第一話 サラリーマンは生き残れるか その弐
ちくしょう、なんなんやこいつは。
が、深く考えるのはよそう。
どうせ、すぐに思い出せるもんでもないんやさかい。
そうして、ヘタレているとがさがさと、草をかきわける音がして何かが来る。
すわ!またウサギか!
あては、身構えながら今落とした木の棒に、そろそろと右手を伸ばした。
しかし、藪から現れたのは、四〇がらみのずんぐりした男…
人間なんか?
背がちっさい、一四〇センチそこそこしかない。
パッと見小学生かと思ったが、髭がごわごわと顎を覆っている様子はおっさんだろう。
それがものすごい勢いで藪から飛び出してきたのだ。
「なにしてんだおめえ。」
シブい、森山周一郎みたいな渋さで、テリーサバラスを彷彿とさせる。
(刑事コジャックさんだな。)
シブいわ~(笑)
「おい、なんでもいいからさっさと逃げろ!シャドウウルフだ!」
「はあ?なんだそれ?」
「なんでもいい!喰われたいのか!」
あては棒を握って立ち上がった。
「んなわけねえ!」
ウサギはその場で棄てることにした。
イノチ有ってのモノだねだ。
がさがさ!
「ヤバい!」
男は山刀みたいなものを構える。
おれも棒を握りしめた。
「がう!」
茂みからは、真っ黒なハスキーみたいなやつが飛び出す。
でけえ!
頭からケツまで二メートルくらいはあるぞ!シッポ別!
「ちくしょう、やるしかないやん…」
「若いの、ウルフは仲間を呼ぶ、一撃で殺せ。」
「あ、ああ…」
アングロサクソンみたいな顔してはるけど、背ェが小さい。
あては、ウルフから目をそらさずに身構える。
「があああ!」
凄まじい咆哮と、ヨダレをまきちらして跳びかかってくる。
「こなくそお!」
真正面に立ち、思い切り棒を振り下ろす。
がきいいいん!
ちょっと生き物を叩いたとは思えないような音がする。
相当固い骨だな。
「ごわああ」
ウルフは、まだ立っているが、足元がよろよろしている。
「おっさん!喉や!」
「おう!」
山刀は、ずばっとウルフの喉を切り裂いた。
ウルフは声も立てずにその場に崩れた。
「やるじゃねえか、若いの。」
「無我夢中どした。」
「それで、なんだってこんなところで座ってたんだ?」
物腰は多少粗野だが、人懐こそうなおっさんだ。
「はあ、ウサギに襲われましたん。」
あては、棒を持って立ったまま答えた。
「襲われましたって…やっつけてるじゃないか、アタマカチ割ったのか。いい腕じゃないか。」
小さいおじさんは、ウサギを覗き込んで笑う。
「いやもう夢中で…ここではウサギが人を襲うんどすねえ。」
「まあ、お前さんはひ弱そうでほそっこいからなー、ウサギも簡単だって思ったんじゃないか?」
「そうですかー、こいつ肉食どんな。」
「ああ、ひどいときは赤ん坊だって喰われちまう。」
おじさんは、山刀でウサギをつついた。
「油断のならないやつさ、よくもまあ棒切れ一本でやっつけたもんだわ。」
小さいおじさんは、ウサギの耳を持って立ち上がった。
「それで、なんやてウルフにおわれてはったん?」
「おう、こっちへは鉱石を探しに来たんだよ。」
「鉱石?」
「ああ、この辺は昔星が落ちたところでな、たまに好い鉱石があるんだ。」
「星が落ちた…」
「まあな、ウサギにしろウルフにしろ、もっと向こうで出るもんなんだが。」
「そうどすか、そら災難やったねえ。」
「なんだよお前、王都の花街の人間か?」
「へ?」
「なにやらなよなよした花街言葉だぞ。」
「ようわからしまへんにゃ、自分が誰かもわからへんし。」
「はあ?なに言ってんだ?俺はチグリスってんだ、お前は?」
「わからへんのどす、あて、どこのだれなんやら…」
「なんだそりゃ?忘れ病かなんかか?難儀だなあ、じゃあユフラテだ、お前がよっかかってる木の名前だ。」
「ユフラテ…はあ。」
「まあ、思い出すまでの仮の名だ、なんだっていいさ。」
小さいチグリスおじさんは、からからと笑う。
「おおかたアタマぶつけたかなんかで、一時的に忘れたんだろうさ。」
「そうどすか?」
あてもわからへん。
「これ、喰っていいか?」
チグリスは、ウサギをもち上げて聞く。
「ああ、そうどすね、あても腹が減った。」
チグリスは、ウサギを木の枝につるして血を抜く。
背中のカゴから大ぶりなサバイバルナイフみたいなのを取り出して、ウサギの皮をはぎはじめた。
うわ~、スプラッタだわ~
ないわ~。
「こうして吊るしておけば、帰るまでに乾く。」
ウサギの皮は、きれいにむかれて木の枝に吊るされた。
さらにチグリスは、枯れ枝を集めて火を起こす。
「あれ?それどうやったんどす?」
いま、チグリスはなにをした?
「ん?これか?お前見たことないのかよ、着火の魔法。」
「ちゃ、着火の魔法?知りませんよ。」
「ふうん、田舎もんなのかね?こんなことだれでもできるぞ。」
「そうなんどすか?」
「要はイメージとタイミングだ、ほれ、こう。」
本当にチャッカマンのように、指先から小さな炎が噴き出した。
「へえ、すごおすなあ、あてらなんか魔法使える奴なんていてへんかったからなあ。」
あては、ぼそりとつぶやいた。
「ほう、お前の村では魔法使いがいなかったのか?」
あてはうなずいて言う。
「ああうん、三〇まで童貞だと魔法使いになるって、ばあちゃんが言ってたような…」
「うひゃひゃ、そら別のまほうつかいだぁ。」
木を削った串に刺したウサギの肉は、鶏肉のような歯触りで、鶏肉よりずっといい匂いがした。
チグリスは、それに塩を振りかける。
塩味だけなのに、このうまさは反則だろう。
「うま!」
「そらまあ、とりたてをさばいたんだから、うまくて当たり前だ。」
「あ~、生き返るわ~。」
肉食ウサギは、予想をはるかに超えてうまかった。
「この皮はおまえのもんだ、持って帰って売ればなにがしかの金になる。」
「ホンマですか?でも、チグリスが剥いだのに。」
「ああ、ワシは昼飯にありついた、それで十分だ。」
「ほな、この残った肉は、チグリスさんの取り分で。」
「そうか?いいのか?」
よろしおす、で、マゼランの町ってどっちにあるんどす?」
「ああ、じゃあマゼランまで連れて行ってやるよ。」
体一つの無一文、持っているのは肉食ウサギの毛皮のし。
歳もわからず、名前も知らず、男二人の帰り道。
あては、用心のためさっきの棍棒を持って歩くことにした。
ウサギの皮を通して肩に担ぐのにもちょうどいい。
チグリスは、背中にしょった籠の中に、ウサギの肉を木の葉でくるんで入れている。
「チグリスさんは家族は?」
「ああ、娘が一人いる、ヨメはけっこう前に死んだ。」
「そうどすか…」
「まあ、産後の肥立ちが悪くてな、あっけないもんだ。」
「…」
「ま、暗くなるなよ、ただし娘って言っても、まだ一二では子供もいいとこだ。家事全般は仕込んであるが、外に出すのははばかられる。」
「どねえして?」
「俺たちは、見てのとおりドワーフだ、ドワーフはドワーフと一緒になる。ほかの種族とは一緒になれんのだ。」
「そういうもんどすか。」
「うむ、鍛冶師としても、秘密の技術が多いしな。」
「へえ、チグリスさんは鍛冶師なんや。」
「ああ、今日もいい石を探していたんだ。」
「じゃあ、こんなに早く帰っちゃ損ですね。」
「ばーか、お前がそれを言うな。ま、昼飯代だ、気にスンナ。」
なるほど、スローライフなもんやな。
ぽくぽくと歩いて三〇分くらい、まだ陽は高い。
中点から少し下がったくらいで、日差しに汗ばんでくる。
森は唐突に途切れて、目の前には見渡すかぎりの畑。
キャベツみたいなのが一面に並んでいる。
向こうは麦のようだ。
広い、うねるような地面に沿って畑が広がり、その向こうにとんがった塔のようなものが見える。
でも、畝が切ってないんだよな…
なんだこの畑…
「あの塔は?」
「あれは教会の鐘つき塔だ、マゼランの町の中心だな。」
町の手前の丘のてっぺんに来ると、はるか向こうに連なる山々がうっすらと見える。
「は~、山が遠いですねえ。」
「ああ、あの山まで行こうとすると、馬車でもひと月かかる。」
「へえ~、すっごく遠いんですね。」
「まあな、ここはあのマックスウエル山脈にぐるりと囲まれているのさ。」
「へー、マックスウェル山脈…どこかで聞いたような?」
「思い出せそうか?」
「いや、ぜんぜん。」
がくりと肩を滑らせるチグリス。
「こあそこに見えるのがマックスウェル山、この大陸で一番大きい山と言われている。」
「へ~、イシュタール王国…古そうな名前やなあ。」
「うむ、この辺では一番古いな。だいたい五〇〇年ぐらい続いている王国だ。」
「じゃあ、軍隊が強いんやな。」
「それもある、ただ、農業が盛んで食い物に困らないのがいいんだ。」
「へ~、あの町は?」
「町の名前はマゼラン。人口は二万人もいるんだ。」
「二万人?小規模な町だなあ。」
「小規模っておまえ、首都のアフロディーテですら一五万人だぞ、二万ていやあ五番目に大きい街なんだから。」
「へえ~、国全体ではどのくらい人がいるんですか?」
「確かなことは知らんが、五百万人くらいだな。」
なんやその地方都市レベルの人口は。
「ちなみに今はイシュタル歴で五一二年六月だ。」
昔のえらいさんはハクつけるためにけっこうデマ言ってはるからなあ、正式には半分くらいかもしれんなあ。
でもまあええわ、六月ってことはあったかいからマシやな。