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彼の氷が解けるまで

作者: こじぽん

じりじりと聞こえてくる蝉の声にうっとおしいくらいに照り付けてくる紫外線。

今年一番の真夏日と噂される今日の日に、私は大道具の解体作業に勤しんでいた。


「もう、無理~、先生、アイス!」


「そんなもんあるか。水分補給は好きにしていいから踏ん張れ」


え~、と私を含めて部員たちからブーイングが飛び交う。

もちろん初めからアイスをもらえるとは思っていたわけではないけれど、冗談の一つでも言っていないととてもやっていられる気温ではなかった。


私たち演劇部は夏の公演が終わり、早速次の公演へと動き出していた。

だけど、次に進む前にはいろいろとお片づけをする必要がある。衣装のクリーニングや、反省会、それから大道具の解体だ。

『大道具』と称される通り、木で作られたそれらは私の身長を軽く超えるほどの大きさを擁しており、解体するのにも一苦労だった。

インパクトドライバー片手にビスをポンポン抜いていると、ふと彼の姿が視界に入った。


――御影みかげ れい

絶賛ストーキング中の男の子である。


※※※


夏の公演が終わった翌日。

部員たちは顧問の先生にいつも練習に使っている教室に集められていた。


「えー、公演が終わって間もないが、次の公演の本と役を決めてきたからお前らに発表する」


先生の第一声で、部員たちの空気がピリピリとしたものに変わった。

他校の演劇部では部員みんなで台本や配役を決めることもあるというが、我が部ではすべてが演劇指導歴の長い顧問の先生の一存で決まるシステムになっている。

だから、役者志望の私たちはこの瞬間に先生からいい役をもらえるよう日々努力とアピールを重ねていた。


最初に本が公表され、それから次々と配役が発表されていく。

一喜一憂する部員たちの中、私が選ばれたのは主人公の妻の役だった。

私の役は物語の序盤で通り魔によって殺される。だが、すぐに退場するわけでもなくその後は幽霊となって、主人公が復讐に生きようとするのを必死に止めるという役割を持っていた。

正直言って、めちゃめちゃ面白そうでおいしい役だ。

私は他の部員に見られないように小さくガッツポーズを決めた。

さらに、嬉しいのはそれだけではない。今回の私のパートナーとなる主人公役に御影が抜擢されたことも大きい。

御影は同学年でありながら、部内で誰よりも声の通りがいい尊敬できる役者だった。

彼が口にするセリフの一つ一つには不思議な説得力があり、惹きこまれるような何かがある。私はこれを機に彼の役者としての技術も盗むことができればと企んでいた。


※※※


部活終わり、私は早速御影を呼びつけた。


「私、今日からあんたのことストーカーするから」


「……は?」


御影は一瞬、思考が止まったのかやや間があってから聞き返してきた。


「ストーカーってなに?休み時間とかトイレの時間もついてくるってこと?」


「トイレはさすがに控えるけど。まぁ、そんな感じ?」


「え、キモい、普通に嫌なんだけど」


「これも役作りのために必要なことなの。だからお願い」


キモいとまでいわなくてもよくない?と内心不満に思う気持ちをこらえて、私は交渉を続けた。


「役のことは台本に書いてある。俺を観察しても意味ないだろ」


「私にはあるの!相手の性格や癖なんかを知ったうえで演技すると役への入り込み方が違うっていうかさ」


「なに?どっかの女優のインタビューにでも影響されたの?」


「我・流・で・す!私がこれまで役者としての認められてきたのだって、この自慢の観察眼によるものも大きいんだから。顧問の先生もお前の人を見る目はすごいって言ってくれてたし!」


「あっそ」


え、なに?いままでちゃんと話したことなかったけど、こいつってこんなにムカつくやつだったの?なに、あっそってもっと興味持ってよ。てか、さっきからすごい口悪くない?


「でも、まぁ、いい舞台になるために必要なら好きにすればいいよ」


「え?ああ、うん。ありがと」


思いのほか早く了承してくれたおかげでつい拍子抜けしてしまった。

この男の考えていることはさっぱりわからない。

けど、これから時間をかけて必ず御影のことを理解してみせる。


※※※


大道具の解体作業が落ち着き、休憩時間となった。

あれから御影の友人からも話を聞いて、御影の基礎情報については調べがついていた。


身長、176.3cm。

靴のサイズは26cm。

髪は公演ごとに変わるが、今は黒髪で前髪はぎりぎり目にかからないくらいの長さ。

家族構成は両親と妹が一人。

お小遣いは普通よりも少し多いほう。

家は私の家から徒歩3分で、私もよくいくコンビニの隣のマンションに住んでいる。

バイト経験はなし。嫌いな食べ物はレバーで、好きな食べものはかき氷だ。


他にもまだまだ情報はあるが、役作りのために大切なのは知ることではなく、見ること。

だから、まずはしつこく彼に付きまとうことから始める!


花壇のふちに座って休んでいる御影の隣にちょこんと腰かける。


「おつかれ~、解体作業大変だったね」


「……そうだな」


「アイスとか食べたいね~、かき氷とか」


「……そうだな」


「あ、汗かいちゃったね」


「……そうだな、お前汗臭いぞ」


こいつ、私が話しやすいように好物の話題まで振ってやったのにスルーするどころか、女の子に向かって汗臭いとか…!

私、本当に御影のパートナー役として舞台の上でも感情移入していけるのかな。

なんか心配になってきた…。


セミの鳴き声に隠れて、私はちいさく舌打ちをした。


※※※


それからも私のストーキング、もとい人間観察は続いた。

彼の登下校、部活の休憩時間、昼休みなど、しつこく彼に付きまとい情報を得た。

幸い、御影には彼女はいなかったのでやりたい放題してやった。

そうしているうちに彼についてわかったことがいくつかある。

代表的なものとして、彼は嘘をつくのが苦手だということだ。


「おはよう、御影!今日も一緒に学校に行こうか」


「お前、ブラ透けてるぞ」


とか、普通は指摘しにくいことも何のためらいもなく指摘したり、


「なあなあ、御影、週末みんなでカラオケに行くんだけどお前も行かね?」


「悪い、メンツ的に微妙だからやめとくわ」


人間関係にひびが入りそうなことも気にせず馬鹿正直に答えたりしていたことからも明らかだ。

その性質のせいで何度も腹を立てたけれど、こういう決して自分を曲げない生き方が、舞台の上でしゃべるセリフにも説得力をもたらしているんじゃないかと思う。


以上、御影の観察日記。


※※※


「今日、あそこ寄ってくから」


「じゃあ、ついていく」


彼をストーキングをする中で私たちの間にある習慣が生まれていた。

それは、帰りにかき氷を買って食べること。

彼の好物ということもあり特に暑い日は決まって彼の家の隣にあるコンビニでかき氷を買って食べた。

初めは買うだけ買って家に帰ろうとしていた彼だったが、私がありとあらゆる毒舌を吐かれながらも説得を試みて、最終的に「買ってすぐ食べる美味さがある」というよくわからない理論を展開し、なんとか説得に成功。

それ以来、一緒に食べることになった。(たぶん、相手するのが面倒になったんだと思う)


「そういえばさ、御影って今度の舞台は家族とかも見に来るの?」


かき氷をザクザクとつつきながら、質問を投げかける。

御影から話すことはほとんどないから雑談の始まりはいつも私からだった。


「さあな、妹は来るかも。お前は?」


「私は毎回来るよ。だからこそいい所見せたくて頑張ってるんだ」


「お遊戯会を頑張る幼稚園児みたいな動機だな」


「親にいい所見せたいっていうのは誰でもそうでしょう―が」


「……それも、そうか」


「御影が役者を頑張ってるのはどういう理由があるの?将来は俳優志望とか?」


「いや、演技は高校でやめるつもりだ。将来のことは……、わからない」


どこかどんよりとした雰囲気になり、思わず言葉に詰まる。

学生である私たちが将来の話をするとたいていこういう妙な雰囲気になる。

こういう時はとっさに話題を変えるなりできればいいのだけれど、頭の回転が遅い私は動揺するとつい頭が真っ白になってしまうのだった。


「それじゃ、俺食べ終わったから。また明日」


「あ、うん、また明日」


カップをゴミ箱に投げ入れて、彼は隣のマンションへ入っていった。

私のカップには溶けかかっているかき氷がまだ半分近く残されていた。

御影ともっと話をできればと思ってついゆっくり食べてしまうけれど、御影はいつも氷が解けるより先に、食べきってしまう。

それでも、また明日と言ってもらえる程度には、私は彼との距離を縮めることに成功していた。そのことを実感すると面映ゆいけれど、やっぱり嬉しい気持ちになる。

そして私のストーキングの成果は狙い通り演技に活きていくこととなった。


※※※

「やっぱり、うちのエース二人のコンビすげえな」


「さすがって感じだよね……」


稽古中に聞こえてくる周りの部員たちの賞賛の声と言ったらなんて気持ちがいいのだろう。

当然聞こえてないふりをしてやり過ごすけれど。

なんて返せばいいのかわからないし。


「おい、聞いてるのか?ここの心情のシーンについてなんだけど」


「ごめん、ごめん、なんだっけ?」


「お前な、俺をストーキングするくらい舞台に本気なら稽古中も……、いや、集中力が切れるくらい疲れてるってことか」


「すご、私以上の観察眼……。おっしゃるとおり疲れました!」


「ずっと張り付かれていたら少しはわかってくるだろう。お前が分かりやすすぎるのもあるが」



(ひそひそ)「ねえねえ、あの二人って付き合ってるのかな?」

(ひそひそ)「私は天野のいつもの観察の一環だと思うけど……、でも、付き合っているといわれても不思議ではないよね」



「少し休憩したら、あのシーンやるぞ」


「え?あ、うん、イエッサー!」


「……」


急に付き合っているとか言われたからつい動揺してしまった。

ストーキングしていたらそういう噂も出るだろう思っていたし、その時否定もしようと思っていたのに、いざ耳に入ると妙に心が落ち着かない。


休憩を挟み、いよいよ例のシーン――私が通り魔に刺され、御影演じる夫の前で命を落とすシーンの稽古が始まった。

私は丁度舞台の中央で息絶えるように動きを調節し、最後は彼に抱きかかえられながら、彼のほほに手を伸ばして息絶えることになっていた。


「私を愛してくれてありがとう……」


そう呟いて私は力尽きて目を閉じる。

目をつぶる直前の光景は、いつもぐしゃぐしゃに泣いている御影の顔があった。

普段の彼からは想像もできないような号泣っぷり。

稽古で何十回このシーンを練習していても彼は必ず涙を流していた。


「必ず、犯人を殺してやるからな……」


そう彼が言ったところで暗転し、シーンは終わりを迎える。

これまでもすごい役者だと思っていたけれど、舞台の上で実際にやり取りしてみると、より彼が本物の天才であることを実感する。

いつもの毒舌な彼からは想像もできないようなもう一つの彼の姿が、全く別の人間の人生が、そこに現れる。

それはとても神秘的で、神がかっているようにも見えるけれど、御影という人間が薄れていってしまうような危うさも感じられた。


※※※


その日の帰り道、コンビニの前でかき氷を食べながら私は彼に恋人疑惑が浮上していることを伝えてみた。


「うわ、気持ちわるい」


「気持ちわるいはさすがにひどくない?お?ここが御影の家の前だと忘れたか?おもいっきり号泣してやるぞ、家族と気まずい感じになってもいいのか!?」


「好きにしろ。どうせしないってわかってるからな」


「私の脅しが通じないなんて…、まぁ、生意気になっちゃってこの子は。それでどうする?噂広がる前にちゃんと否定しておく?」


「めんどいし、そのままでいいよ」


ふ~~~~~~~~~ん。


「まぁ、御影がいいなら別にいいけど。変な噂が流れちゃった分、私絶対にいい舞台にして見せるから」


「なんだよ、急に」


「なんとなく、突然やる気が湧いたから」


「意味わかんねえし、でも、そうだな……。いい舞台にしよう」


そう言ってごくわずかに口角を浮かべる彼を見て、私は俄然舞台へのやる気が湧いてきた。



けれど、その日以降、御影は学校にも部活にも来なくなった。



※※※


「御影が来なくなってからもう2週間だぞ!ただの体調不良にしては長すぎるだろ」


「ちょっと、あたしにあたらないでよ!」


御影が部活に来なくなってから、部内の雰囲気は最悪だった。

初めに顧問の先生から体調不良だと告げられたときは、早く良くなるといいねと言っていた部員たちも、1週間も欠席が続けばスケジュールに余裕がなくなり、いい人の仮面も剝がれていった。

主役の不在により、稽古は思うように進められない。それでいて顧問の先生からは体調不良の一点張り。さすがにしびれを切らしてもおかしくない頃合いだった。


「なあ、天野。お前本当はなんか知ってるんじゃないのか?御影の彼女なんだろ?」


「……」


もう、何度されたのかわからない質問だった。


「天野さんは知らないって何度もそう言ってくれてたじゃない」


「だから、本当は、って言っただろ。何か隠してんじゃねえのかよ」


「……」


「お前ら、落ち着け!」


ガラガラと勢いよく教室の扉が開かれて、顧問の先生がやってくる。


「さっき連絡があって、御影はこの部活を辞めることになった。わかったらさっさと代役を立てて稽古しろ。いいな?内輪もめしてる場合じゃねえぞ」


先生の有無も言わさぬ喝により、その場は収まり、みんなは前に進むことになった。


「急にやめるとかありえないんだけど」


「主役の座をもらっておいて無責任すぎない?」


部活が終わり、随所から聞こえてくる御影への陰口に耐え切れなくなった私は速攻で稽古場から退出した。

すると偶然、廊下で顧問の先生と鉢合わせた。


「あれ、天野。もう着替え終わったのか」


「先生、御影はいったいどうしちゃったんですか!?」


これまでは言えない事情があるのだろうと思ってあえて質問してこなかったけれど、もう我慢の限界だった。

私は先生に会った瞬間に疑問をぶつけずにはいられなかった。


「悪いな。俺から詳しい事情を話すことはできないんだ。でも、もしかしたらお前なら御影に何かしてやるかもしれん。お前は御影の彼女なんだろう?」


彼女……。


「そうですね、とりあえず彼氏の家に行ってみます」


本当は友人と言っていいのかすら危うい関係だ。

けど、自分を騙さないと彼に会う勇気が出ないなら、私は彼に愛されていると自分に嘘をついてでも、彼に会いに行くべきだと思った。


※※※


彼の家の前に到着し、ドアの前で心を落ち着かせる。

本当はもっと早くに行くべきだったとは思う。

でも、私のせいだといわれるのが怖くてずっと訪れることができなかった。

けどもう、覚悟は決めた。

私は深呼吸をして、声がどまらないように小声で発声練習をしてからインターホンを押した。


「はい」


「あの、天野です。き、来ちゃった♪」


「帰れ」


「待って!かき氷、買ってきたの。一緒に食べよ!あーでも、もう解ける寸前!お願い、これだけでもいいから受け取って!」


どうせすぐに拒否されるだろ思って考えてきた苦肉の策。正直、これでも通してくれるか怪しかったけれど。


「はぁ……、待ってろ」


意外にも彼は私を受け入れてくれた。

その事実だけで心底安心し、やっぱり来てよかったと思えた。


「貸せ。俺はこいつを冷凍庫に入れてくるから」


「ありがとー」


御影に案内されて家の中のリビングへ入っていく。

きょろきょろと中を見渡すと、とてもきれいに片付けられていることがわかる。

私の観察結果からも彼がきれい好きであることはわかっていたから予想通りではあった。

でも、だからこそリビングの棚の上に無造作に置かれた二つの壺が気になった。

そして私はその壺がどういうものか知っていた。同じようなものを祖母の家でも見たことがあるからだ。

これらは多分、骨壺だ。


「ストーカー女はデリカシーがないな」


私の視線に気づいたらしい彼は、リビングの椅子にゆっくりと腰かけた後再び口を開いた。


「それ、父さんと母さんなんだ。1か月前に事故で亡くなった」


1か月前、というとちょうど私が御影のストーキングを始めた時期だ。


「次の公演の台本と役が決まった日だよ。夜に電話がかかってきて知らされた」


「嘘……」


「嘘なわけないだろ」


「わかってる、わかってるけど、でも、全然そんな様子見せてなかったじゃん」


私ははやる鼓動を押さえつけながら必死に疑問を口にした。


「……前の公演が終わった後さ、両親にすごく褒められたんだよ。かっこよかったって心から幸せそうに笑ってくれてさ。だから、例え両親が死んでも演劇はちゃんと続けようって思って。それで、頑張った。まだガキだからって葬儀のこととかは親戚の人がいろいろ取り仕切ってくれたし」


「頑張ったって……」


両親を亡くしてすぐの時期に周りに気取られもせずに演技に集中するなんてあまりにも無理がある。

けれど彼の卓越した演劇力と、努力によって残酷にもそれを可能にしてしまったのだろう。

彼は嘘をつけないんじゃなくて、自分を騙すのがあまりにも上手すぎたんだ。


「けど、結局うまくいかなかったみたいだな。ある日突然、身体が動かなくなった。体調が悪いわけでもなく当たり前のように学校にいけないんだ。ぼーっと玄関の前で立ち止まりながら『学校へ行かなくちゃ』と自分に言い聞かせようとするんだけど、みぞおちのあたりがざわざわして、一気にエネルギーが吸い取られるというかさ。もう、自分でもよく自分がわからないんだ」


「そんな……」


「でももしかしたら演技の方の自分こそが本当の自分なのかもしれないとも思うんだ。本当の俺は両親が死んでも涙一つ流さない冷酷な性格で、でもそれを認めたくないから、あれは演技していたっていうことにしたがっているんじゃないかって。学校へ行けないのはそういう冷酷な自分を認めたくなくて、その言い訳を作るためなんじゃないかって」


「そんなことない。御影はちゃんと悲しんでるよ」


「どうだろうね。今はもうどれが本当の自分かわからなくて、何をしても虚しいんだ」


彼の眼はうつろとしていて、その瞳には今目の前にいる私さえ映っていないように見えた。

悲しまないように自分を演じ、凍らせてしまった涙の在り処は彼自身にもわからなくなっているのだろう。


私は御影のために何か言えればと思い頭を必死に働かせる。

彼のためになる一言が欲しい。映画やドラマなんかだと私は素晴らしい名言を言って彼を勇気づけるに違いない。

私は今、そうできる立ち位置にいる。

だというのに、頭の中は真っ白で彼に対する言葉が何一つ浮かばなかった。

あらかじめセリフが用意されていれば、私は完璧に役目をこなして見せるのに。

結局沈黙を破ったのは御影だった。

役を脱いだ私はあまりにも無能だ。



「急に暗い話をして悪かったな。けど、俺をストーキングした結果、今のことを知ったらお前が気まずい気持ちになると思って。だから先に言っておこうかと思った」


「……」


私は毒を吐きながらも、私の存在を許し、傍にいさせてくれる彼が好きだった。

冷たくあしらうくせに、優しい気遣いができる彼が好きだった。

だけど、もしそれらすべてが彼が無理に演技をしていた姿なのだったとしたら。

この好きは、二度と口にはできないだろう。


自虐気味にごくわずかに口角を上げて彼は笑った。

気まずい空気をとばそうとしてのものだろう。

ひどく不細工で、あまりにもへたくそな笑顔。

最後まで必死に私を気遣おうとする彼を見て、私はなんて最低な恋をしていたのだろうと思った。


※※※


あの後、結局彼に何も言えないまま家へと帰り、数日が経過した。

御影は変わらず学校に来ることはなく、稽古は代役を立てて進められた。

あれだけピリピリしていた部活の空気は消え失せ、むしろ逆境に立ち向かおうと部員たちの結束は高まっているようにも見える。

御影だけを悪者にして。


御影の事情もわかったし、もう彼に会いに行く口実はない。代役がたてられた以上私が観察するべき人は別の人だ。

納得はしている。仕方のないことだって思う。これが御影にとっても一番いい選択なんだって思う。

けど、どうしようもない無力感がずっと私の心を支配していた。


私はよく御影と一緒にかき氷を食べていたコンビニへ毎日通っていた。

もう私の隣に隣に彼の姿はない。会えたとしても、何を話そうかなんて決まってない。

それでも私は以前と同じようにゆっくりと時間をかけて、かき氷を食していた。


そんな生活がしばらく続いたある日。私はついに御影との再会を果たした。


「人の行きつけのコンビニにたむろしやがって、気まずくて行きにくくなっただろ」


コンビニに入り、新作のかき氷を買ってきた御影が私の隣に座った。


「御影でも気まずいとか思うことあるんだ」


「そりゃあね、部活バックレたわけだし」


もし会ったら、緊張して話せないかもと思っていたけれど意外にも普通に御影と話すことができた。

お互いにいつも通りの空気を作ろうと努力すれば案外何とかなるものらしい。


「最近、元気?」


「正直、あまり。食欲もあんまないし。普通に夏バテかもしんないけど」


「なんか素直」


「嘘はつけない性格だからね」


「大噓つきが何を言うか。私の最強の観察眼を欺いたくせに」


「悪かったよ」


御影からは、以前程とげとげとした雰囲気はあまり感じられなくなっていた。

どうやらもう、本格的に嘘をつくのはやめたらしい。


会話がひと段落して沈黙が流れる。

こういう時は、私から話題を振っていたけれどどうにも言いたいことがまとまらない。

かき氷をザクザクと崩す音だけが二人の間に流れていた。


せっかく御影に会えたのに私はまた何も言えないままなのか。

そう思った時、彼の家で何も言えなかった無力感、ずっと彼の隣にいたのに何も気づけなかった悔しさが押し寄せてくる。


……もうあんな思いをするのは二度とごめんだ。

舞台の上みたいに完璧にいかなくてもいい。

湧き上がる感情に、頭の中にいくつもの言葉が浮かんでくる。

そのどれを言うべきか、そんなことを考える間もなく私は勢いに任せてただただ今の思いをぶつけた。


「ちゃんと見てるから」


その一言を言うために、いったいどれだけの時間を有しただろうか。

けれど、それを皮切りに、するすると喉の奥から言葉が漏れていく。


「どんな御影でも、ずっと見続けてるから。だから、これからも……、私と会ってくれないかな」


これが私にできる精一杯だった。

そして私なりの好意の形。

彼はかき氷を食べる手を止め、私に向き直った。


「言葉だけ聞いたらストーカーだな」


「あくまでも、演技の参考にするって意味だから!」


「今度また、うちに来いよ」


「え?」


「前に持ってきたかき氷。結局食べないまま帰っただろ。あれ残ってるからさ」


それが彼なりの答えだということはすぐに分かった。

受け入れてもらえたことに安心して、強張っていた筋肉が一気に緩んでいく。

彼もまた私と同じように穏やかな表情をしていた。

口角はさほど変わらず、目元だけを緩く細めた顔。

これが彼の本当の笑顔なんだと思う。


たとえこれが最低な恋なのだとしても、私は彼に寄り添いたい。

ゆっくりと、彼の氷が解けるまで。

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