第4話 兄の囁き
「お、お兄様!?」
「ああ、リリーナ! どこも怪我はしてないな? くそっ、もう少し俺の帰りが早ければ……!!」
マシューお兄様は私の姿を見て、思い切り抱き締めてきた。
「お兄様、私はなんともありません。フランシス様が助けてくださいました」
「そうか! ありがとう、フランシス。ロイドの件といい、今夜は助けられてばかりだな!」
国王陛下の秘書官のひとりに任じられているお兄様は、フランシス様とも顔見知りなのか、臆することなく気安く呼びかけた。
「……当然のことをしたまでだ」
対するフランシス様は既に感情の読めない無表情に戻っていて、バシバシと背中を叩くマシューお兄様に薄い反応を返すのみだった。
それを見て一抹の不安が沸き起こる。
(もしかして、お兄様嫌われてるんじゃ……?)
人当たりが良く楽観的な性格をしている反面、配慮が足りないところがあるマシューお兄様は、寡黙なフランシス様とは正反対に思える。
とはいえ、さすがに今は屋敷に侵入者が現れた直後ということもあって、お兄様の表情も普段よりずっと真面目なものとなっていた。
「帰って早々、怪しい奴が中庭へ落ちてきたと使用人から聞いたときは驚いたぞ。父上がいらしたら、もっと大事だ。……それで、犯人は捕まえられそうか?」
問いかけに、ほんの一瞬青い瞳がこちらに向けられた。
「当然だ。そのために、リリーナ嬢に協力を願いたい」
協力、と言われても私にできることなど何もないはず。
(フランシス様からは特に何も言われていないし……)
首を傾げた私の頭には、彼から受けたとんでもない申し出だけが浮かんでいた。
「そ、それってまさか……」
「改めてお願いしたい。私と婚約して欲しい」
割れた窓から吹き込んだ夜風が長い銀髪を攫っていくのを気にも留めず、彼は無表情のままとんでもない言葉を続ける。
「婚約を飛ばして、すぐに結婚でも構わない」
『えええぇぇーー!?』
貴族院議員に名を連ねる由緒正しきエドフォード家の屋敷中に、私とマシューお兄様の叫び声が響き渡った。
私達は居ても立っても居られずに、左右からフランシス様に詰め寄る。
「な、なななんでそうなるんですかっ!?」
「リリーナの言う通りだ、唐突にも程がある! もっと順序立てて話せといつも言ってるだろう!」
私たちの訴えを受けて、フランシス様は不思議そうに「ふむ」と顎に手を当てて考え込む素振りをした。
その隙に、小声でお兄様へ囁く。
「実は、夜会でロイドから婚約破棄の意向を伝えられた際に、フランシス様から婚約を申し込まれました」
「なにっ!? それは聞いてないぞ! その場で申し込まれたのか?」
「はい……周りにいらした皆さんが証人だと仰って……」
たった今、目の前で起きた婚約もとい求婚の申し出に「こいつならやりかねん」と、流石のマシューお兄様も頭を抱える。
「父上のいないときに、婚約破棄と新たな婚約の申し出だと……?」
大きな溜息を吐くお兄様に何を思ったのか、フランシス様は「わかった。エドフォード伯が戻られるまでは婚約でいい」と非常に寛大な妥協案を出してくださる。
(この方、無表情で何を考えているかわからないうえに、ものすごくマイペースだわ……!)
衝撃的な事実に固まっていると、お兄様はすぐに首を横に振った。
「婚約も結婚も父上の判断なしには決められない」
それは至極もっともな返答だった。けれど、今はその言葉が胸に重く響く。
私のことなのに、私は自分の意思で伴侶を決めることができない。
それは貴族なら仕方のないことだとわかっているけれど、ただ黙って従うことには苦いものがある。
ロイドとの間に大きな溝が出来てしまった以上、私はたいして面識もない相手の元へ嫁ぐことになるかもしれない。
「……っ」
物思いに沈みかけていたところ、フランシス様から視線を向けられていることに気づいた私は軽く咳払いする。
「そういえば、お兄様はフランシス様とどのくらいのお付き合いが?」
「そうだな……秘書官になってからだから四年になるか。二年前、こいつが大司教に同行する際は見送りにも行ったし、先日帰国した際も陛下と共に迎えに行ったよな?」
同意を求められたフランシス様は素っ気なく「ああ」と答えた。
「なるほど」
(夜会のときに私のことを知っていたのも、お兄様を知っていたからなのかも)
ふと、何かが動いた気がして開いたままになっているドアを見ると、メイドのアイリーンが不安そうにこちらを覗き込んでいた。
「おふたりとも、立ち話もなんですしお茶でもいかがです? 深夜ですが、頼めばお茶くらい用意してもらえると思います」
私の言葉が届いたのかアイリーンはこくりと頷いて姿を消す。次いで、一階へと降りていく足音が続いた。
「ああ、それがいいな。談話室へ案内しよう、フランシス。リリーナは着替えてから、ゆっくり来るといい」
ふたりが出て行った後、私は改めて室内を見回した。
窓が壊れてガラスが散乱している以外は大きな損傷はなさそうだ。
べレフと名乗った男が立っていたバルコニーに近づき、フランシス様の攻撃を思い出す。
(不意打ちで正面から受けたように見えたけれど……血痕は少ない)
大けがを負っていればべレフが治療を受けることを想定して、病院や医者へ手を回すこともできたのに。
そんなことを考えていると、再びアイリーンがやって来る。
他のメイドにお茶の用意を指示して、着替えのドレスを持ってきてくれた彼女は、ひとりになった私を見ると、耐えかねたように駆け寄ってきた。
「お嬢様、ご無事で何よりです! まさか、こんなことが起こるなんて……」
「ごめんなさい。今夜は心配をかけてばかりね。それより、他に被害はない?」
着替えを手伝ってもらいながら状況を尋ねる。
「はい。使用人も無事ですし、玄関は施錠されたままで貴重品の被害もございません」
「そう。最初から私を狙っていたのね。侵入経路はバルコニーかしら」
塀を乗り越えて中庭に侵入し、バルコニーの脇にある木を登ってくれば二階の寝室までやってくることも不可能ではなさそうだった。
「恐らく……お部屋はすぐに修理させます」
話しながらもアイリーンは手早く支度を済ませてくれる。
フランシス様とマシューお兄様の待つ談話室に向かっている途中、後ろから付いてくるアイリーンがふと口を開いた。
「それにしても、キシンガム侯爵がいらしたときは驚きました」
マシューお兄様の帰りを待っていた使用人たちは、フランシス様の来訪にもすぐに気がついたらしい。とはいえ、普段から親交のある相手でもない。
「お嬢様の身に危険が迫っていると言われ……国王秘書官の身分を信じてお通しいたしました。申し訳ございません」
「いいのよ。そのお陰で私は助かったわ。ありがとう」
振り返って微笑むと、アイリーンは安心したように笑顔を返してくれた。
一階へ降りて廊下を進めば、談話室の扉の下から温かい明かりが漏れているのがわかった。
「フランシス様は本当にタイミングがいいのね。まるで、全部見ていたみたい……」
私の呟きにアイリーンが戸惑うのが気配で伝わってくる。
「その通りだ、リリーナ」
期待していなかった返答に振り返ると、談話室の手前にある書斎のドアが開かれた。
音もなく開いたドアの中からマシューお兄様と伝令係の青年が現れる。伝令は私に会釈すると、何事もなかったかのように玄関へ立ち去った。
「なに、父上のところだ。色々と報告が溜まっていたからな」
私の表情から疑問を読み取ったのか、お兄様はにこりと笑った。
「そうですか。それより、今のはどういう意味でしょう?」
「ああ、俺がウォーレンハイム家から戻るまで、フランシスに屋敷の警備を頼んだんだ。まあ、あの様子だと断っても張り込んでいただろうが」
つまり、フランシス様は私をここまで送った後、そのまま馬車を近くの道に停めて待機していたということになる。
苦笑するお兄様に、私は不満たっぷりに声を上げた。
「おふたりがそこまで警戒していたなら、どうして私にも教えて下さらないのかしら。私、本当に血の気が引いて……」
「リリーナ」
気づくと、マシューお兄様は私を優しく抱きしめていた。
「本当にすまない。詳しいことはこれから説明するが、俺もまさか今夜とは思わなかったんだ」
「……」
いつも明るく快活なお兄様に、弱々しい声でそんなことを言われたら、それ以上の不満は飲み込むしかなくなってしまう。
「もうっ! わかったから放してください」
照れ隠しに腕を軽くつねると、「いてっ」と小さく叫ばれる。
「お兄様にもフランシス様にも、ちゃんと説明してもらいますからね!」
これ以上フランシス様を待たせるわけにもいかないと思い、私は談話室のドアへ手を伸ばした。
「待て」
「まだ何かあるんですか?」
「……今回の件、『冷血公』にはどれだけ礼を言っても足りないくらいだ。ただ、これだけは忘れるなよ。キシンガム家は代々保守派の有力貴族。つまり……」
その先の声を潜めた囁きに、私ははっと息を呑んだ。
そして、お兄様は私に代わってドアを開け、フランシス様の待つ室内へと入っていく。
「いやー、待たせて悪い。今、父へ遣いを送った」
「……問題ない」
「さあ、リリーナもそんなところに突っ立ってないで」
「は、はい……!」
暖炉のある温かい室内へ招かれるまま足を踏み入れる。
けれど、耳元ではお兄様の囁きが反響していた。
『キシンガム家は代々保守派の有力貴族。つまり、我がエドフォード家の政敵だ――』




