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00「プロローグ」
ごく短いのでしばしお付き合いください。
フィリピンで対日戦の準備に追われていたダグラス・マッカーサーは、1941年冬には日本軍が大規模な攻撃を行おうとしていると正確に察知した。
しかしアメリカ本国は、マッカーサーが求めたフィリピンへの軍の増強をなかなか認めなかった。
そこでマッカーサーは、事後承諾の形で直接自らがワシントンに乗り込むことにした。
直談判で、彼の大切なフィリピンに大規模な増援を送り込むためだ。
そして1941年12月8日、日本軍が真珠湾を攻撃した時、当時軍に復帰して中将となっていたマッカーサーは、まさに首都ワシントンにあった。
職務放棄すら言われかねない状況だったが、丁度マッカーサーと接見中に開戦の第一報を聞いたルーズベルト大統領は一つの妙案を思いつく。
「こいつは大嫌いだが、そう言えば前の戦争でヨーロッパに行っていたよな。これは役に立つかも」。