第5話 不穏な影
ぺルトランデ王国の貴族は昔から革新派と保守派に別れていて、その対立によって国の流れが左右されてきた歴史を持つ。
現在、革新派の指導者となっているのは宰相のペジェット公爵であり、エドフォード家とロイドの実家であるウォーレンハイム家も革新派に属している。
対する保守派は前王の弟筋に当たるマルディニー大公を擁し、大きな影響力を持っていた。
更にマルディニー大公は熱心な精霊教信者で、派閥内も精霊教を信奉している貴族が大半を占めている。そうした事情から、現在の保守派は精霊教会と深い繋がりを持っている。
(教会自体は他の国でも活動をしているし、活動内容も精霊と人の友和を説いたり奉仕活動をしたりと、至って平和的。だけど、国内外に勢力を持つ彼らのことを脅威に感じる貴族もいて、それが派閥対立を強めているって、前にお兄様が言っていたわね……)
熱い紅茶を飲みながら、私はすっかり覚めてしまった頭を回転させていた。
パチパチと燃える暖炉の音と紅茶の香りは、不思議と心を落ち着けてくれる。
「紅茶はお好きですか?」
斜め前に座ったフランシス様から、静かな声が掛けられた。
「はい。母が好きだったので、昔は色々な茶葉を取り寄せていたんです。気がつたら私も好きになっていました」
亡き母ともこうしてお茶を飲んだことがあったなと思い出しながら答えると、彼の淡々とした眼差しがほんの少し和らいだ気がした。
「夜会の件では、貴女の気持ちを蔑ろにしてしまったことは謝ります。私は貴女を守ると共に、我が国の不穏分子を捕まえたいのです」
不穏分子、と聞いて思わず眉をひそめる。
私の隣に座るマシューお兄様は何か知っているのか、紅茶を飲みながら黙ってフランシス様の話に耳を傾けていた。
「私が帰国する少し前、とある噂を耳にしました。ぺルトランデの貴族の中に、足繁くアンブローシアへ渡航している者がいる、と」
「アンブローシアへ……?」
ペルトランデ王国の北、テーベ海峡を越えたところにあるアンブローシア王国は、もとは小国がいくつかある島だった。百年ほど前に王位争いに敗れたペルトランデ王族がアンブローシアへ逃れて統一国家を作って以来、両国は常に微妙な緊張関係に置かれている。
とはいえ、これまで大きな武力衝突は起きていないし、人の行き来や交易も盛んだ。
「渡航自体は問題ありません。ですが、調べてみて気になることがわかりました。その貴族が渡航する際の同行者に聞き覚えのある名前があったのです。それが、ベレフ・セルペンス」
私は曲刀を振りかざした仮面の男を思い出した。
「私を襲ったあの男……ですか?」
フランシス様が頷くと、マシューお兄様が驚いたように私とフランシス様を見た。
「今夜の奴はベレフと名乗ったのか!?」
「は、はい。確かにそう名乗りました」
お兄様は苦虫を噛み潰したように眉間にしわを寄せる。
「……厄介だな。べレフってのは、色々ときな臭い男だ。アンブローシアの密偵ってことはわかってるが、なかなか尻尾が掴めない。ベレフ・セルペンスというのも偽名だろう」
「そんな人がどうして私を……とういか、他国の密偵と会っているなんて、その貴族は一体誰なんですか?」
「……貴女もよくご存知なはず」
その言葉に躊躇うような響きを感じて、今の私に告げにくい名前なのかもしれないと思う。
そうなると、思いつくのはたったひとつしかない――ロイドの実家であるウォーレンハイム家だ。
その名を口にしようとして、はたと思い留まる。
(革新派として我が家とも長い付き合いがあるウォーレンハイム伯爵が、背信行為なんてするかしら?)
ロイドが言っていたようにウォーレンハイム家には、現在多額の負債がある。
しかし、それは領地の不作によるもので、自分たちの地位を脅かしてまでアンブローシアへ近づく旨味はないように思える。
(ウォーレンハイム家じゃないとすると……)
頭の中で、ゆっくりと小柄な像が形を結ぶ。
夜会のシャンデリアが輝く下で、控えめな薄緑色のドレス纏った慎ましやかな佇まい。艷やかな黒髪を揺らして華麗にお辞儀をしてみせた女性。
(彼女のことは考えないで眠りたかったのに……そういうわけにもいかないのね)
後ろ向きになる気持ちを叱咤して覚悟を決めると、私はその名を口にした。
「マリア・グレイのお父上、グレイ男爵でしょうか」
ロイドの心変わりの一因と思われる彼女の名を、初めて口に出す。
学校内や夜会で見かけたことはあっても言葉を交わすことすらなかったマリアの存在が、私の中で大きなものへと変わっていく。
「ええ。ご明察です」
私の返答に満足したのか、フランシス様は長い脚を組んだ。
それはまるで、これから本題に入る合図のように見えた。
(もしかして、マリアの名前が出ても冷静でいられるかを確認したくて私に考えさせた……? 諜報活動を担う『冷血公』なら、それくらいの値踏みはやってのけそうね)
直前にお兄様から彼は政敵だと言われたことも相まって、私も居住まいを正して続きを待った。
「フランシスがその情報を手に入れた頃、秘書官室に匿名の手紙が届いてな。要約すると、『隣国の密偵が国内貴族の対立を扇動しようとしている』という警告だ」
おもむろに、お兄様から手紙を差し出される。
飾り気のない無地の封筒に入った便せんには、短い文章が書かれていた。
(『貴族の対立』というのは革新派と保守派のことよね。用件のみで差出人のサインもなし。これじゃあ、誰が出したのかわからないわ)
ただ、その細い筆致は女性によるものではないかと思う。代筆の可能性はあるものの、こんな物騒な手紙を他人に書かせるような危険を冒すだろうか。
(直筆だとすると、差出人は女性かもしれない)
手紙を大切に仕舞ってお兄様へ返す。
「手紙の件を知った私はベレフとの繋がりを踏まえ、グレイ男爵の身柄を押さえるよう部下を動かしました」
そこで一度、フランシス様は口を閉ざして微かに目を細める。
「ですが、既に男爵は行方を眩ませた後で現在も捜索中です」
あまり大きく表情を変えることのない彼の微細な変化は、後手に回ってしまったことへ歯痒さの現れなのかもしれない。
お兄様もその空気をなんとなく感じ取ったのか、溜息交じりに頬杖を突く。
「フランシスが国内にいれば、もう少し早く動けたんだが……。男爵家は表向き、当主は長期の旅行に出かけていると言っているが、諜報部が居場所を掴めない以上、意図的に隠れていると考えるのが自然だ。こっちもまだ表立って行動できないから、男爵の行方を掴むために全ての関係者に監視を付けた。もちろん、マリア嬢にもな」
「マリア・グレイが父である男爵の指示で行動を起こす可能性は充分考えられました。彼女が夜会に出席すると聞いて、ずっと監視していたのです」
(それで、フランシス様が夜会にいらしたのね)
社交界で頻繁に話題に上る『冷血公』は、夜会や舞踏会の類には滅多に現れないことで有名だった。だから、今夜あの場に居合わせた貴族の多くはさぞや驚いたに違いない。
「あの……少し整理させてください」
ふたりから聞かされた話は想像もしなかった内容で、気持ちを落ち着けるために紅茶を手に取る。
温くなってしまったそれは、淹れたときよりも幾分穏やかな薔薇の香りがした。




