第一話 サラリーマンは生き残れるか?その参
どうもここの気候は、あての感覚と合っているようだ。
「あ!ウサギや!」
「なに!」
畑の間を縫って、肉食ウサギがこちらに向けて走ってくるのが見えた。
「くそう、後をついてきたのか。」
「チグリスさん、まかせて。」
あては、毛皮を地面に落として、棍棒を正眼に構えた。
さっきは動転していたから早く見えたが、落ち着いてみればたいしたことはない、師範のほうが数倍早い。
「ちぇええええ!」
待ち構えて、思い切りメンを打ち込む。
ウサギの速さは身切れてる。
「めえええええんんん!」
ぼこっとアタマが変形して、ウサギは血反吐を吐いて昏倒した。
その場からずざざっと滑る。
「な、なんというキレだ。おまえ、すごいなあ。」
「いやいや、相手が弱すぎるだけですやん~、ほら、一撃ですし。」
「そんなこたねえよ、こいつは油断すると成人の男でも喰われることがあるんだぞ、それを棍棒の一撃でアタマ割るなんて、ふつうはできねえって。」
あては首をひねって考える、が、どうせ知らずにやっていることだし、断片で判断しているにすぎない。
「ま、ええですやん。お土産が増えました。」
首に手をかけて、ヒノキの棒に縛り付ける。
あては、ウサギをかついで、町に向かった。
マゼランの町は高さ五メートルくらいの石壁に囲まれた九平方キロ程度の規模の町だった。
城壁の周りは、赤土で意外と草が生えてない。
少しでも魔物の手が引っ掛からないことを意識しているのだろうか?
城門はけっこう大きいものだった。
威嚇するように、せり出した柱がいかつい。
高さが一〇メートルくらいの石造りで、大きな馬車でも悠々とおれる。
城門の外側に向けて、鉄の門扉が持ち上がっていて、有事にはこれが降りるんだろう。
ロープをぶった切れば、即座に閉じるようになっている。
ここに土嚢や岩を積んで、魔物の親友を防ぐのだ。
両脇に窓口があって、門番が立っている。
門の両脇にはカウンターがあって、窓口に二人顔を見せている。
門番は前後に二人、出入りのチェックは特に厳しいこともない。
門番は親しげに声をかけてくる。
「チグリス、早いな。」
「ああ、こいつとウサギ取ってきたからな。」
「なんだ見たことない奴だな。」
「ああ、俺の知り合いの息子で、ユフラテって言うんだ、こんど田舎から出てきたのさ。」
あては、少し頭を下げる。
「よろしくお願いします。」
「ああ、よろしくな、ウサギが取れたのか。」
「ええ、自分から向かってくるのでありがたいですね。」
門番は少し驚いて聞いた。
「あ?ありがたい…だって人食いだっているウサギだぜ、草食だったらまだしも、そいつは肉食…」
「こいつは、剣士だからな、ウサギごときにゃ遅れはとらんさ。」
チグリスは俺の肩を叩きながら、兵士に笑って見せた。
門を抜けると一本道がずっと奥まで続いている。
土の道から、石畳に変わる。
かなりなめらかなんだけど、やはり轍は少しへこんでいる。
この辺は歴史を感じる部分だな。
正面には大きな石の洋館。
チグリスに聞いたら、領主の殿様の館だそうだ。
「へ~さすがに殿さまの館はおおきいんやな。」
さすがにメインストリートは石畳で敷き詰められていて、その両脇は商店がずらりと並ぶ。
歩道にも椅子やテーブルがせり出している。
「なるほど、賑わっているんやなあ。」
「ああ、周辺の小さい村なんかからも、市場に売りに来るしな。」
「へえ~。」
「職人街はこっちだ。」
メインストリートから左に折れると、塀の外周に沿って煙の上がっている家が並んでいる。
「この辺が鍛冶屋のギルドが固まっているところだ。」
「なるほど。」
そこそこいい家が並んでいる。
つたないながらも、石垣がきれいに組まれて、庭には木が植えられている。
刈り込まれた生垣なども張り巡らし、生活の基盤が高いことを示している。
土の道の両脇に、広い庭があって、その奥に工房兼住家が立っているのだ。
なにやら小さなガキどもが、棒を振り回しながら広場を駆けまわっているのがのどかさを漂わせる。
「ここが俺の家だ、まあ入れ。」
広場に面した一角に、チグリスの家があった。
「ええんかな?こんな得体のしれない忘れ病を。」
「ばかだな、その気がなきゃ森の段階で捨ててる。」
「それもそうやな。」
「おい、帰ったぞ。」
「おかえりーとうちゃん!」
中から、チグリスよりもまだ小さい女の子が出てきた。
家自体は、かなり大きい。
それもそのはず、鍛冶場も中にあって、職場と住居が一体化しているのだ。
ただし、一階の床は土の三和土で、あまり気にかけていない。
この辺はまだ発展していない中世の雰囲気なのだ。
このあと、バロックやロココになると、もう少し洗練されていく。
建築様式の変遷である。
パリのアパルトマンの楔が、やはり時代によって装飾が多くなる。(豆知識)
裏にはロバの厩舎と、その壁に荷車が立てかけてある。
使うときに倒して、ロバをつなぐのだ。
省スペースをねらっているのか?
中から出てきた女の子は、生成りっぽいシャツに茶系統のベスト、膝丈の半ズボン、自宅だからか足は素足でサンダルだ。
親父譲りの赤毛を、両脇で三つ編みにしてたらしている。
丸い顔は、人懐こくてかわいい。
愛嬌のある、人好きのする顔だ。
親父に似なくてよかったな。
「おまえいま、失礼なことかんがえただろう。」
「いやいや、そんなことは…」
「まあいい、チコ、客だ。こいつはユフラテって言うんだ。」
「…どうも」
あてのいいかげんなあいさつに、にこにこして答える。
「あ・はいチコです。いらっしゃい。」
小さな頭がぴょこりと下げられる。
「ほら、土産だ。こいつが獲ったウサギの肉だ。」
「あらまあ、ありがとう。今夜はシチューにしようか?」
「そうだな、ユフラテ、そこに座れ。」
チグリスが示したのは、背もたれのないイス。
でも、なんか足が短い。
座ってみると、足が余る。
「ありゃ?小さいな。」
身長一七〇センチ越えるあてには若干小さい。
テーブルも低い。
「まあ、イスなんて座れればいいさ。」
チグリスは、鷹揚にうなずいて向かいのいすに座った。
「そうだな、酒でも飲むか。」
「さけ?あては…」
俺の逡巡をどう思ったのか、チグリスは続けた。
「ああ?おまえんとこはどうだか知らんが、この国では一五過ぎれば成人だ、酒ぐらい飲んでもだれも文句は言わんよ。」
チグリスはがっはっはと笑った。
「ましてや、ウチはドワーフの家だぞ。ドワーフは八歳から酒を飲むもんだ。」
「へ~、そうなんや。」
「おう、酒はじめって言ってな、八歳の正月から酒を飲んでもいいって、昔からのしきたりだ。」
「へ~、ドワーフって自由やなあ。」
「自由?それがなんだか知らんが、そういうしきたりなんだからシキタリに従うのがドワーフだ。」
「なるほど。」
そう言っている間に、チコは酒の入った大きいジョッキを持ってきた。
木でできた、中ジョッキくらいの代物だ。
「三つ?」
「チコは十二だと言ったろう?呑んでもいい年だ。」
「そうか…」
小学生低学年にしか見えないチコが、中ジョッキをチグリスと俺に渡して、自分も持ち上げた。
「じゃあ、ユフラテの来訪を祝してカンパイ。」
チコも軽くジョッキを持ち上げてカンパイする。
中身は、薄いワインのような味がする。
かなり水っぽい。
「ふむ、去年は雨が多かったせいか、酒が水っぽいな。」
「ああ、やっぱりそうなんや。」
「酒精が少なくて水みたいだ。」
チグリスは、残念そうな顔でジョッキを見つめた。
「ふうん、蒸留すれば濃くなるのになあ。」
「じょうりゅう?」
「ああ、酒は蒸留するとむちゃくちゃ濃くなるんだよ。」
「へえ、その蒸留ってどうするんだ?」
「えっと、水より酒精の方が沸騰するのが早いよって、下から火であぶって、出てきた湯気を集めると、酒精のほうが水より早く湯気になるから、水が置いてきぼりになるんよ。」
「へえ!そりゃすげえ!いっちょこいつをやってくれよ。薄くってものたりねーんだよ。」
チグリスは、そう言う魔法があるのだと勘違いしている。
「いいのか?失敗すると損だぞ。」
「しっぱいするのか?」
「わからんし、なにせ道具をこれから作らなならんからな。」
「作るのか?」
道具と聞いて驚いたようだ。
「そうだ、チグリスは鍋が作れるか?」
「か?とか、だろうってのは、人を疑ってる言葉だぞ。作れるに決まってる、俺はドワーフの鍛冶屋だぜ。」
「そうか、じゃあ…」
あては、蒸留装置の概略図を地面に木の枝で描いた。
「ほえ~、なかなか難しいものを描くじゃねえか。」
「この細い管の部分が大事なんや、湯気を運んで冷やすと、こっちの口からしずくが出てくる。それを器で受けると濃い酒になってると言うわけや。」
「するってえと、ここに水を入れるのか?」
「そうだ、できるだけ冷やしたい。」
「ふうん、鍋の蓋はしっかり閉じないと湯気が逃げるな。」
「そうやな、なに、重りでも乗せれば逃げるのを止められるんやないか?蓋を木にしても使えるけどな。」
「うーん、まあだいたいわかった、やってみよう。」
「蓋から管にかけては、ものすごく薄いほうがええな。」
「そうか、じゃあ柔らかい銅のほうがいいかもしれんな。」
チグリスは、鍛冶場に入ってふいごを操作し始めた。
それを見ていて、あてはすることがないことに気が付いた。
「なあチコちゃん、このウサギを売りたいんやけど、どこに行けば売れるかな?」
あては、ウサギを持ち上げて、チコに聞いた。
「ウサギですか?冒険者ギルドか商業者ギルドで買い取ってくれますけど。」
「へえ~、ギルドなんてあるのや。」
「この町は、交易路の真ん中にありますからね、わりとそういうのはそろっているんですよ。」
「よし、ほな冒険者ギルドに行ってみよか。ウサギ、もったいないし。」
「じゃあ案内します、ここからだと分かりにくいかもしれないので。」
「ええの?」
「ええ、いいですよ。」
チコはにこりと笑うと、三つ編みを揺らしながら玄関を出た。
土の道と言うとなんだが、両脇には木が植えてあって、その向こうに家が建つと言う木陰が涼しいいい感じの道だ。
意外と広々とした感じで、街路樹の向こうに前庭があって、その奥が住居と言うビバリーヒルズのようなしつらえ。
「職人街は、わりと優遇されているんです、生活にかかせない地域ですから。」
だから大きい道は石畳で舗装されているのか。
「ふうん、じゃあ商人たちは?」
「お店のご主人なんかは大きな家に住んでいますよ、使用人は集合住宅か小さな家が集まった居住区ですね。六割はそんな感じですよ。」
「なるほど、ここの町長さんは?」
「町長?地区ごとに責任者はいます。」
チコは、正面の大きなお屋敷を指さした。
「大きな屋形は、お殿さまですね。王国のご領主さまは伯爵さまで、マゼラン様と言います。この町の一等真ん中にすごい大きなお屋敷を持っていますよ。」
「ふうん、石畳が敷いてあって、立派な道だよね。」
「あそこの真ん中を通っていいのはご領主様か、王様だけですね。みんな端っこを歩きます。荷馬車もそんな感じです。」
「ふうん、さすがに差し渡し三〇メートルはあるもんな、それでも余裕か。」
「よゆうですねえ。」
冒険者ギルドはそのメインストリートをはさんだ向かい側にあった。
昼間だからか、あまり人の出入りは見られない。
一階は石造りで、二階は木造だ。
結構大きいぞ。
その他の商店にはいろいろな人が出入りして、かなり商業的に発達した様子が見て取れる。
「この向こうの広場には、毎日市が立ちます。ほとんど昼ごろには売れてしまうので、遅くまでやっているのは立ち食いの屋台ばかりですね。」
「なるほど、煙が見える。」
「ええ、ケバブーとか、焼き鳥とかおいしいですよ。」
「へ~、金ができたら食べてみたいな。」
「そうですね、あとでのぞいてみましょう。」