第10話 教会にて彼女と対峙
「フランシス様ですね。お待ちしておりました」
白いカソックに身を包んだ青年は国王秘書官の前までやって来ると静かに礼を取る。
彼の顔には見覚えがあった。
「エミール、突然無理を言ってごめんなさい」
「何を仰いますか。困っている方へ協力するのは当然のことですよ、リリーナ様」
王侯貴族が通う学校の協会運営を任されているだけあって、エミールは穏やかな笑顔で応える。
校内にある教会は精霊を信奉している生徒はもちろん、信者ではない者も足を向けることがあった。
とりわけ私は静かな時間の流れる教会で本を読むのが好きだった。
「知り合いなのか?」
「ええ。彼が赴任してきたばかりの頃、校内で迷子になっているのを助けてからの縁です」
「あはは、懐かしいですね~」
司祭にしてはまだ若いエミールは堅苦しさもなく暢気に笑いながら、やや声を落とす。
「既にお相手は到着されています。それと、ご要望通り教会内の結界を強めておきました。一歩でも教会に入れば精霊の加護は行使できません」
「そう……ありがとう。助かります」
私に精霊の加護はないけれど、相手が同じとは限らない――そう言って、教会内の結界を強化するように勧めたのはフランシスだった。
万全を期する彼の考えに、特段反対する必要もない。
「あまりお待たせするのは良くないわ。フランシス、私はそろそろ……」
フランシスへ別れを告げて正面扉へ向かおうとした瞬間、そっと腕を引き寄せられた。
彼に寄りかかるような形になった瞬間、頬に柔らかな感触が触れる。
「え?」
今、頬にキスされた……?
何が起こった分からずにフランシスを見上げると、透き通ったアイスブルーの瞳が頷く。
「これは『おまじない』だ。これから君に危害を加える者は八つ裂きになるだろう」
「それはまた……ずいぶんと物騒ね……」
不意の出来事に驚きながらそう返す。
仮初の婚約者相手にここまでするなんて、国王秘書官は役者も務まるのではないだろうか。
少なからず早まっていく鼓動に混乱していると、フランシスは表情を引き締めて何事もなかったように私から離れた。
「俺は裏口から中へ入る。見守っているから好きにやるといい」
「ええ、もちろん。それでは、後ほど」
エミールと共に裏口へ向かっていく後ろ姿を見送りながら、彼が残した囁きを反芻する。
『これはおまじないだ』
おまじない、なんて言葉が彼の口から出たのだと思うと、おかしくなってしまう。
冗談を言う性格でもなさそうなのに……。
でも、お陰で緊張が和らいだ。
私はゆっくりと教会の扉に手をかける。
ギィィィと音を立てながら開いた扉の向こうには、黒髪の女性の姿があった。
彼女は祭壇に飾られた精霊教会の女神像へ祈りを捧げていたようで、ゆっくりとこちらを振り返る。
「ご婚約、おめでとうございます」
舞踏会と同じように、マリア・グレイは鈴のような声で微笑みと共に会釈してみせた。
私から婚約者を奪った彼女の父と弟が消息を絶って2週間は経つ。
今もまだ、国内の諜報組織が足取りを掴めないでいる。
「……お待たせしてしまったようね」
彼女の些細な表情の変化も見逃さないように、私も女神像の元へ進んでいく。
コツコツ、と足を進めながら、男爵たちが消息を絶ったのとほぼ同時期に届いたという手紙の筆跡を思い出した。
細い線で、それでいて乱れることのない読みやすい文字から察するに、書いたのは女性。
その女性は一体どんな気持ちで手紙を出したのかしら。
一体、なんの目的があって……?
私は彼女の前まで来て、ゆっくりと膝を曲げて会釈する。
「こうしてお話するのは初めてね。マリア・グレイ」
「そんな他人行儀なのは止してくださいませ、リリーナ様。私のことはマリアと……」
そう言って、薄桃色の唇が楽しそうに緩められた。




