義兄の女装はわたしのせい
家族になる人達と初めての顔合わせ。
まだ片手で数えられる程に幼かった私は、とにかく遊びたい盛りで、無邪気で。それでも目の前にいる人達と家族になれる喜びでいっぱいだった。
「ほら真琴、あの子と家族になるんだよ。挨拶して」
「はじめまして! あそぼ!」
「お名前もちゃんと言おうなぁ……」
「まことです!」
「初めまして真琴ちゃん。薫って呼んでね」
「かおるちゃん! わーい!」
挨拶すらまともにできなかったのに、優しく微笑んで手を伸ばしてくれた。
そんな薫ちゃんに、私は身勝手な理想を押し付けたんだ。
◇
私が今よりずっと幼い頃、父が再婚した。
相手の女性も子連れだったが、顔合わせでも仲良くしている子供達を見て、家族になる事になんの問題もないとお互い判断したらしい。
けれど、その考えは再婚後に大きく外れてしまった。
両親が籍を入れて、晴れて義母達が父と私の暮らす家に移り住んだ日。
義母の連れ子──薫ちゃんと改めて挨拶した私は泣いた。この世の終わりのごとく泣き叫んで、したたかに地団駄を踏んだ。
当たり前だが、家族になる人達のことは再婚前に父から聞いていた。特に薫ちゃんについては、たくさん教えてもらっていた。
名前はもちろん、私より六歳上で、綺麗な顔立ちで、優しくてお洒落だとか。好きな物が私と一緒だと聞いて、仲良くしたいと期待に胸を膨らませていた。そして名前の響きと顔合わせの印象から、相手の性別も勝手に想像していた。素敵な女の子だと。
しかし、現実は非情なものだった。
キレイで優しいお姉さんだと思っていた薫ちゃんは、キレイで優しいお兄さんだったのだ。
まさかこの段階まで兄になる人の性別を勘違いしていたなんて、両親達は露程も気づいてなかっただろう。
言い訳させてもらうと、当時の私が欲していたのは姉だったのだ。
幼馴染から「兄は乱暴で横暴な暴君だ」と散々聞いていたせいもあり、もし兄なんてできたら人生終わりだと思い込むくらいには、姉という存在を切望していた。
また、薫ちゃんとの二度目の交流が、顔合わせから半年ほど経った我が家への引っ越しの日となったのもタイミングが悪かった。
初めて挨拶した時は見た目通りのソプラノ声だったのだ。髪も肩まで伸ばしていて、実はお姫様なんだよと言われたら信じてしまいそうになるくらい、それはもうキレイな人だった。だからこそ尚更、姉ができる喜びで浮かれていた。
それがいざ一緒に暮らすとなったその日、やってきたのは半年前よりぐんと背が伸びて声の低くなった男の人だった。
再会した薫ちゃんは成長期を迎えていたのだ。
騙されたと思った私は、両親の話も聞かずに散々泣き喚いてから寝落ちした。
そして次に起きた時、薫ちゃんは女の子になっていた。
私が全身全霊で拒絶したために、薫ちゃんは姉として……わかりやすく言えば女装する事を選択したのだ。
当時から深く考えなかった私は、姉へと変貌した薫ちゃんに喜びたいそう懐いた。
全ては幼く短絡的な私と、女装が似合いすぎる心優しい薫ちゃんという組み合わせのため起こってしまった悲劇であった。
女装した薫ちゃんの徹底ぶりは大したもので、洋服を始め口調や声の出し方、そして所作まで徹底して女性になりきっていた。その魅力といったら、幼馴染の兄の初恋を奪ってしまったほどだ。
もちろん私は姉として受け入れており、姉妹で仲良く過ごしているつもりだった。
転機が訪れたのは、一緒に暮らし始めて一年経った頃だ。
夜更けにトイレへ行きたくなって目が覚めると、両親がひそひそと話し合う声が聞こえてきた。
耳をそば立ててみれば、私が原因で始まった薫ちゃんの女装について今後どうするべきか、という相談事だった。
会話の内容に愕然とし、それでも聞いてしまったことを両親に知られたくなくて、音を立てないように自室へと戻った。
この頃には、薫ちゃんの性別をすっかり忘れ去っていたので、あんなにキレイで素敵な姉が男の子だという事に二度目のショックを受けたりしていたが、寝て起きた時には私も覚悟を決めていた。
まずは薫ちゃんに謝ろう、そして償おう。私にできる事は全部やろう、と。
パジャマのまま薫ちゃんの部屋に突入した私は、持ち得る限りの言葉を使って謝罪した。
まだベッドの中に居た薫ちゃんは、妹の襲来にしばらくきょとんとしていたが、言い終わる頃には笑みを浮かべて頭を撫でてくれた。
「いいんだよ真琴。今は楽しくてやってるんだから」
「でも、薫ちゃんは男の子なのに……」
「真琴は私が女の子の格好してたら嫌? 似合ってない?」
「ううん大好き! 薫ちゃん、とーってもキレイだもん!」
薫ちゃんは「ありがとう」と微笑んで、優しく抱きしめてくれた。嬉しくて私もぎゅっと抱きついたら、そのままうっかり寝落ちした上に、二人とも寝坊して両親に叱られたのはいい思い出である。
素敵な兄を持った喜びに満ちていた私は、起こったことを幼馴染兼親友に全て話した。
「でね、好きでやってるからいいんだよって薫ちゃん言ってくれてね、私もよかった! ってなったんだ」
「ふーん。真琴のパパとママの悩みは未解決なんだね」
親友の言葉に、私はまたも愕然とした。というか忘れていた。
そうだ、事の発端は両親の嘆きを聞いたからだと言うのに、兄妹の絆を深めた満足感で頭の外に放り捨ててしまっていた。
薫ちゃんは好きで女装をしているし、私はそんな薫ちゃんが大好きだ。薫ちゃんがやりたい事をやってほしい。
けれど、両親の悩みも無くしたい。
危うく知恵熱を出しかけた私は、どうすればいいか親友に相談した。
「じゃあ真琴ちゃんがカッコよくなっちゃえば?」
「カッコよく? どうすればいいんだろう」
「このマンガの男の子とかカッコイイよ。貸したげるから、読んでみなよ」
「うん! ありがとう!」
この日を境に、親友から借りた少女漫画のヒーローを基盤にした“カッコイイ化計画”が始まったのである。
クラスメイトがスポーツが得意な男子を「カッコイイ」と言えば、できるよう私も練習した。雑誌で「カッコイイ男性特集」があれば何度も読み返した。
“カッコイイ”は人に留まらず、カブトムシ、特撮ヒーロー、マンガのキャラ、武器、車など、多岐にわたったが、とにかくカッコイイと称されていれば何でも調べ、吸収した。
親友から「キャラ振れが酷いから欲張らない方がいい」と言われれば素直に軌道修正もした。
確かに、車が描かれたシャツを羽織り、カブトムシを象った創作武器を片手に特撮ヒーローのポージングでマンガの決め台詞を叫んだのは、我ながら迷走していたと思う。男子受けは良かったが女子は若干引いていた。
高学年になる頃には“カッコイイ振る舞い”もだいぶ板について、バレンタインには女子からチョコを貰ったり、なんなら告白もされた。
順調に進んでいた“カッコイイ化計画”だが、小学六年生へと進級を迎える頃、新たな問題が発生した。
それはお隣の親友宅で恒例の作戦会議中の事だった。卒業しても“カッコイイ”を貫くぞ! と意気込んでいると、親友から爆弾を落とされたのだ。
「そろそろ勉強できないとカッコワルイって思われるよ」
この指摘は私を大いに動揺させた。自他共に認める能天気な体力馬鹿だったのである。
父譲りのそこそこ整った顔立ちで、背丈も男子の平均よりも少し高かった上に、運動が得意なものだから、もう“カッコイイ”といえば私と思うくらいには天狗になっていたのだ。小学校内で告白された回数が一番だという事実も、思い込みを助長させていたのだろう。
この一大事に立ち向かうべく、私は両親に頭を下げた。
「父さん、母さん。お願いします、塾に通わせてください」
「ま、真琴ちゃん……今、なんて……!」
「もう一度……もう一度言ってくれ、真琴!」
「父さん、母さん!」
「その後よ真琴ちゃん」
「お願いします、塾に通わせてください!!」
私の申し出に両親は諸手を挙げて賛成し、お互い気が変わらぬうちにと、あっという間に通う塾が決まった。親友が通っている所がいいだろうと配慮までしてくれた両親には感謝しかない。
そうして中学入学までにギリギリ平均ラインまで成績を上げる事ができたのだ。
秀才レベルまで上げるには、残念ながら時間が足りなかったが。
だが落ち込むべからず、勉学の道はまだまだこれから。学年一位は流石に無理でも、上位にくい込むよう努力を続ける所存だ。
親友にも決意表明をすれば、「勉強できないのもカッコワルイけどガリ勉もモテないよ」と助言を得た。
矛盾してない? と半泣きになったものの「文武両道って字面からしてカッコイイじゃん」と言われてしまえば頷くしかなった。
“カッコイイ”文武両道に、私はなる!
「ふふ、はりきってるね真琴」
「明日から中学生だから! どこかおかしい所ない?」
親友との会議を終え、自室で制服の着こなしを確認していれば、薫ちゃんが顔を覗かせた。
今日も今日とて私の兄は可愛くてキレイだ。薫ちゃんに“カッコイイ”と言ってもらえるなら、きっと自信がもてるだろう。
そんな不安を見透かすように、先程よりいっそう柔らかな笑顔になった薫ちゃんが答える。
「ブレザーだから大人びて見えるよ、すごくカッコイイ。スラックスタイプを選んだんだね」
「ありがとう! 薫ちゃんはセーラーだったっけ。とっても可愛かったからまた着てほしいな……」
昔から輝き続けている薫ちゃんの美貌は、学校の制服ですらオート・クチュールかと思わせたものだ。可憐な制服姿の兄と学校生活を送っていた同世代の人達が心底羨ましい。
当時の情景を夢想していると、薫ちゃんはくすぐったそうに笑う。
「身体も大きくなったから、もうあの頃みたいには着られないよ」
「ねえ、見るのが私だけでも……着てくれない?」
同級生になれなかった悔しさを昇華させて欲しい一心で駄々を捏ねてみる。
妹の前だけなら恥ずかしさも半減だろう。何より薫ちゃんにまた制服を着てもらえたら私が嬉しい。
薫ちゃんをゆっくりと壁際に追いつめ、両脇に手を配置する。壁ドンというやつだ。女子にねだられて習得した技の一つである。日々の積み重ねによって自然な壁ドンが出来上がるので、感覚を忘れないよう定期的にドンさせてもらっているのだ。
「お願い、薫ちゃん……?」
「ううっ……。高校の制服なら、まだ……」
「やったー! ありがとう!!」
「もう、真琴には敵わないなぁ」
私の身長は縦へ伸び続け、薫ちゃんと同じくらいの背丈になった。なので顔を真っ赤に染め上げた薫ちゃんもよく見える。慌てると水族館のお魚みたいにあちこち泳ぐ目線が可愛くて、ついつい我が儘を言って困らせてしまうのだ。
乱れてしまった薫ちゃんの髪を整え、離れようとしたところで袖が引かれる感覚に立ち止まった。
「真琴は……学校でもそういうことしてるの?」
「うん!」
「そっ……そう、なんだ」
壁ドン、顎クイは1年前に履修し終え、成長期真っ只中の今はお姫様抱っこに挑戦中だ。もちろん親友である幼馴染や女子達の協力あってこそなので、小学校ではじゃんじゃんやっていた。
大好評なので中学生になっても引き続き技を磨く心積りなのだが、何故だか薫ちゃんの表情は暗い。
これはもしかして……。
「こういうこと、中学でもやってたらカッコワルイの?!」
「えっ……あ、そうそう! 誰にでもしていい事じゃないの! ここぞって時にするのがカッコイイんだよ」
「そうなの?」
「うん、だから……」
薫ちゃんの手によって、まるで踊っているように二人の立ち位置がくるりと入れ替わる。
けれど私の時とは異なり、腕で逃げ道を塞ぐ事は無かった。
ただ優しく、両手を私の頬に添えているだけ。それなのに。
「他の子にこういう事したら、ダメだからね?」
兄の初めて見せる男の子の表情が、今まで参考にしてきたどんな“カッコイイ”よりも一番で、私は頷く事しかできなかった。