【完結】断頭台で魔女は笑う
美しい秋晴れの空の下。人々は断頭台に登る一人の少女を好奇の目で見ていた。
その少女の名前はララ・フォンテーヌ。つい三日前までこの国で皇室の次に高貴な存在、フォンテーヌ公爵家の長女だった人だ。
社交界であれほどまでに美しく華やかだったララは見る影もなく、その頬はやつれ、綺麗だった黒曜石のような髪は梳かしていないのかボサボサ。透き通る水色の瞳は一切の光が無く虚ろで、生気がない。
そんな落ちぶれた高嶺の華を見て、その場にいた下流貴族は野次馬気分。中流貴族は怯え、上流貴族は気まずかった。
だって、彼女が罪を犯していないことはこの場の誰もが知っている。それでもここには彼女を助ける者はいない。
『魔女狩り』
それは忌まわしい悪霊と契約したとされる人間が人々に害を与えると信じられ、処刑されること。
しかし、結局のところそれは政治的な問題に巻き込まれた無実の人間が殺される、娯楽的なイベントでしかなかった。
どれだけ誠実に生きていても、権力を持っている人間が「あいつが魔法を使うところを見た」と言えばたちまちその人物は魔女にされてしまう。
ララ・フォンテーヌもまた、そのいざこざに巻き込まれた一人に過ぎないのだった。
「進め」という処刑人の言葉に従って彼女は断頭台に震える足でふらふらと歩みを進める。
その強ばった表情からは死への恐怖、焦点の合わない泳いだ瞳からは見せしめへの屈辱と怒りが見て取れた。
(怖い......苦しい、誰か助けて......)
やっとのことで断頭台の前にたどり着いたララは群衆の中で、一人の少女と目が合った。
その姿はララと同じ黒髪。華奢で可愛らしい雰囲気を持ち、この場に似つかわしくない少し派手な宝石とドレスに身を包んでいる。
少女の名前はポーラ、今から処刑されるであろう人物の”妹”だった。
(ポーラ......!)
ポーラは扇子で顔を隠し、表では処刑される姉を悲しむフリをしながらも涙は出ていない。
まさかその扇子で姉の死を喜ぶ表情を必死にかくしているだなんて、一体この場にいる誰が予想出来ただろうか。
「これより、ララ・フォンテーヌの処刑を執り行う。彼女は醜く、愚鈍な魔女だ! その証拠に大切な妹であるポーラを虐め、その命を奪おうとした。よってここで首を刎ねる」
「殿、下......」
「おっと、お前に俺をそう呼ぶ資格はもう無いぞ? お前が俺の婚約者だったのはつい三日前までだったんだからな。さあ処刑人、やってくれ」
そう言ってパトリス皇太子殿下はちらりとポーラの方を見る。
妹が新しく彼の婚約者になったということを聞かされたのはつい昨日のこと。
薄暗く、鼠や虫のはう牢屋で食事もロクに与えられなかった元婚約者にパトリスは嬉しそうに語った。
彼女の傷ついた心も、プライドも、人権さえも無視して。
ララ・フォンテーヌはただ、不運なだけだった。
――彼女を魔女に仕立てあげた張本人、それは他ならぬパトリスとポーラだ。
女にしては優秀だった彼女をパトリスは気に入らず、邪険に扱い、あろうことか妹のポーラと浮気を始めたのである。
両親は皇后になれればどちらでも良いと、無情にもララのことは顧みなかった。
その結果、外聞が悪い婚約破棄の代わりに彼女を魔女として差し出すことで丸く収めようという訳だ。
ララは努力した。どれだけ酷い差別に遭っても、決して婚約者という立場を投げ出さず、パトリスと共にあろうと長い間自らの時間を犠牲にして、厳しい妃教育も苦手な社交界も逃げずに全て向き合ってきた。
それなのに、彼女の努力は虚しく今はこうして断頭台に立っている。
「私は、魔女じゃ......ない」
ララの悲嘆も虚しく、仮面を付けた背の高い処刑人が彼女の首を台に固定した。その不気味な仮面の隙間からニヤリと上がった口角が見えても、もう何の感情も湧かなかった。
そうしてその刃が落とされた瞬間、肉親に悲しみを向けていたはずの妹は口の形だけで姉にこう言った。
『ば か な お ね え さ ま』
ゴトリ、と人間だった者の頭部が地面に転がり落ちる。
その言葉の意味を理解したが最期、ララの一生は呆気なくそこで終わりを迎えるのだった。
その後、見せしめのために放置されていたララの死体が消えていることに兵士が気づいたのは、彼女が殺されてから約十六時間後のことである。
兵士からの報せを聞いたフォンテーヌ公爵一家と皇族、宰相たちは、王宮の応接間にすぐさま集められた。朝早く起こされたこともあってパトリスとポーラは不機嫌を隠せない。
ピリピリした雰囲気が辺りに漂うなか、宰相が思いきって二人に話を切り出した。
「パトリス殿下。今朝、ララ様の死体がなくなっていたそうですが......」
「ああ、そうなのか。ふっ、まあどこかの物好きが持っていったんじゃないか? それにしてもポーラとの結婚式の日程が迫っているというのに、まさかそんなことで起こされるとはな」
パトリスは、元婚約者に対してとは思えない言葉を吐き捨てる。唯一ストッパーだった皇帝陛下が病に伏せてから更に輪をかけて傲慢に振る舞うパトリスに意見できる者は、この国にはもう誰もいなかった。
「そうですわ、もうお姉様のことはいいではありませんか。皆様は私と殿下のことだけ心配してくだされば良いのですわ。ね? お父様、お母様?」
そして既に皇后になったかのような口調でポーラは両親に同調を求める。
その問いかけに、フォンテーヌ公爵と公爵夫人は意志を持たない人形のように薄笑いを浮かべて頷くだけだった。
ポーラがここまで自分本位に育ったのも彼らの気弱な性格のせいでもあるのだろう。
パトリスは公爵たちの態度を鼻で笑うと、ララの悪口を堂々と語り始めるのだった。
「しかし......あのお高くとまった魔女がいなくなったと思うと清々するよ。でも俺はあいつに感謝しなきゃな。だってあいつのおかげで、本当の運命に逢うことが出来たんだからね」
「きゃあ、殿下ったら! 私もお姉様には感謝しているけど、欲を言えば死体が晒されてるのをもっと見たかったですわ。カラスに食べられていたりしたら本当に見物だったのに。ねえ! 皆様もそう思うでしょ?」
「は、ははっ......そうですな」
「ま、全くその通りですね」
「......うんうん、お二人のおっしゃる通りだと思います」
目の前にいる品の欠片もない小娘。しかし、それが未来の皇后だと思えば周りの貴族たちも乾いた笑いで合わせるしかない。
しかし次の瞬間、その嫌な雰囲気を遮るような突然の罵声に、周囲は凍りついた。
『だ ま れ』
同調する言葉の中に聞こえるくぐもった声。
声のした方に振り返ったポーラは、一人の眼鏡をかけた貴族を睨みつけた。
「......誰? 今、私に口答えしたのは」
「ひっ! わ、私じゃありません」
「はあ? とぼけないでよ、今こっちからハッキリと声がし――」
「――ぎぃ、ぎゃああ!?」
ポーラが眼鏡の貴族の胸ぐらを掴んだ瞬間、すぐ隣にいた人物がおぞましい悲鳴をあげた。
何かと思って見ると、そこには大きくて長い”黒い手”がその人物の頭蓋骨を貫通していた。
何が起きているのか理解する前に、黒い手はそのまま目玉を抉りとり、首の骨をボリボリとへし折っていく。
なりより恐ろしかったのは、その人物が先程まで自分の婚約者だった男、パトリスだったということだ。
「パトリス殿下!? な、なんだこの黒い手は!?」
「おい、兵士ども! 早くどうにかしろ! ポーラ様、お逃げ下さい!」
「み、みんな逃げ、ぎゃああ!? 腕がァ!」
一瞬のうちにぐちゃぐちゃになったパトリスを見て、貴族たちは戦慄が走った。
逃げ惑う周囲の人々の叫びも虚しく、黒い手はどんどん彼らの身体を破壊していく。
ポーラは目の前に広がる地獄のような光景を前に呆然としていたが、やがていつの間にか自分が最後の一人になっていることに気付いた。
「ひぃっ......!来ないで!!」
自分のことをいつでも守ってくれた殿下と両親は、ここにはいない。
目の前に迫り来る黒い手を見た時に初めて彼女は、自分がただの無力な人間であることを思い知った。
無数の黒い手は一つになり、だんだんと大きな人のような形になっていく。
それを見た途端、ポーラはあることに気付く。
(まさか、お姉、様......?)
「も、もしかして、そこにいるのはお姉様なの!? ごめんなさい! 昨日のことは、私が悪かったわ! 気の済むまで謝るから、お願いだから私だけは見逃して! ほら、だって私達姉妹じゃない。話し合えばきっと分かり合えるはずよ! だから助け――」
ぐしゃり、と。
黒い手に飲み込まれた彼女は、身体の全ての骨と肉を握り潰されて、死んだ。
やがてそこには骨や血肉の一片すら残っていない歴代最大級の王族失踪事件として後世に受け継がれることになるのだった。
◇◇◇
ララが目覚めた時、そこは見知らぬ部屋のベッドの上だった。
起きて数分の間、夢と現実の区別がつかなかった彼女が全てを思い出せたのは、近くにあった鏡に自分の姿が映った時だった。
「何......この包帯......?」
そこに映っていたのは首が包帯でぐるぐる巻きになった自分。
冷静に覚えている記憶を整理しても、私は断頭台で首を刎ねられたはず。普通ならこうやって呼吸をしたり、喋ったり、瞬きしたりすることはまず不可能だ。
恐る恐る首の具合を確認しようと包帯に手をかけた瞬間、背後から低い声が聞こえた。
「まだ駄目ですよ」
「きゃあ......! あ、あなた誰!?」
そう言って部屋に入ってきたのは見知らぬ背の高い青年だった。
外見は前髪が目にかかるくらいのオレンジがかった赤い長髪。その不思議な雰囲気を持つ紫の瞳に見られるとなぜか全てを見透かされているような、そんな感覚があった。
彼は驚く私を気にもとめず、淡々とこう答える。
「とにかくまだくっつけたばかりなので、貴方は安静にしてください」
「く、くっつけたってあなたが?」
そんな馬鹿な、とララは思った。だって真っ二つだ。少し裂けたとかそんなレベルではない、本当にスパッと綺麗に首を切断されたのだ。
どれだけ優秀な医者があの場にいたとしても絶対に首をくっつけることなんて出来やしない。
それなのに目の前の青年はさも当然のような顔をしている。
「嘘よ......!」
「あ、ちょっと!」
青年の静止を無視して、私は自分の首に巻かれていた包帯を無理やり取った。
すると切断されたはずの首は綺麗に繋がっていたのだが――
その代わりに私の首に刻まれていた複数の恐ろしい文字に目を疑った。
それはこの国の禁忌。願望に見合った犠牲を払えばどんな不可能な現実も叶えてくれるという法律で禁止されている闇の魔術。
「く、ろ、まじゅつ......」
「ああもう、包帯を巻き直すのでじっとしていてください」
驚く私をなだめて、彼は包帯を巻き直しながら「貴方を生き返らせるのに四十二人も犠牲にしましたよ」と笑いながら言った。
その数字は実に、パトリスやポーラを含めた処刑に関わった上流貴族の数だ。
処刑の日からはすでに二週間たっており、死体を持ち帰った彼は隣国で私を蘇らせたのだという。
「貴方はあの場で処刑されてもう死んだことになっているはずです。これからはあんな国のことは忘れて、この国で幸せに生きてください」
「そ、それはありがたいけど......私普通に働いたこともないし、これからどうしたら」
憎しみの対象だった元婚約者も私から全てを奪った妹も、もうここにはいない。
自由になりたいとは常々願っていたものの、実際こんな日が訪れるとは思ってもみなかったのでどうしていいか分からなかった。
その不安を読み取ったのか、包帯を巻き終わった彼が私の目の前にしゃがんでこう言った。
「それなら、いい職業を紹介しますよ」
「いい職業?」
「――俺の伴侶です」
そう言って目の前の青年は真っ直ぐに私を見つめて微笑んだ。
その笑顔を見て、私はふいに一人の少年の顔を思い出す。それは幼い頃、城から抜け出した時に一度だけ遊んだオレンジがかった赤毛の少年。そう、まさに今、目の前にいる彼のような......
「まさか......アンジー?」
「やっと、思い出してくれたんですね」
その時初めて私は、彼が自分のことを助けてくれた理由が分かった気がした。
アンジーは城から逃げ出した私を匿ってくれた恩人だった。あの日も私の愚痴を聞いてくれて、そして最期には「大人になったら俺が貴方のことを助けます」と言ってくれたのだ。
(まさかあの約束を、ずっと......?)
その言葉が現実的に叶わないと分かっていても、世界のどこにも味方がいなかった私には、それがどれだけ救いになったことか。
愛する者を救うために地獄に落ちた男は、愛する者がずっと欲しかった自由を運んでくれた。
それなら私は応えなければいけないだろう、彼の誠意に。いや恋心に。
「......でも、まずはお友達からです!」
「ははっ、喜んで」
――『魔女』
それは忌まわしい悪霊と契約したとされる人間のことを指す。魔”女”とされるが、実際は女に限らす男も含まれるものとする。
あの日、一人の少女の首が落とされる直前、ニヤリと嗤ったその”魔女”は今もずっと彼女の隣で幸せに暮らしているらしい。
短い話ですが、ここまで読んで頂きありがとうございました。
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