正気泥棒と昔話を 前編
気が付くと、僕は、死んでいた。
気が付くと、そこは、地獄だった。
どちらも確証があるわけじゃない。
でも、見上げる限りの、この果てしない赤の空を見れば…ここが現世でないことくらい、容易に想像がついた。
「おっ。こやつ、目を覚ましたぞ! へぇー。人間って、本当にこうやって地獄に堕ちて来るんじゃne!」
誰かが、何かを言っている。
でも、もう、僕には関係の無いことだ。
だって僕は、死んだのだから。
「ねぇねぇユガミ。こいつ、ちょっとツンツンしてみても良い?」
「あぁ? まぁ、構わねーけどさぁ。ほどほどにしとけよなぁ」
「えへ、うん!」
誰かが、僕をつついている。
棒か、はたまた枝で。
僕の腕を、足を、顔を。
でも、もう、僕には関係の無いことだ。
だって僕は、死んでいるのだから。
「なぁおいお嬢。もう気が済んだだろ? そろそろ時間だぜ」
「もぉー、わかってるヨ。ユガミはせっかちじゃのー」
「あのなぁ、お嬢。ちょっとでも遅刻してみろよ。このユガミさんがアイツに怒られるんだぜ」
「んにゃーもう! はいはいはい」
誰かの気配が離れていくのがわかる。
急に静かになった。
また一人になった。
でも、もう、僕には関係の無いことだ。
だって、僕は、死んだのだから…。
死んだ、よね?
うん。死んだ。間違いない。だって、《あんな事》をしでかしたんだ。そりゃ、死んで当然だろう。
だからこそ僕は、こんな地獄くんだりで一人、横たわっているんだ。うん。
そう、地獄。やっぱりなぁ。地獄かぁ。天国には行けないと思ってたけど。実際直面してみると、やっぱりちょっと嫌だなぁと思う。
何だか、妙に、実感が湧かないけれども。
部屋の片隅で一日中ふてくされて。何も考えずぼーっと口をだらしなく開けて。そのまま塵と埃と霞を食べて生きてた様な僕だ。
そもそも生きている実感さえなかったような僕だ。そりゃ、死んだ実感がないのも当然の話。
しかし意外だったのは、所謂死後の世界ってやつでも、こうして五体を保っている事だ。てっきり魂だけの存在にでもなるのかと思っていたのに。よもや生前と変わらぬ姿のままとはね。
ただし、何故か体は一ミリも動かせない。天を仰ぐようにして、だからこそこうして、大の字で横たわるのみ。
あぁ、地獄の空って、何であんなに赤いのか。などと、思いつつ。
…。
……。
………。
どれだけの時間、僕は空を見上げていたのだろうか。自分という個が、溶けて混ざって、空の赤の一部になる。そんな感覚が僕を満たしていく。
正に、そんな時だった。再び、何者かが僕をつんつんつんつんと、ひたすらにつついていると気づいたのは。
「おっ!? よーやっと、気が付きおった」
誰だ。一体誰だ。ちょっと、今、いいところだったのに。
「ねぇねぇ、お前、わちをもてなすがよいぞ!」
少女が一人。
僕に喋りかけてくる少女が一人。
何だかやけに偉そうな、ド派手な髪色をした少女が一人。
ツインテール…ああ、それにしてもド派手な髪色だ。目の前の、この真っ赤な空を取り込んだ様なドぎついワインレッドのツインテール。
身長は140センチ程度の小柄な少女。いや、子供と言っても差し支えないかもしれない。しかし、何故こんな場所に少女が居るのか。
いや、それは愚問か。きっと、彼女も死んだのだろう。だってここは、地獄なのだから。
「なんじゃ、何とか言わんか!」
何とかと言われても、僕は指一本動かせないのだ。どうもしようがないじゃないか。
「あ~、そっか。さてはお前、体が動かせないんじゃな? でも、口は動くじゃろ?」
果たしてそれは、言霊だったのか。或いは、最初からそうだったのか。
彼女の言う通り、何故か、確かに、どうやら口だけは動かせるらしい。だったらと思い、僕は早速言ってやる。
「なん、と、か」
「はっ倒すヨ?」
お気遣いなく。もう倒れてるっての。
彼女の要望にきちんと応えたつもりだったが、なるほどお気に召さなかったらしい。
「…君は、誰?」
「良くぞ聞いた! わちは今日、正式に《月曜》を継いだ高貴なる地獄の鬼の姫、千姫じゃ!」
「せん、ひめ?」
「うむ。可愛い名じゃろ? 気に入っておるのじゃ。本名はなぁ、ちょーっと長くってなぁ、好かんのじゃne!」
何せ、千文字もあるからne! そう言いつつ、尚も僕をつんつんつんつんと、高速で容赦なく突き続ける自称、鬼の姫。
鬼。鬼か。成程ね。地獄だもんね。確かに鬼の一人や二人くらい、当然いるだろうね。
しかしそうか成程ね。鬼って、角、生えてないんだ。そうかそうかそれは知らなかった。ってか、名前が千文字ある姫だから千姫か。へぇ。
姫。姫ね。確かに言われてみればドレス姿である。黒の、ドレス姿である。ほぉ。ワインレッドのツインテールが良く映える、そんなドレス姿なのである。
相手は鬼とはいえ、姫サマなんてものをこの目で見られる日が来るとはね。本当、死んでみるもんだなぁ。などと、思いつつ。
「あの。ところで。千姫、さん? 先程からつんつんつんつんと、僕に何か御用で?」
「そうそう。わちなぁ、今なぁ、暇なんじゃ! だから、もてなすがよいぞ!」
「口しか動かせない、むしろこうして口を動かすのが精一杯の今の僕に、君をもてなせと?」
「そーだよ?」
何か問題でも? そう言いたげな、そう訴えかけるような、そんな純真無垢な顔を、僕に向けないでほしい。
成程、理屈も常識もなにも通じない。流石は自称姫、といったところか。
別段、このまま馬鹿正直に、彼女の言うことを、むしろ命令を、素直に聞く必要もないわけだけど。どうしてか僕は、《あれ》をやろうと既に心に決めていた。
どうしてだろう。不思議だ。でも、僕には、今も昔も、これしかないのだから。
「…ちょっとしたおとぎ話しか出来ませんが、宜しいですか?」
「えへ。いーよ」
◆ ◇ ◆
あるところに、伝説の木と呼ばれる木がありました。一見すると普通の木。どこにでもありそうな、どこにでも生えていそうな、そんな一本の木です。
今日も今日とて、そんな伝説の木を一目見ようと、遠くから旅人がやってきました。
「これが伝説の木か。何だ。もっと大きくて立派な木かと思っていたが、近くで見ると普通の木だな」
折角遠くからやってきたのに。
落胆した旅人は、せめてその伝説の逸話だけでも直接聞いてみようと、近所の集落でこの木について詳しく尋ね回ることにしました。
「やぁ、すみません。ちょっと聞きたいんですがね。あの伝説の木について何ですが」
「あぁ。何だアンタ、あの木を見るためにわざわざこんな辺境までやってきたのか?」
旅人の問いかけに対して、何故か意味ありげに、にやりと笑う集落住人。
不審に思ったものの、旅人は尚も問います。
「ええ。だってあれ、噂の伝説の木、なんですよね?」
「噂の? まぁ確かにあんたの言う伝説の木には違いねぇが。人様に語れるような伝説があったかな?」
「伝説の木なんでしょう? だったら、言い伝えの一つや二つ、あるはずですよね?」
「言っておくが、あんたの期待する伝承は一つも無いね」
「嘘だ! 私は、私が聞いたのは、あの木を見ると、病気が治るとか、大金持ちになれるとか」
「あっはっはっは」
突然笑いだした住人。何だか不安になってきた旅人は、彼の反応をじっと待ちます。
「いや、すまんすまん、あんた、俺と同じだなと思ってね」
「同じ? どういう事ですか?」
「あぁ、そうだな。つまり、俺も元々は旅人だったって事」
「あなたもあの木を見るために?」
「おう、そうだよ。あの木を見ると金持ちになれるって聞いたもんでね」
「でも、今はここに住んでしまっている。よほど気に入ったということですか?」
「…あんたにも心当たりがあるんじゃないか? 言ったろ。俺と同じだって」
「ここまで来るのに、全財産を使い果たした、から。だからここに住んでいる、とか?」
「ご名答。そして、安心しなよ。幸い、空き家ならまだある。ちょうど今、仲間を集めているところだったんだ。俺達に、ある考えがあってね…。なぁ、一緒にこの村を盛り上げようぜ」
元々、何もない土地でした。
目立った観光地もなく。特筆した産業もない。その上、作物もまともに育たぬ辺境の土地。
年々人は減り、このままでは村を維持していくことすら難しい。
そこで、ある一人の住人が思いついた手段。それは、何の変哲もない村はずれの木に伝説を造り、噂として流す。というものでした。
村を出るもの、或いは行商人。人から人、口から口へ。噂は少しずつ広がり、背びれと尾ひれが付いていく。
最初は、とにかく人を呼び寄せたかった。人を集めたかった。それだけでした。
噂を頼りに一文無しで辿り着き、この村に居つくものさえ現れ始め、村は、少しずつ賑わいを見せ始めます。
しかし、元々何もない村。あるのは、流れ人と、ただの木と、噂に騙されてやってくる旅人のみ。
だったら、そいつらを利用していくしかないだろう。のこのこやって来る正直者たちを、最後の最後まで騙して搾り取るしかないだろう。
後々、この村はこう呼ばれることとなります。
―― 嘘つき村、と。
ちゃんちゃん。
◇ ◆ ◇
「この話は、これでお仕舞です。その、いかがでした?」
「……うむ。うむ。うむ!」
まるで何かを味わうように。目をつむり、腕を組み、うんうんと何度も頷く鬼の姫。
鬼に向かって物語を語り聞かせる。果たして僕は、こんな地獄くんだりまで堕ちてきて、一体何をやっているのだろう。
「お前、名前はなんて言うのじゃ?」
さて。ここは正直に本名を言うべきか。もしくは偽名でごまかすべきか。
ここは地獄で、相手は鬼で姫なのだ。何が正解なのか、僕には少しも分からなかった。
とは言え、結局のところ。まともに思考が出来る状態でもなし、何だか考えるのも面倒になり、ここは素直に名乗ることにした。
「一夜です。一夜、未来」
「みらい?」
「過去現在未来の未来ですよ、姫様。笑えるでしょ? 死んだ人間に未来なんてありもしないのに」
「ふーん、みらいか。うむ、良し…決めた!」
何を決めたのか。
だがしかし。ここが地獄で、相手は鬼なのだ。つまるところ、僕へのお沙汰、もとい判決だろうか。
あまり聞きたくないなぁ、と、覚悟を決めかねていたその刹那、そんな僕の思考を殺すどこかの誰かの怒声が響く。
「あーーーー! やっぱりここだったかお嬢! 式典をサボタージュたぁいい度胸だぜホント」
褐色肌にボブカットの銀髪。その言葉遣いに似合わぬ知的そうなメガネ姿。そして何より、何故かクラシカルなメイド服の女性。いや、鬼か。それにしても地獄にもメイド服があるなんてなぁ。僕はちっとも知らなかった。本当、死んでみるもんだよね。
「ユガミ、ユガミ。わち、良い事思いついたのじゃ」
「聞きたくない。あーーー聞きたくない。そして、絶対に、ダ・メ!」
「ぐぬぬ。まだ何も言ってないモン!」
「先手を取らせてもらうようだがよ。ソイツは、紛れもなく罪人だ。それも…《無間送り》になるよーな罪人だぜ、お嬢。お分かりか?」
「あの最下層の?」
「おうよ。結構なレベルのやべー奴だろ?」
…ああ、何だ。
どうやら僕は、無間地獄へ送られるらしい。まぁ、血の池程度じゃ済まないとは思っていたけれども。それにしても最下層ですか、そうですか。
「お嬢がどうしても、堕ちたてほやほやの罪人が見たいっつーからこんなくんだりまで来たんだぜ? その目的は達せられたんだ。これ以上何を望むってんだよ」
「うむ! 良くぞ聞いてくれた、ユガミよ」
「別に聞いちゃいないんだがなぁ…」
「わち、こやつを気に入ったんじゃ」
「あ?」
ん?
「じゃから、こやつを今から現世に送り返す」
「お?」
は?
「こやつ、このままでは無間送りなんじゃろ? じゃから、蘇生させる」
「蘇生ってお嬢、寝言は寝て言えっての。そもそも一体どんな権限があってそんなこ…」
ユガミと呼ばれた鬼メイドの表情が、一瞬にして険しいものへと変わる。門外漢の僕でさえ、何か良くない展開が待っているのだと簡単に予想出来る、概ねそんな表情。
「みらいよ、お前は幸運じゃ。それもちょうちょうちょう! 何せ今日、この時、この瞬間のわちに出会わなかったら、お前の命運は尽きていたのじゃからな」
あの日あの時あの場所で君に会えなかったら。的なノリの事を言い、姫は、笑う。
健やかに、ただただ楽しそうに。姫は、笑う。
「一夜未来。この《月曜》の千姫の名において、お前に、恩赦を与える! さぁ喜び狂うがよいぞっ!」