第1話 破棄されて婚約
「リリーナ、お前が我が家を資金難に仕向けたことはわかっている」
楽団の生演奏が行われるなか、今宵舞踏会に招待された貴族たちは楽しそうに踊り、語らっている。
だから最初はロイドが何を言っているのか聞き取れなくて、そんな私に彼は苛立ちを募らせた様子だった。
ようやく彼の言葉を聞き取れた私は困惑した。
「な、何を言っているの……? ウォーレンハイム家にそんなことするわけないじゃない。現に父は融資を申し出たし、なにより貴方はウォーレンハイム家の次期当主で私の婚約者……」
そんな大切な人を陥れるような真似をするわけがない。
なんの冗談だろうと、自分の表情がこわばるのを感じた。
「だからさ! 僕と婚約することを条件に、融資を申し出たんだろう!」
「それは違うわ!」
父であるエドフォード伯がウォーレンハイム家を援助することにしたのは、長年の付き合いがあるからだ。
そして、ウォーレンハイム伯はその援助に感謝の意を示すため、両家の絆をより深くするために、ロイドと私の婚約を提案され、書面の上ではすでに婚約が成立していた。
貴族にとって結婚は家同士の結びつきや政局に左右されるもの。
稀に恋愛結婚というものもあるけれど、貴族の家に生まれたからには私もその辺りは弁えて生きて来た。
だから、ロイドとの婚約話が出たときは泣きそうになってしまった。
幼い頃から好きだったロイドとの婚約――それがどれほど嬉しかったか、きっと誰にも分らない。
けれど、そのために意図的に彼の実家を資金難に追い込んだというのは、到底あり得ない話。
「どうだかな……。とにかく、 父が何と言おうと僕にはお前とは別に心に決めた人がいる!」
「!!」
そう言ってロイドの視線が向かった先にいたのは、長い黒髪に幼げな顔立ちのマリア・グレイだった。
男女のお見合いの場も兼ねる舞踏会において、多くの男性から踊りを申し込まれる彼女は有名人の一人。
そして、近頃は学校でロイドと一緒にいるところをよく見かける。
マリアはこちらに向けてにこりと微笑むと、ドレスを摘まんで華麗にお辞儀して見せた。
婚約者の心を手に入れた彼女の余裕ある微笑みに怒りと恥と悲しみとが胸の中で吹き荒れる。
「リリーナ、君との婚約は破棄だ!」
周りの貴族たちはいつの間にか歓談を止め、少し離れて私たちを見守っていた。
そんな中、ロイドの決定的な言葉は場内によく響いた。
――婚約破棄。
ずっと好きだった人からあらぬ疑惑を持たれたうえに、一方的な宣告。
『リリーナ! 将来ぼくのお嫁さんになってね! ぜったいだよ!』
幼い頃の記憶が蘇って、目頭が熱くなっていく。
こんなのって、いくらなんでも……。
「リリーナ・エドフォード嬢」
今にも零れそうな涙を堪えていた私の元に、凛とした声が降りかかる。
しん、と静まった場内によく通る声だった。
私とロイドから少し離れて見守る人々の中から、すらりとした影が前に出る。
面識はないけれど、その銀髪碧眼には心当たりがある。恐らく彼はフランシス・キシンガム。
整った顔立ちと常に冷静な態度から冷血公と呼ばれている人物だった。
国王秘書官のひとりで、最近まで諸国を巡る司教に帯同して護衛の任に就いていたはず。
「失礼、お話が聞こえてしまったもので。たった今、婚約を解消されたと?」
「ああ、そうだとも!」
私に語りかけて来たフランシス様に、ロイドが割って入るようにして答える。
フランシス様はその氷のような表情でロイドを一瞥すると、今度は私の耳元へ唇を寄せた。
「リリーナ嬢、衆人環視の中で貴女の顔に泥を塗った彼が憎くはありませんか?」
「え……?」
「ここはひとつ、俺と手を組みましょう」
そう言って、自然な仕草で手を取るフランシス様。
長身を屈めて私に語り掛けるフランシス様の姿に、ロイドは自分が無視されているように感じたのだろう。
さっきよりも苛立った声で彼を指さした。
「お、おい! フランシス・キシンガム、一体どういうつもりだ!?」
名指しされたフランシス様は感情を揺さぶられることも無く、無表情のままロイドに向き直る。
「こちらのリリーナ嬢は私が貰い受けます」
「なにっ!?」
驚く私とロイド。
冷血侯は私の肩に手を添えて「私たちの婚約の証人は皆さんです。よろしいですね」と周囲に視線を投げかける。
ロイドから突然の婚約破棄を告げられた私を見守っていた人々は、予想外の展開に呆気に取られていた。
けれど、フランシス様の呼びかけにどこからともなく拍手が沸き起こる。
「それでは、失敬。ロイド・ウォーレンハイム」
場内に溢れる拍手に背中を押されるようにして、フランシス様と私は舞踏会を後にする。
その間、彼は無言のまま私を支えるようにして玄関まで運んでくれた。
でなければ、私は今にもその場に倒れ込みそうだった。
幼い頃から好きだったロイドと婚約することになって浮かれていたところを、突然婚約破棄を言い渡されるなんて、今でも信じることができない。
しかも、冷血公と名高いフランシス様からの予想外の申し出――。
「……ない、で……」
乗りつけた馬車へ促された私は、ようやく声を出した。
「なに?」
心配そうな声の主を、私はキッと睨み付けた。
「私をモノみたいに扱わないで! たった一言で婚約者から他人にはなれないわ! 逆も同じよっ!!」
簡単に婚約者を乗り換えるなんてこと、できるはずがない!
添えられていた腕を強引に振りほどこうとしてバランスが崩れ、視界が揺らぐ。
頭から縁石に激突すると思ったとき、不意にロイドの顔が胸に過った。
ああ、あんな仕打ちを受けてもまだ、私は彼が好きなのだ。
ほんの一瞬、彼を思い出しただけで再び目頭が熱くなる。
いっそ、このまま頭を打ち付けて死んでしまえばいいのに。
そうすれば、彼も少しは憐れんでくれるかもしれない。
私はそんな願いを胸に、目を閉じた。