狩人で狼な二人の話
精霊の森で倒れ、目が覚めると風狼だった。
こんな話を酒場でしても信じる奴はいないだろう。人が風狼になる話など、聞いたことが無い、と。
俺がその話を聞く側だったら、間違いなく与太話だと受け取って笑う。
水面には口が半開きの間抜けな表情を晒している一匹の風狼が映っている。
見慣れた、という程でもないが、見知っている緑がかった銀色の体毛に身を包み、俺が訝しげに鼻先を近づければ同じように鼻先を近づけ、左前脚を上げれば向かって左の前脚を上げた、今の俺の姿が。
その隣にはもう一匹の風狼が映っていた。見慣れた風狼と異なり、体毛に緑のラインが入っている。恐らく、上位種か。少なくとも俺のいた森の浅層にいるような個体ではなかった。
俺の視線を受けて、彼女は「な?言っただろう。お前は私の同族になったのだ」と、得意げに鼻を鳴らして語った。
そう、今の俺は風狼なのだ。風狼になってしまったのだ。
先ほどは誰も信じないと言ったが、そもそも、今の俺が街に入ろうとすれば、酒場に行く前に街の門前で狩られてしまうだろう。
風狼は精霊の森に住む精霊獣の一種だ。肉体が半ば精霊化しており、非実体化して風に乗り、実体化して風の刃を纏った牙と爪で獲物を狩る。俺達のような狩人にとっては脅威であると同時に獲物でもある。
俺も、酒場で依頼を受けて風狼を狩った事があった。なんなら、今日の獲物として想定して、簡易的ではあったが風の魔法がかかった矢をいくつか用意してさえいた。
しかし、風狼は森の中層近くまで行かなければ現れない筈であったし、森の浅層で、それも上位種が襲い掛かってくるなど想定外だった。罠も仕掛けておらず、動きが通常の個体よりも速いため対処に手間取り、通常の風狼よりも厚く風を纏った彼女には虎の子の矢も通じず、俺は至極あっさりと首を喰い千切られて死んだ。
そして末期の際に見えた淡い光に手を伸ばし……それに触れたような気がしたところで俺の意識は途絶えた。
その後、彼女の話を信じるならば、ではあるが、死にかけの、つまりは霊体が肉体から脱しつつあった俺は発生直後の風の精霊を取り込んで、風狼として「発生した」らしい。そもそもの風狼の始まりが死にかけの狼が風の精霊を取り込んで生まれた種であるらしく、在り得ない事ではないと言うが、何故人間が狼になるのかが理解出来ない。しかし、その辺は彼女は気にしていないらしい。細かい事はよくわからんし気にするだけ無駄だ、と言われてしまった。
発生が終わった後も気絶している俺を彼女は自分の巣へと運び、しばらくの気絶から目を覚まして混乱の余り吠え散らした俺の首根っこを咥えてこうして顔を見ることの出来る水場まで連れてきてくれたらしい。殺された時の恐怖や若干の恨みのような感情は何故かほとんど残っていなかった。というか、あちこちに鼻先を擦り付けられ、匂いを嗅がれていて妙な気分になる。
何故言葉が通じるのかについては、同族だから、らしい。彼女は人間の事は理解出来ないようだし、俺が彼女に対して発した言葉も吠え声に意思をそのまま乗せたような奇妙な声で、人間であった時の言葉は上手く発音出来なかった。喉の構造がそもそも違うのかもしれない。
さて、俺はこれからどうやって生きていけばよいのだろうか。
俺は四つ脚で動き回る事に慣れていない。狩りのために縦横無尽に駆けるなど不可能だ。そう彼女に溢すと、彼女は「気にする必要は無い」と答えた。
思わず首を傾げながら聞き返すと、彼女は俺にのしかかり、俺の知らなかった風狼の性質を教えてくれた。
風狼の場合、人間と違い狩りをするのは主に雌。雄はそもそも数が少ないので生まれた時から群れで世話をする。そして、雄が適齢期になるとその雄と番いたい雌達がそれぞれ狩りを行い、大抵は最も良い獲物を雄に与えた、最も狩りの上手い雌がその雄に選ばれて番うらしい。死んでも番は変わらないので、本当に貴重なチャンスであり、そろそろ行き遅れを脱するために競争相手の少ない、かつ手強い獲物である人間を狩りに来たのだと彼女は言った。のしかかるのをやめた彼女は俺の横に立ち、首筋と顎の匂いを嗅ぎながら俺の首をそちらに向かせる。
彼女は首尾よく俺を仕留めたが、俺が風狼になったせいで彼女は獲物を得られなかった。なら彼女はどうするのだろうかと考えたところで理解した。俺の種族は人間ではなく風狼になってしまったが、俺の性別は変わっていない。
俺が彼女を拒否したらどうするのか、と問いかけてみることは出来なかった。
正面から俺の目を覗き込む彼女は明らかに獲物を狩る狩人の眼をしていた。
つまりは、俺に拒否する権利はないのだ。
俺は風狼になったが、彼女の獲物である事に変わりはなかった、という事だ。
後からの感想ではあるが、風狼として新たに得た感性と俺の元々の好みからして、悪い話ではなかった、とだけ言っておこう。