第3話 刺客を放たれて危機一髪
閃くナイフが私の喉元へ振り下ろされた瞬間――。
「痴れ者がっ!」
鋭い声が飛んだかと思うと、黒づくめの男が手にしていたナイフが吹き飛んで床に落下する。
「な、なぜお前がここに……!?」
突然の乱入者に、男は身を翻して窓辺へと駆け寄った。
月明りの逆光を受けて、男の左手から赤い血が滴る。
いつの間にかベッドの脇にもうひとり、別の影が立っていた。
「フ、フランシス様……!」
舞踏会で会ったときの装いとは打って変わって、簡素な白いシャツという出で立ちはずいぶん印象が違って見えるけれど、その厳しい表情は社交界で噂の『氷の冷血公』に違いなかった。
「お前のような輩が現れることを、俺が予測できないとでも思ったのか」
私に婚約を申し出て、介抱してくれたときとは明らかに違う冷たい声音に、驚きと不安でぞくりとする。
フランシス様は私を背後に庇うようにして、怒りに燃える青氷の双眸で侵入者を睨み付けた。
「それに、ここは俺の婚約者の寝室だ」
「ま、まだお受けしたわけではありませんので!」
咄嗟に反論してしまう。
私だって、すぐに婚約者を鞍替えする尻軽だと思われたくはないし、それに何よりロイドの態度にショックを受けている真っ最中なのだ。
「はははっ! 引く手あまたの冷血公が見事に振られたなァ!?」
「…………」
侵入者は面白いものを見たと言わんばかりに嘲笑し、対するフランシス様は押し黙る。
……もしかして、謝ったほうがいいのかしら。
どうしようかと考えていると、周囲の温度が急激に下がり始める。
これは、氷の精霊の加護を受けたというフランシス様の魔法が発動する兆候かもしれない――。
「……お前からは色々と聞きたいことがあったが、気が変わった」
手にしていた剣を構えたフランシス様は、敵との間合いを見定めるように一歩踏み込む。
「永遠に口を閉じていろ」
瞬間、目にも留まらぬ速さで冷気を纏った一閃が放たれた。
「ぐあっ!?」
男は窓を突き破ってバルコニーを飛び越え、我が家の中庭へと吹き飛ばされていく。
今の一撃にそんな威力があったことに驚いて、呆気に取られてしまう。
「ちょっとやり過ぎではありませんか!?」
「……何を言っているんだ。貴女は命を狙われたんだぞ……!」
国王陛下の秘書官の中で、冷酷無比に職務を全うすることで有名なフランシス・キシンガム。
彼の本来の職務は司教の護衛などではなく、敵国の密偵の捕縛と拷問から処刑。
その全てを無表情で淡々とこなすことから、いつしか冷血公と呼ばれるようになった人。
そんな人が感情的になるのを目にして、わからなくなる。
「どうして、ですか。……どうして、そこまで私を……?」
「……貴女は覚えていないかもしれないが、俺はずっと……」
フランシス様はじっと私の瞳を覗き込む。
流氷を思わせる美しい瞳が慈しむように揺れ、不思議と私の中にあった緊張が和らいでいく。
「リリーナ……」
優しく名前を呼ぶその声は、昔どこかで聞いたことがある気がした。
ゆっくりと、フランシス様の温もりが近づいてくる。