第四十一話 祭器の値段
空を見る。高度三百mに鯨のような白い物体が浮かんでいた。
大きさは鯨より大きい。全長百mは超えていた。白い物体との距離は二㎞。
あんな大きな物が近づいて来たのにまるでわからなかった。
「あれは何ですか? ワウグーン草原にはあんな生き物がいるのですか?」
シンテイが険しい顔で応える。
「初めて見る」
白い物体から直径三十㎝の白い球体が時速三百㎞で飛んできた。
白い球体が地面にぶつかると、派手に草を撒き散らす。
飛んできた球体は全部で十個。地面にぶつかった球体がふわりと空中に浮かび上がる。
球体は直径四mまで膨らむと、白い飛竜に姿を変えた。
飛竜は白い息を吐く。息を浴びたケンタウロスの戦士が凍り付いた。
居留地は突如として現れた敵に混乱を来した。
ヘイズは迷うことなく逃げに転じた。
敵の狙いは間違いなく祭器。であるなら、ここでカップを渡すわけには行かない。
マリアの無事が心配ではあった。
だが、カップを持ったままマリアを連れて逃げる決断のほうが危険に思えた。
敵はインプが一人ぐらい逃げたところで問題ないと思ったのか、追ってこなかった。
追ってきても、一人なら逃げ切れる自信があった。
しばらく飛ぶと、何かに引っ掛かった。見えない魔力の網だった。
失速して墜落した。すぐに魔力を影に通わして見えない魔力の網を切る。
網から逃れたが、網を張った敵は近くにいる。
迂闊に飛び上がると、危険だな。
腕や脚に痛みを感じた。見れば剃刀で斬ったような切り傷が付いていた。
いつの間に付けられたのか、まるでわからない。不可解な傷がまた付く。
何をされているかわからなかった。
だが、敵から攻撃を受けている状況は明白だった。
傷は時間と共に増えて行く。だが、敵の位置が朧げにしかわからない。
敵は近くにいる。大崩壊を使えば巻き込んで倒せる。
だが、大きな魔力の放出は白い飛竜たちに気付かれる。
白い飛竜たちがやって来るほうが危険に思えた。
増えて行く傷に構わず、敵の位置を探ろうとした。上手く行かない。
傷が増えて行くので、治癒魔法で塞ごうとした。されど、傷は癒えない。
厄介だな。呪いの傷だ。
小さな傷とはいえこのままではいずれ動けなくなって死ぬ。
ヘイズは焦った振りをして、叢の中を駆け出した。血の雫が草原に舞う。
敵の気配はぴったりと従いてきていた。
五分ほど走ってヘイズは血を霧に変えた。
敵に血を付着させようとした。付着した血に通う魔力から、敵の位置を知る。
敵の位置はヘイズの五m後方と、とても近くにいた。
ヘイズは影を槍状にして敵を貫こうとした。敵はさっとヘイズの攻撃を躱す。
機敏な奴だ。ヘイズは魔力の矢を敵に向かって六本、放つ。魔力の矢は掻き消された。
魔法も打ち消すのか。敵とヘイズの距離は五m。敵は距離を大きく取らない。
分銅が眉間に目掛けて飛んできた。ヘイズは腕でキャッチする。
分銅に鎖が付いていた。分銅が蛇に変わって、ヘイズの腕に噛み付いた。
妬けるような痛みが走る。蛇は呪いの毒蛇だった。
ヘイズは呪いの毒蛇を解除する。
敵が一気に距離を詰める。敵の姿が見えた。敵は鎖鎌を持ったレプラコーンだった。
ヘイズは傷口を相手に向ける。体内に入った毒を帯びた血液を、弾丸にして放った。
毒の弾丸が敵の顔に命中する。敵は目測を誤った。鎌がヘイズの前を通り過ぎた。
ヘイズは影を伸ばして敵を貫いた。敵が穴だらけになり地面に転がる。
敵が光った。咄嗟に後ろに飛ぶ。半径五mを吹き飛ばす爆発が起きた。
爆発の後には何も残らない。場に残る力を回収すると、Sクラスの味がした。
どうにか勝てた。呪いの傷を解除して止血する。
爆発の音は大きい。敵が一人とは限らない。さっさと立ち去るに限る。
ヘイズは羽を広げると高度を高く取る。アローラの森に全速で飛んで行った。
アローラの森の入口でフラヴィアとマリアを待つ。
三日、待った。だが、どちらも姿を見せなかった。
戦乱の世だ。いつどこで別れが来ないとも限らない。
短い付き合いだったのかもしれない。ヘイズの気分は沈んだ。
アローラの森を抜けスンニドロに到着する。
ベルトランドに会い事態を報告した。
「悪魔大金貨十枚を借りる任務に失敗しました」
任務失敗を報告しても、ベルトランドは怒らなかった。
「詳しく話を聞かせてくれるか」
「人間から祭器を奪って悪魔大金貨と交換とする約束をシンテイ様としました」
ベルトランドは厳しい顔で確認する。
「祭器とは龍神を甦らす祭器だな」
やはり龍骨ケ原に龍神を甦らす祭器があると、ベルトランドは知っていたのか。
気にせず話を続ける。
「祭器は奪えました。ですが、祭器を渡す段階になって思わぬ邪魔が入りました」
「どんな奴だった?」
「白い飛竜です。中々に強かったので、ケンタウロス族の全滅もあり得ると思います」
ベルトランドはケンタウロス族の損害を聞いても、興味なさそうだった。
「それで、祭器はどうした? 持っているのか」
一瞬、嘘を吐いて祭器も隠そうか、とも考えた。
なにせ、祭器は二つで悪魔大金貨十枚分の価値がある。
だが、ヘイズはここでベルトランドの空気が変わっている事態に気が付いた。
ベルトランドは隠し立てを許さない気か。
ヘイズは観念して、鞄からカップを取り出した。
「この木製のカップが祭器の一つと思われます」
ベルトランドは当然のことのように訊く。
「ワンドはどうした? この祭器は二つで一組のはずだ」
現場を見ていないのに、カップと対になっていたのがワンドだと知っている。
ベルトランド、こいつはどこまで何を知っている。
「申し訳ありません。カップとワンドは、一人では持てない制約が掛けられておりました」
ベルトランドは、怒りも残念がりもしなかった。
「そうか。ご苦労だったな。祭器は俺が買おう」
ベルトランドは部屋にあった鍵付きの机の抽斗から小袋を取り出す。
ヘイズは小袋を受け取ると、中を確認する。
中には掌ほどの大きさのある悪魔大金貨が五枚もあった。
偽物かと疑ったが、本物に見えた。
金がない金がないと事務方はぼやいていた。
そんな貧乏傭兵団がぽんと悪魔大金貨を五枚もくれてやるわけがない。
ベルトランドはやはりどこかで大口の支援者を味方に付けた。
素っ気ない態度でベルトランドはヘイズに声を懸ける。
「また、何かあったら、頼む」
「ははっ」とヘイズは畏まって下がった。
ベルトランドは色々隠し事が多い男だ。
だが、これはしばらくベルトランドの傍にいたほうが儲けになる。
危険だがしばらくこの男の傍にいるか。




