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5.シロが願うことはいつもひとつ

 

 安倍さんちのシロは神の使い。ひなたお嬢さんの生きる守り神。

 そういう噂が村には流れているらしい。


 あの日、殺処分を覚悟したシロだったが、結果として彼はそのままひなたの家にいる。

 彼の行動は不問となった。


 ひなたを襲おうとした輩は暴行目的でめぼしい女子を物色していたのだとか。あまり人のいない過疎地で犯行を企てたあたり、実に卑怯だ。

 そこに偶々(たまたま)居合わせてしまったのはひなたの不運だが、彼女には「守り神」がついていた。

 そして、偶々(たまたま)その日に限ってその時間、兄ヒサシがシロを構っていた。

 彼がシロの異変に気がつき鎖を解いて犬を放った。その後自転車でシロを追いかけ、妹の惨事に出くわした。

 被害者と加害者のほかに人間の目撃者がいた。これが大きかった。


 いつものとおりだったら、恐らくひなたの身はシロによって守られただろう。だがシロは「人を傷付けた獰猛な獣」として処分対象になっていたかもしれない。シロ自身が覚悟したように。

 人を害する大型犬が、勝手にうろうろしていた故の事件にされていた可能性が高い。


 現場に居合わせた兄ヒサシは加害者のために救急車の手配をしつつ、警察にも連絡し彼の暴行未遂事件を明らかにした。

 それにより、シロの暴挙は主人を守る為の勇敢な行動になり、そのシロを放ったヒサシ個人の責任問題になった。

 当然のことながら、ヒサシたち安倍家の面々は全面的にシロ(とヒサシ)を庇った。

 代々この地で豪農として名を馳せていたヒサシの祖父は、使える伝手(つて)はすべて使い、孫娘を襲おうとした男の罪を追求した。

 過去、教壇に立っていた祖母の教え子に現在県議会議員やら弁護士やら県警の役付きやらがゴロゴロいた。彼らにも話を通した。

 その加害者、執行猶予処分中の札付きだったのだとか。

 祖父が追及の手を強めるまでもなく、彼は塀の向こうの住人となった。

 彼は猛犬に首を噛まれ重傷を負ったが、発見と処置が早かったせいか命に別状はなかった。怪我の治療費を安倍家が支払う事で()()()()()()()()示談成立となったのだ。


「とはいえ、あいつの首にはくっきり噛まれた痕が残るからな! 生涯襟なしの服は着られないぜ。鏡の中の自分の傷跡を見るたびに、シロさんに襲われた恐怖に(おのの)くがいい!」


 と嬉しそうにシロに報告するヒサシ。

 あの日、不埒者からシロを引き離したあと加害者を見てみれば、失禁した上に気絶していた。余程、「唸り声をあげ襲い掛かる巨大な白い犬」が恐ろしかったのだろう。


 とはいえ。

 自分の欲望のままに弱者を襲おうとする輩など、このまま山中に埋めてしまおうかとちらりと考えたが、思い止まり警察に連絡したのだった。


 だがあの日、あの不埒者を埋めてしまえばこんなことにはならなかったか。


 警察に届け出たせいで、未遂とはいえひなたが婦女暴行事件の被害者だと知られてしまった。狭い村では肩身が狭くなる。ひなたは地元を離れ、人口密度の高い都会の学校に転校することになった。ほとぼりが冷めるまでこの村には帰らない。


 ……ほとぼりとは何年くらいで冷めるのだろう。

 なぜ、被害者であるひなたが逃げねばならないのだろう。


「ごめんなぁ、シロさん。なんか……お前からひなたを奪ったみたいになったなぁ……」


 縁側に座り、項垂れるヒサシ。

 人間社会の中で生活するのならば、こんなちいさな村の中とはいえ、さまざまな(しがらみ)がある。前世で王宮に勤めた経験のあるシロには、詳細は分からないが、それが複雑なのは理解できた。


 ヒサシにはヒサシなりの葛藤があるのだろうと、シロは慮った。

 項垂れる彼の膝に、ポンっと前足を乗せた。


「し……っ」


(し?)


「シロさんが俺を慰めてくれたーーー!!」


 ヒサシは感激したような様子でシロに抱き着こうとするが、シロはそれを華麗に避けた。触られるのは許すが、抱き着くなんてひなた以外には許さない。


「でも塩対応ーーー! さすがシロさんっ!」


 不可思議な感激の仕方をして大騒ぎする彼を横目に見ながら、そういえば彼や父など男衆も「シロさん」とさん付けするようになったなぁと気がついた。


 ◇


 月日は流れた。

 ひなたはここに帰らないまま、都会の全寮制の女子高から女子短大、とやらに進級したらしい。

 ヒサシも大学進学を機に、この家を離れている。

 子どもたちがいないと家が広く感じ、だいぶ寂しくなったように思う。


 シロは毎日裏山に登った。

 あの一件以来、シロを鎖に繋ぐ人間はこの家にはいない。彼はどこへ行くにも自由で、けれど必ずこの家に帰ってきた。

 ここにいれば、必ずひなたおじょうさまは戻ってくると信じているから。


 裏山の頂上から空を見上げると、不思議とひなたがどう過ごしているのか感じることができた。


(大丈夫。ひなたさまは、笑っている)


 彼女が平穏無事で、笑顔でいるのなら。

 シロが願うことはいつもひとつ。


(いつもお健やかに。笑っていてくださいませ)


 目を瞑り、太陽に向かい祈る。


(そこにおわす女神さま。ひなたさまをお守りください)


 夜は月に向かい祈った。


(そこにおわす男神さま。ひなたさまに安らかな睡眠をお与えください)


 日に向かい月に祈る真白なその姿は、「神の使い」と呼ばれるに相応しい神々しさを醸し出していた。






 そんなある日。


「シロさん、ひなたとヒサシが帰ってくるぞ」


 父が彼にそう告げたのが深夜の縁側で。

 さも特別な知らせだと言わんばかりのいい笑顔で告げられたが、その内容を告げたのは彼で5人目だ。

 まず母が彼に報告した。ヒサシから電話、というもので帰郷の知らせが入った。なんでも結婚したい相手を紹介するから会ってくれ、とのこと。勿論、家族総出で出迎えるからには妹も出席せねばならない。ひなたにも連絡され、彼女の帰郷も決まった。

 ばあさまも嬉しそうに「シロさん、ひなたが帰ってくるよ」と彼に告げた。

 じいさまもいい笑顔で「シロさんや、ひなたが帰ってくるぞ」と教えてくれた。

 女中のおチヨまで「シロさん、ひなたお嬢様が戻られますよ」とウキウキした様子で話してくれた。


(おぬしら、まず兄が帰ってくるのが先ではないのか?)


 シロ相手に話すのだから、彼の最大の関心事であるひなたの動向を告げるのは当然かもしれない。だが、この家の長男、影が薄い……もしくは、シロはひなたのことしか見えていないという認識なのだなと、彼らの思惑に納得したシロであった。


 実際問題として、ひなたのことを話すとしっぽを振って喜ぶシロを見たくて、彼らは意識的にシロ好みの話題を振っているのだ。決してこの家の長男を(ないがし)ろにしているわけではない。……たぶん。


 そして。何年かぶりにひなたが帰郷した。

 姿形はすっかり大人の女性に成長したひなただが、シロの前ではずっと変わらない。以前と同じ、屈託ない笑顔にシロはホッとした。


「シロ。おひさまの匂いがする……さては裏山に登ってひなたぼっこしてるな?」


 シロを抱き締め深呼吸していたひなたがそう呟く。


「ブラッシングして貰ってる? んにゃ、久しぶりに身体洗おうか!」


(え? よろしいのですか?)


 久しぶりにひなたに身体を洗って貰い、シロはすっかりご満悦となった。しっぽがパタパタしっぱなしだ。


「あのねぇ、おにいちゃんってば車買ったんだって。それに乗って彼女サンと来るらしいよ? どんな人かねぇ。ひなたと仲良くしてくれるといいな」


 すっかり自分を「わたし」という大人の女性になったひなただが、シロの前でだけ、子どもの頃のように名前呼びになってしまう。そんな自分の癖に気がついているのか判らないが、シロは彼女のことばに考え込んだ。


(なるほど。ヒサシの嫁はひなたおじょうさまの義姉となるのだ。どのような人物か、ひなたさまに危害を加える恐れがないか、きちんと見定めないとな)



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