花の町
いつもと書き方変えているので読みにくいかもしれません……すみません。
ふと、目が覚めた。いつの間に眠ったのだろうと不思議に思いながら周囲を見回すと、自分がどこにいるのか分からなかった。見た事の無い景色、見た事の無い人が歩いている場所。町中だという事はすぐに分かったのだが、どうして町中で眠っていたのかは分からない。町の片隅に置かれたベンチに腰かけ、そこで眠っていたようだ。
ここはどこなのだろう。至極当然な疑問を胸に、少しの不安を抱きながら立ち上がる。日本の景色ではない、どこか外国の町並みのように見える。SNSを眺めている時に見かけた、ヨーロッパの、石畳の道が伸びた綺麗な町に、不安だった心は少しだけ浮ついた。ここがどこだかは分からないし、どうしてベンチで眠っていたのかも分からないが、きっと夢を見ているのだろうと結論付けて、コツコツと靴音をさせながら歩き出す。
「どこ行くつもり?」
ふいに背中から掛けられた声に、びくりと肩が揺れた。ベンチで眠っていた時は誰にも声を掛けられなかったのに、今になって声を掛けられた事に驚いたのだ。恐る恐る振り向くと、そこには不機嫌そうな顔をした少女が両手を腰に当てて立っている。真っ黒なセーラー服を着た少女は、眉間に深々と皺を寄せながら、ツカツカとこちらに歩み寄ってきた。
「あの……誰?」
「何言ってるの?親友の顔も忘れる程寝ぼけてるわけ?」
親友、という言葉に胸がざわめく。まじまじと少女の顔を見ているうちに、彼女の名前が綾崎湊である事を思い出す。何故一瞬でも忘れていたのか分からない。大好きで、いつも連絡を取り合い、しょっちゅう顔を合わせている親友だというのに、まさか名前を忘れてしまっていたなんて。そんな自分に少し狼狽えながら、申し訳ないと一言詫びた。
「全く……沙耶、たまにそういう時あるから」
湊は大きな溜息を吐き、やれやれと肩を竦めてにんまりと笑う。どうやら機嫌を直してくれたようだ。いつもそうだ。彼女は少し怒ったかと思うとすぐににんまりと微笑み、楽しそうな事を見つけては、あっちに行ってみよう、やってみようと誘ってくれる。そんな湊が大好きだ。
「で、どこに行こうとしていたの?」
「……分からない」
「分からないって……まあ、目的も無くフラフラと散歩するのも楽しいものだよね」
少しだけ呆れたようだったが、湊はすぐに頷きながら、沙耶の手を取って歩き出す。
どこに行くのかは分からない。自分の名前と湊の事は分かるのだが、今歩いているこの場所がどこなのかは、未だに分からないままなのだ。ここはどこ?なんて変な質問をしてしまったら、今度こそ変な目を向けられる。そんな気がして、口にする事が出来なかった。
「わ……」
ここが何処なのか思い出そうと、沙耶は歩きながら周りに視線を走らせていた。建物の全てが花で彩られ、歩いている人々も服のどこかに花を飾っている。それどころか、空から降ってくる花から逃れるように傘を差している女性までいる。
「あれ、どういう手品かな」
「え?ああ……花が降っているだけでしょ?別に何も不思議な事無いじゃない」
何を言っているのか理解が出来なかった。それは湊も同じなようで、お互いに顔を見合わせてきょとんとしてしまう。沙耶の常識では花が空から降ってくる事なんて無いし、湊の常識では花が降ってくるのは当たり前の事。互いの常識が噛み合っていない事が何だか怖くなり、沙耶はそっと湊の手から逃れるように一歩下がる。
「花が空から降るなんて、普通じゃないよ」
「何言ってるの?普通だよ。忘れられていない証拠でしょ?」
腕を組み、怪訝そうな顔をしている湊は少し苛立っているように見える。沙耶はまた周りを見回すと、一軒の家に降り注ぐ大量の花に気が付いた。あれは何だ、どういう事だと口を半開きにしていると、今度は呆れ顔の湊が「ああ」と小さく声を漏らした。
「あそこ、来週まで近付かない方が良いよ」
「何で?」
「何か超有名な歌手が住んでるんだって。その人の命日だから、いつもより花の量が増えるから……歩けたもんじゃないよ。去年見たけど凄かった」
命日だから花が降るとはどういう事か、湊に聞くため口を開こうとした。その瞬間、沙耶の頭に思い出したくない記憶が蘇る。
棺の中で眠っている湊の姿。真っ白な着物を着せられ、沢山の花を入れられて埋もれていった。蓋を閉められ、それが永遠の別れとなった。どれだけ泣いても、後悔しても忘れられない記憶。それは、大好きな親友である綾崎湊との別れの記憶だった。
「……思い出せた?」
「湊」
ボロボロと涙が溢れて止まらない。どれだけ望んでも二度と会えないと分かっていた筈なのに、どういうわけだか今目の前で大好きな親友が困ったように笑っている。ずっと会いたかった。もう一度だけでも良い、手を繋いで歩きたかった。
「あ……あ、の、湊……」
「はは、泣かないでよ。私の葬式の時もめっちゃ泣いてたよね?」
ちゃんと見てたよと笑った湊は、ちいさく笑う。彼女は生きる事に執着していない人だった。若くて綺麗なうちに死にたいとも言っていた。だから、彼女が死んだ時は悲しいという気持ちは勿論あったが、望みを叶えたのだと思った。置いていかれた人間は深い哀しみに落ちてしまったが、それでも彼女は、綾崎湊は若くて綺麗な姿でこの世から姿を消したのだ。
「あー……お母さんだ」
ハラハラと、湊の頭上に花が舞う。涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔で空を見上げた沙耶は、ピンク色の花がゆっくりと落ちてくる光景を目の当たりにした。どうして空から降ってくるのかは分からない。だが、その花はとても可愛らしく、湊によく似合っているように思えた。
「お母さんさあ、いつもこの時間に手を合わせてくれるみたいなんだよね。だから、毎日この時間になると花が降ってくるの」
「何で、花が降るの?」
「思い出してもらえると、花が降るんだよ」
へらりと笑った湊は、簡単に纏めて話してくれた。現世で故人を思い出してくれた人がいると、あの世で故人の上に花が降るのだと。だからこの町は花で溢れており、思い出してくれる人が多ければ多い程、降ってくる花の量も増える。命日になると思い出してくれる人が増えるから、有名人の命日が近くなったら、その人の家には近付かない方が良い。そこまで話した湊の上には、今度は白い花が落ちてきた。
「今度は圭太さんだ。今日記念日だから思い出してくれたのかな」
「圭太さん、今でも湊の事大好きだよ」
「へへ、知ってる。お母さんと圭太さん、毎日思い出してくれてるよ」
湊が生きている頃、圭太という名の恋人がいた。彼の事は沙耶も知っており、湊が亡くなって数年経った今でも深く彼女の事を愛している。それが嬉しいと、湊は照れ臭そうに笑った。
「沙耶からの花も降ってくるよ。思い出してくれてありがとう」
ハラハラと降ってくる花を浴びながら、湊は嬉しそうに目を細めた。長い黒髪に真っ黒なセーラー服という、黒ずくめな姿にピンクと白の花がよく映える。未だ止まってくれない涙を必死で手の甲で拭い、沙耶はその姿を目に焼き付けようと湊を見つめた。
「こっちには、まだ来ちゃ駄目」
「何で……」
「私を飾る花が減っちゃうでしょ。だから、まだ生きて」
トン、と湊が沙耶の胸を押す。そう強い力ではないはずなのに、沙耶は耐える事が出来ず、ぐらりと体を傾がせる。手を伸ばし、何かに掴まろうとしているのに、指先は何かに触れる事も出来ず、空を切った。
「……、沙耶!」
ハッと意識が浮上すると、目の前には真っ白な世界が広がっていた。ゆっくりと視線を動かすと、視界いっぱいに広がっていたのは天井で、見知らぬ部屋の中だという事を理解した。鼻を突く消毒液の匂いと、あちこちで聞こえる慌ただしい声。自分の名前を呼んでいたのは、涙で顔を濡らしている母なのだと理解し、掠れた声で母に詫びた。
「駄目って、言われたの」
誰に言われただとか、何を考えているのだとか、母は泣きながら怒っている。呼ばれてきたのか、医者らしき男性が色々言っているが、今の沙耶は頭がぼうっとして返事を考える事も面倒だった。
何をしていたんだっけ?あの綺麗な町は?湊は?花は?あれこれ考えてみたのだが、思い出せたのは家中の薬を酒で流し込んだ事だけ。どうして二十代で亡くなった湊がセーラー服を着ていたのか聞きそびれた事を思い出し、何だか無性に気になって落ち着かない。
こんな思い出し方でも、湊の頭の上には花が降るのだろうか。死者が住まうあの町で、真っ黒なセーラー服姿をした彼女の上に、今はどんな花が舞うのだろう。命日に花を供えたいと連絡をしたら、湊の母は迷惑に思わないだろうか。
「聞いているかな?」
「……花が、降っているので、少し待ってください」
「は……」
ハラハラ、ハラハラと、少し不思議なあの少女の頭の上には花が降る。夏になったら大輪のひまわりを降らせる事が出来たなら、彼女は何をするんだと怒るだろうか。それとも腹を抱えて笑うだろうか。そんなどうでも良い事を考えて、沙耶は静かに目を閉じる。眠るなと肩を揺する医師の声は無視をして、あの美しい町を思い出す。またいつか、あの町に行く事が出来た時、あの姿の親友が出迎えてくれる。そんな気がした。
「故人を思い出すと、故人の上に花が降る」という話を昔どこかで聞いてから忘れられずにいます。
でも調べてもそういう話がある宗派とか出て来ないんですよね……どこの考え方なんでしょうね?素敵なのでどこでもいっか。以前投稿した「おやすみ、さよなら、また来世」を読み直して思い付いた話です。