第四十八話 アンタレス召喚
森は人間とダーク・エルフの住む場所の境界である。
アローラの森のすぐ外で儀式は執り行われる。
人間は直径十mの魔法陣を描いていた。
魔法陣の前にはアンタレスを呼び出す祭壇をすでに作ってあった。
祭壇は三段。高さが九十㎝、幅が二mの白木のものである。
人間は全部で二十人。一人は服装こそ旅人の外套を着ていたが貫禄があった。
だが、明らかに腕が立ちそうにない。威張っているのでお目付け役だった。
残り十九人のうち戦闘員は十二人だった。
アンタレスはSクラスの魔物。十二人がかりでも倒すのは至難の業。
十二人は常人ならざる空気を纏っていた。
精鋭中の精鋭だな。中でも明らかに頭一つ飛びぬけた凄腕は二人いる。
凄腕の二人は軽装の剣士。剣は少し良い程度で鎧も高級なものではなかった。
二人は敵がSクラスの魔物のアンタレスだと知っている。
それでもなお、この装備で問題ないとの判断か。慢心でないといいが。
祭壇を見ると、配置が間違っている箇所が目についた。
生贄の血を入れるカップと蝋燭立ての位置が逆だ。
それに、三つの林檎を盛った籠の位置もおかしい。
……こっちを試しているのか。
魔術に疎いマリアは当然に間違いに気付かない。
気付かぬ振りを装いながら強欲の指輪にそっと魔力を送った。
指輪からの信号が伝わったのかマリアはこっちを向く。
すかさずマリアのもとへ駆けつけ、マリアからの耳打ちを受けているふりをした。
意図を察したマリアも、適当にごにょごにょとヘイズに囁いた。
ヘイズも適当に頷き芝居をする。
怒った顔を作り意見する。
「おい人間。祭壇の配置がおかしいぞ」
人間は誰一人として慌てない。
やっぱりわかってやっていたか。
気にせず言葉を続ける。
「カップと蝋燭立ての位置を直せ。それと、林檎を盛った籠の位置もだ」
マリアに笑顔を作って向き直る。
「そうですよね、御主人様」
マリアは冷たい表情で相槌を打つ。
「そうよ。間違いは許されないわ」
「わかったら、早く直せ人間ども」
人間の魔術師が不愛想な顔で祭壇に配置されている物を直す。
確認を済ませてから「おほん」と咳払いをして、鞄から召喚スクロールを取り出した。
祭壇の前で召喚呪文を読み上げる。
スクロールが光りだし、空中に浮かび上がる。
スクロールは魔法陣の上空で黒い炎を上げる。
魔法陣の中に、銀色の体長六mにもなる大きな蠍が現れた。
あれがアンタレスか。思っていたより小さいな。
だが、油断はできない。
とっさの攻撃からマリアを守れるよう、一歩前へ踏み出しておく。
人間たち十二人が武器を構えアンタレスを囲む。
アンタレスは微動だにしない。
明確な敵対行動を取っていないためか、アンタレスからは仕掛けてくる様子はない。
人間が攻撃して来ることは予想できそうなものだ。自信があるのか。
だとしたら、厄介かもしれない。
アンタレスは伝説級の魔物。どれほど強いかわからない。
人間の魔術師三人が攻撃魔法を唱える。
三人の息はぴったりで、詠唱も見事に調和していた。
協調詠唱。詠唱を合わせて威力を上げる。特殊な魔法の唱え方だった。
詠唱が完了する。魔法陣の内部で高さ二十mにもなる火柱が上がった。
ひゅん、何かが飛ぶ音がした。次の瞬間、魔法を唱えた魔術師が倒れた。
魔術師たちはびくびくと数回痙攣すると動かなくなる。あれは即死だ。
誰も油断はしていない。だが、あっと言う間に三人が殺された。
炎が消えるがアンタレスは無傷だった。アンタレスの視線がちらりと動く。
アンタレスはまずヘイズを見た。次に、凄腕の人間二人を見た。
あの野郎、すぐに脅威となる存在を見抜いたか。
武器を手に七人の人間が襲い掛かかる。
凄腕の二人は動かない。ヘイズも動かない。
アンタレスは垂直にジャンプした。滞空時間は六秒。
落下して元の位置に戻った時には七人は倒れて動かなくなっていた。
アンタレスの攻撃には予備動作がない。また、不可解なものだった。
現れてから一分もたたない内に、人間は二人だけになった。
凄腕の剣士が動く。二人は仙気使いだった。
二人は左右からアンタレスを挟み撃ちにする。
二人の支援をするべきだと判断した。魔力の矢をアンタレスの目に放った。
アンタレスは目を瞑って、瞼でヘイズの矢を受けた。
ヘイズの魔力の矢は甲冑をも貫通する。
だが、アンタレスの瞼に傷一つ付けることはできなかった。
仙気を纏った剣士の突きがアンタレスの脇腹に決まる。
だが、こちらも傷にならない。
アンタレスが素早く回転して尻尾を振るう。
剣士はさっと避けた。
アンタレスは追撃をしない。剣士も迂闊にしかけない。ヘイズも魔法を唱えない。
場が静かになった。全員が様子を見ている。
アンタレスの体には強力な加護がある。でなければ、仙気を纏った攻撃が効かないわけがない。加えて、魔法に対しても強い耐性がある。
だが、もっとも厄介なのは人間十人をあっさり殺した理解できない攻撃だ。
連続使用はできないようだが、時間を与えると危険だな。
黒魔術なら通用するかもしれない。だが、まだ実力を明かすわけにはいかない。
ヘイズは飛び上がるとマリアの背後に隠れる位置取りをする。
後ろから、マリアにそっと指示を出した。
「発動しない魔法を唱えろ」
マリアは疑問を挟まず死の魔法を唱える。マリアでは死の魔法は発動しない。
発動しても死の魔法はアンタレスには効かない。アンタレスも理解している。
マリアの陰で、エスカトン・タナトス(終末の死)の魔法を唱える。
同時に影をマリアに重ねておく。
マリアが障害になっていても、アンタレスからはヘイズが何かしているのが見える。
だが、詳細に何をしているかまではわからない。
アンタレスが不用意に距離を詰めるとする。このスキに影を硬質化して仕留める。
ヘイズが魔法を唱える。アンタレスが大きく跳躍した。
速い。ヘイズが魔法を止める。影を硬質化させて防御しようとした。
その瞬間、剣士二人が音より速く動いた。
一人がヘイズとアンタレスの間に割って入る。
剣士がアンタレスの眉間を剣で突く。
アンタレスがなにもない空中を蹴り、後ろに跳んで距離を空ける。
跳んだ先にもう一人の剣士が待ち構えていた。剣士が尻尾の先を斬りつける。
アンタレスの尻尾の先が切断された。
なるほど、一人は速度に特化していて。もう一人は武器強化能力があるのか。
アンタレスはぴょんと跳び、また距離を空ける。
斬られたアンタレスの尻尾の先だが、すぐに再生した。
毒が含まれる尻尾の先の切断に成功した。これ以上の危険を冒す必要はない。
ヘイズがマリアに耳打ちする。
「いまから俺の教える呪文を唱えろ」
ヘイズはマリアにアンタレスを送還する呪文を教える。
マリアの呪文が流れる。剣士もアンタレスも動かなかった。
呪文を唱えが終わるとアンタレスは消えた。
後には十人の死体と切り離されたアンタレスの尻尾の先が残った。
犠牲は出た。だが、人間側だけなのでよしとするか。
ヘイズは胸を張って偉そうな人間に告げる。
「アンタレスの尻尾はたしかに渡したぞ」
偉そうな人間は気分の悪そうな顔で応じた。
「わかった。帰っていいぞ」
マリアと二人で現場を後にする。剣士の視線が気になったが振り返らない。




