良いところは……ない!」
「そ、そんなっ……! ロイドは私にとって――」
初恋の人なのに、と続けようとして斜め向かいから視線が注がれているのを感じ、ぐっと堪える。
(フランシス様の前で取り乱した姿を見せるのは良くないわ。ここは冷静に……!)
小さく咳払いして誤魔化しつつ、私は脱線した思考を元に戻すことにした。
「ただ、グレイ男爵の狙いがわかりません。ロイドと私の婚約が白紙になったことで国に大事が起こるとは、とても……」
「そんなことはありません」
きっぱりと否定されて、私は言葉を飲み込む。
「考えてみてください。ロイドから一方的に婚約破棄された貴女が、何者かに殺されたとなればエドフォード家とウォーレンハイム家の亀裂は決定的だ。そして、それは革新派全体に影響を及ぼすでしょう」
「ああ。そうなったら保たれていた均衡が崩れて、保守派が議会を席巻するかもしれない。混乱に乗じてべレフもやりたい放題かもな」
「っ! そんな……っ!」
(革新派が内輪揉めを始めれば、マルディニー大公が何をするか……!)
フランシス様の前では口に出せないけれど、保守派の盟主であるマルディニー大公は災害や大事件が起こるたびに陛下へ教会の素晴らしさを説き、洗礼を強く勧めている。
(革新派や他の派閥から猛反発を受けて阻止されているけれど、革新派が分裂しているときにそんなことが起きたら大混乱だわ。収拾に時間がかかるうえ、隣国に付け入る隙を与えてしまう)
もしそんなことが起きれば、それこそ手紙にあった『貴族の対立』が実現してしまう。
「二大派閥の均衡が崩れるというのも問題ですが、エドフォード家とウォーレンハイム家が仲違いすればウォーレンハイム家の負債は膨らみ続け、領民が苦しむことになる。派閥闘争に注目が集まっている間に密偵によって一揆を誘発される可能性もあるでしょう」
フランシス様は淡々と天気の話でもするかのように、想像もしない恐ろしい予測を口にした。
「領民をわざと煽って、都合のいい道具にするというのですか!?」
領民が苦しむように仕向け、一揆を誘発。各地で連鎖的に一揆が起こされれば、あっという間に内乱に及ぶ危険があることは、私でも充分わかる。
「お兄様! お父様にウォーレンハイム家への融資を止めないように言ってください!」
「わかってる。ロイドのことは頭にきているが、それとこれとは別だ。父上には伝令を出したから、明日の朝には返事が来るだろう。ただ、なんと言われるか……」
お兄様は眉根を寄せて押し黙ってしまった。
確かに、エドフォード家の名誉を傷つけたロイドのことを、父が簡単に許すとは思えない。
(それでも……!)
「もしダメなら私からもお父様に頼みます。領民を苦しめることだけは避けなくては。明後日の夜には戻られる予定ですよね?」
なんとしてでも説得しなくてはと思っていると、フランシス様から「私も改めて伺いましょう」と声が掛かる。
「ありがとうございます!」
(国王秘書官がふたりがかりで説得してくれるなら、お父様だって少しは話を聞いてくれるはず!)
思わぬ協力に感謝していると、フランシス様は当然と言わんばかりに頷いた。
「リリーナ嬢と私の婚約について、必ずご理解いただきます」
その瞬間、隣に戻って紅茶を飲んでいたお兄様がむせる。
「そ、そういえばその件もありましたね……。ええっと、念のため確認ですけど、ご冗談ではなく……?」
「リリーナ、こいつが冗談なんて言うわけないだろう。侍従長から冗談で、陛下が夜遊びしないようにしてほしいと頼まれて、本当に陛下をベッドに縛り付けたうえ夜通し見張っていたような男だぞ」
「ええっ!? へ、陛下相手にですか……!」
「それ以来、陛下はフランシスのことを『冷血公』と呼ぶようになったんだ」
驚いて銀髪碧眼の『冷血公』を見つめる。
彼は騒いでいる私たちに動じることなく、平然と紅茶の香りを楽しんでいた。
(じゃあ、婚約は本気? お互いに対立する派閥に属していることはわかっているはずなのに、どうしてそこまで……?)
とはいえ、彼は私が婚約破棄を言い渡されたその場で新たな婚約を申し出て、更にはベレフの襲撃まで撃退してくれた。
このことがきっかけで婚約が結ばれたとしても、世間的には違和感はないはず。むしろ、噂話が大好きな貴族の間では受け入れやすい話題だろう。
実際のところ、『冷血公』からの婚約の申し出は、ロイドの婚約破棄を吹き飛ばすくらいの衝撃的な話題に違いない。ロイドへの批判の声は『冷血公』の登場でいくらか掻き消されたはずだった。
加えて私の死が避けられたとなれば、ウォーレンハイム家との関係も修復の余地がある。
(こうして考えると、フランシス様のお陰で決定的な対立には至っていないのね。……さすが、国王秘書官。グレイ男爵を逃したことで後手に回ったとはいえ、立ち回りが上手いわ)
今更ながら、内心で感心する。
社交界で聞いた噂によればフランシス・キシンガム侯爵は幼い頃に事故で家族を失いながらも、国王陛下を支える秘書官として頭角を現した傑物。
(フランシス様の言う通り、ここで私たちが婚約することで革新派と保守派の対立を鎮静化させられれば、男爵やベレフの目論見を完全に防げるかもしれない)
フランシス様からの婚約の申し出の裏にある真の狙いが腑に落ちた気がして、私は胸の中で呟いた。
(私たちの婚約が、敵を出し抜く罠になる――)
それはまるで心躍る大衆小説の一節のようで、とても魅力的な計略に思えた。
(今はどれだけ考えても無駄ね。婚約についてはお父様の意向次第だもの。でも……)
もしフランシス様と婚約するよう言われた場合、私は受け入れることができるだろうか。
「…………」
胸の中にロイドへの未練を確かに感じて、私は手の中の冷めきった紅茶を眺め続けた。




