longing eyes
「全然変わらないな」
冬日和の下には閑散とした海岸が広がっている。
この景色を見ると、あの日のことを思い出す。肌を刺すような三月の海の冷たさは、ちょうど十年たった今でも、鮮明に覚えている。
高校の卒業式の三日前の出来事だ——。
卒業式練習のために朝から三年生は体育館にいる中、私は忘れ物のために一人教室へと戻っていた。
扉は空いていたので、そのまま中に入ると少し埃っぽい匂いがした。
教室内には、列の乱れた机、消し後の残る黒板と、カーテンの隙間から零れる光に照れされて一人ぽつんと席に座っている後姿が目に映った。
よく見るとクラスメイトの新田陽凪さんだ。
彼女とは、話したことはあまりないが(そもそも、ほとんどのクラスメイトと話したことがないけれど)
冷徹女と揶揄される私――初瀬澪とは正反対の快活な性格で、クラスでも人気者の一人ということくらいは知っている。
そんな子が、一人で何しているのだろうか。
「具合でも悪い?」
急な私の問いかけに彼女の肩が跳ねる。
「びっくりした。もう、驚かさないでよ初瀬さん」
振り返った彼女は、頬を膨らませて私の名前を呼ぶ。
「別に驚かそうと思ってしたわけではないけど」
「うそうそ、冗談! 元気ばっちり!」
「体調のほうは大丈夫のようで何より。なら私はもう行くわね」
「あ! 待って!」
私が教室を出ようとすると、後ろから腕を掴まれた。振り返る私に彼女が言った。
「……今から一緒に抜け出さない?」
彼女らしからぬ言葉に驚く。
今まで怒られるようなことなどしない私だ。普段なら絶対に断るだろう。
それでも、何故かこの提案だけは断ってはいけない気がして、私は思わず頷いてしまった。
――結論から言うと、学校を抜け出すのは拍子抜けするほど簡単だった。
もちろん、罪悪感だけではなく、高揚感もあった。私にこんな一面があったとは驚きだ。
「さて、見つからずに抜け出せたはいいけど、この後はどうするつもり? どこか行きたいところとかあるのかしら」
私は、立案者である彼女にこの先の考えを聞くと、彼女は「どうしようね!」と思いもよらぬ言葉を返した。
「まさかノープランで出てきたわけ?」
「えへへ、お恥ずかしながら」
そう言って笑う、彼女の言葉が私にはどうも本心とは思えず。
「嘘ね。どこか行きたいところがあるんでしょ?」
カマをかけてみた。
「初瀬さんにはわかっちゃうんだね。私、海みたんだよね~」
「やっぱりあるんじゃない。ここからとなると江の島とかかしら?」
「江の島! いきたい!」
目的地も決まり、私たちは駅に向かった。
改札を通って電車へ乗り込む。
平日の昼間の電車は当然ガラガラで、乗り込んだ車両には私たちの他に数人いる程度だった。
「うち、家に帰るのは反対方向だからこっち方面の電車乗るのめっちゃ久しぶり!」
「私もよ」
「えー、じゃあウチら帰る方向一緒だったんだ! 知らなかった!」
「当然よ。全く話したことないもの。私たち」
「でも、卒業する前に話せてうれしい! ねぇ、澪ちゃんって呼んでもいい?」
好きにしていいと返すと彼女は喜んだ。
「じゃあ、澪ちゃん! あらためてよろしくね。ウチのことは陽凪でいいから!」
「よろしく。新田さん」
「つれないなぁ」
電車に乗って二十分程経っただろうか。
はじめは「ほぼ貸切みたいだね!」とはしゃいでいた新田さんも、今ではおとなしく電車に揺られていたところ、不意に口を開いた。
「ごめんね、こんなことに付き合わせちゃって」
バツが悪そうに彼女が呟く。
「止める選択肢だってあった。一緒に行くって決めたのは私だもの。共犯よ」
「共犯……。なんかいい響きだね」
「そう?」
「本当にありがとね、一緒に来てくれて」
そう言って笑う彼女が、なんだか触れたら壊れてしまう繊細なガラス細工のようで私はたじろいでしまった。
同時に、こんなに真っ直ぐな彼女が、学校を抜け出すに至った理由が気になった。
「……どういたしまして」
彼女に目を落とすと、安心したのか私によりかかるように眠ってしまっていた。通りで肩が重いわけだ――。
ふと気がつくと、電車は乗り換えをする駅に着いていた。
どうやら私も眠っていたらしい。
「新田さん、着いたわ。乗り換え」
眠い目を擦る彼女を引っ張って、電車を乗り換えると、三駅ほどで目的地に着いた。
「ごめんね! 肩、重かったでしょ!」
完全に目が覚めたのか、すごい勢いで謝る彼女に「大丈夫よ。気にしないで」と返した。
実は、お互いに寄りかかって寝ていたことに目が覚めて気づいたのだが、恥ずかしいので黙っておいた。
改札を出ると、ほのか磯の香りがする。
「とりあえず、海岸におりよう!」
スマホのマップアプリに従って数分歩くとすぐに海岸に出られた。
「海だー!」
海を見るなり、新田さんが走る。
「ちょっと新田さん! 走ると危ないわよ!」
後を追う私のほうが、転びそうになる。
「うぅ~~超寒い!」
それもそうだ。今は三月。たとえ雲1つない晴れだとしても極寒だ。
制服の私たちは、下半身の防御力は皆無。海風が吹いた時には、もはや冷たいを通り越して痛い。
「これ、海に入ったら死んじゃうね」
いつの間にか、波打ち際まで移動していた灰田さんが、海水に触れて言う。
「当り前よ。今の時期が一年で一番海水温度が低くなるのよ」
「そうなの⁉ 澪ちゃんは博識だね!」
波打ち際に沿って歩き始める彼女。赴くままに進む彼女の三歩後ろを私はついて歩いた。
「実はね。ずっと澪ちゃんに憧れてたんだ~」
「私に?」
「そう。澪ちゃんっていつも一人じゃん?」
「馬鹿にしてる?」
「してないよ。一人だけど、それを苦だとも思わない。ウチにはそれが凄く気高く見えたんだ」
「……そう」
無言で歩く時間が続く。
「ねぇ、卒業式にでなければさ、ずっと高校生のままでいられたらいいのにね」
「そんなわけないじゃない」
彼女がぽつりと漏らした言葉に私は笑った。
「やっぱりそう思うよね。でも、ウチは本気でそうだったいいのにって思ってる」
私の前を歩く彼女が立ち止まる。私も歩みを止めた。
「だから考えたんだ高校生のままでいられる方法を」
「どういうこと?」
彼女が振り返った。
彼女の顔は最初に、私に提案したときと同じ、今にも崩れそうな笑顔をしていた。
私は心臓の鼓動が早まったのを感じた。
「だからね、今日で終わりにすればいいんだって」
一瞬、波の音すらなくなったと思うほど静寂。
そして、彼女は続けた。
「澪ちゃん。一緒に死んでくれない?」
彼女は本気だった。今日初めて喋った程度の仲だけど私にはわかる。だから真剣に答えた。
「……一緒には行けない」
私が断ると、一瞬悲しそうな顔をした。
「そっか。そうだよね! ここまで来てくれてありがとう、ウチ……一人で行くね」
私に背を向けて海へと入っていく。
「待ちなさい、新田さん! 待って!」
私の言葉では彼女は止まらない。
すでに膝上まで海水に浸かっている。
「もう!」
追いかけて私も海に入る。劈くような冷たさだ。
「待ちなさいったら!」
進む彼女の腕を掴む。
「離してよ!」
「離さない!」
声を荒げ、私の手を振り払おうと暴れる。
「わたし、自分のことがずっと嫌いだった。自分の意見を言えないところも、他人の顔色をすぐ伺うところも、みんなにいい顔しようとするところも!」
彼女は続ける。
「わたしは、澪ちゃんみたいに強いひとになりたかった! わたしの気持ちなんかわからないくせに止めないで!」
そんな風に思っていたなんて、私は知らなかった。
だから、私は1つの誤解を解くことにした。それは、彼女を止めることにもつながるだろう。
「……確かにわからないわ! だって今あなたが短所のように挙げたところ全部、私が羨ましく思うことだもの!」
それは誰にも言うはずのなかった私の本心だった。
「私だって新田さんのようになれたらって何度考えたか分からない!」
彼女の頬に伝う涙にも気にせず、私は彼女の手をとった。
「知ってた? 私ね、教室で貴方のことよく見てた」
首を横に振る彼女。私は少し安堵し、話を続ける。
「貴方は私が無いものたくさん持ってた。私も貴方になれたらと思ってた。ねぇ、新田さん。いいえ……陽凪。私と友達になってくれない?」
私の言葉に、こくりと頷く陽凪。
「ありがとう。私の唯一の友達ね、誇ってもいいわ。だから、友達が悲しむことはしないで」
「……うん」
冷たい足元とは裏腹に、私の心は暖かかった。
彼女もそうだと私は嬉しい。
——あれからちょうど五年。
あの日と変わらない海を見る私の後ろから「おまたせ~!」と、いつもと変わらない親友の声が聞こえた。
お読みくださりありがとうございます!
「エモ」をテーマとした短編です。
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これからどしどし執筆していきますので、よろしくお願いいたします!