第二十九話 ベヒーモス排除作戦
ガガタに連れられ、研究施設の奥に進む。
十分ほど進むと、金属扉があった。
扉の奥は二十人が乗れるエレベーターになっていた。
ガガタが険しい顔で説明する。
「エレベーターを降りてすぐに前室はある。前室にはベヒーモスがいる」
ヘイズはマリアに命じた。
「召喚水晶を渡してくれ、後はイフリータと俺でやる」
マリアは召喚水晶の入った袋を下ろす。中から召喚水晶を取り出した。
「私は一緒に行かなくて、いいのですか?」
「大丈夫だ。イフリータは強い。心配するな」
不安顔のマリアに見送られて、エレベーターで下へと降りる。
エレベーターは下の階に到着するまで三分の時間を要した。
扉が開くと、直径二㎞の円形の空間に出た。
上を見上げれば天井までは高く五十mはある。
天井から赤く輝く魔水晶が露出して赤い岩の地面を照らしていた。
部屋の奥には緑色の小山があった。緑色の小山が動いた。
相手は犀に似た全長三十mになる獣だった。
獣は筋肉の山の言葉が相応しい体形をしていた。ベヒーモスだ。
ベヒーモスは大地の上位精霊であり、歩くだけで地震を起こすと言い伝えられている。
歩みを止めることができず、進行上にある村や街は崩壊する。
ベヒーモスは立ち上がっただけで、襲って来る気配がなかった。
召喚水晶を持ってゆっくりと近づく。五十mまで近づけた。
ベヒーモスが男の声で警告する。
「停まれ。か弱き者よ。それ以上、近づくと攻撃せねばならない」
いきなり襲ってこないところを見ると、交渉の余地ありだな。
ベヒーモスはここの警護をやりたくてやっているのではない。
「俺の名はヘイズ。訳あってこの先の部屋に用がある。通してくれないか?」
ベヒーモスはじろりとヘイズを睨んだ。
「駄目だ。俺を縛る魔法が許さない」
「なら、俺がお前に掛けられた呪縛を解く。呪縛が解けたら精霊界に帰還してほしい」
「無理だな。俺を縛る誓約の魔法は強い。インプごときが解けるものではない」
「お前の事情なぞ知らん。ただ、呪縛が解けたら大人しく精霊界に帰還するかどうかだけ、教えてくれ」
ベヒーモスは鼻を鳴らして不機嫌に答える。
「こんな退屈な仕事はやりたくてやっているわけではない。叶うことなら今すぐにでも辞めたいくらいだ」
「わかった。なら、俺がお前に掛けられた呪縛を解こう」
ヘイズは一旦、下がる。
召喚水晶をエレベーターに載せた。上位精霊召喚魔法を唱えてサンドラを呼び出す。
魔法陣からサンドラが姿を現した。辺りに熱気が満ちる。
サンドラが楽し気な顔で辺りを見回す。
「変わった場所に呼び出すわね。それで、今回の相手はベヒーモスなの?」
「俺がベヒーモスに掛けられた呪縛を解除する。その間、俺を守ってくれ」
サンドラがつんとした顔で愚痴る。
「敵を倒す戦いは、好きよ。でも、誰かを守る戦いって苦手なの」
「頼むよ。ベヒーモスの攻撃から俺を守るなんて、サンドラ以外に誰ができるんだよ」
サンドラは得意げな顔で自慢する。
「普通は無理ね。上位精霊を押さえるには、上位精霊を持ってするしかないわ」
「わかっているなら断らないでくれ」
サンドラがにやりと笑う。
「私がベヒーモスを倒しちゃ駄目なの?」
「無理だ。奴は無限ともいえる魔力供給を受けている。普通の手段では倒せない」
サンドラはいともあっさり言ってのけた。
「無限の魔力供給とは倒すのが面倒臭そうね。いいわ、ヘイズを守ってあげる」
サンドラを先頭にベヒーモスから五十m地点まで行く。
「今から俺がお前に掛けられた呪縛を解除する。それまでお前の攻撃をサンドラが防ぐ」
ベヒーモスが不機嫌な顔で答える。
「相手が誰であれ、それ以上近づくなら、手加減はできん」
サンドラが胸を張って誇らしげに宣言する。
「戦いに手加減は無用よ。それに私は強いわ。貴方よりね」
ベヒーモスはサンドラの言葉に目を吊り上げる。
「おいおい、二人とも戦いの趣旨を間違えないでくれよ。俺はベヒーモスの呪縛を解いて精霊界に帰ってもらえれば、それでいいんだ」
サンドラがヘイズの言葉を聞いていないのか、突進を開始する。
ベヒーモスが吠えた。ベヒーモスの肩から角が生えて突進する。
サンドラが、ベヒーモスの肩に生えた角を掴む。
サンドラとベヒーモスが部屋の中央で力比べを開始した。
全く、サンドラと来たら、どうしてこうも好戦的なのかねえ。
飛び上がり、ベヒーモスの背中に飛び乗る。
ベヒーモスを縛る魔力が感じられた。
注意しながらベヒーモスの背の上で誓約解除の魔法を試みる。
ベヒーモスを縛る魔法は強い。並の魔術師では解除が不可能だった。
ヘイズにしても神速詠唱を使っても短時間では解除が不可能に思えた。
ほう、これは、なかなか見事な呪縛だ。普通にやるなら一晩は欲しいところ。
しかたない、黒魔術を使うか。ヘイズは親指を噛んで血を滲ませる。
素早くベヒーモスの背中に血の刻印を刻み、ベルワランダの名を唱える。
「偉大にして我が名付け親たるベルワランダ。今こそ、我に力を貸したまえ」
ヘイズがベルワランダの名を三度、唱える。天井が真っ暗になる。
「承認する」と闇から声が聞こえる。ヘイズの体から急に命の力が失われている。
代わりにヘイズの魔力は見るみる膨らんでいった。
ヘイズは体の震えを我慢しながら、意識を集中する。
ベヒーモスを縛る呪縛が形を伴って現れた。
呪縛はベヒーモスの体を縛る白い鎖となっていた。
ヘイズは魔力を両手に集中する。手の中には刃渡り八十㎝の裁ち鋏が現れる。
ヘイズは裁ち鋏を使って実体化した呪縛の鎖を斬ろうとした。
だが、鎖は固く簡単に刃が通らない。
鋏の刀身にベルワランダの名が浮かび上がった。
ベルワランダの加護を受けた鋏は、やすやすと呪縛の鎖を切った。
鎖は粉々になり、地面に落ちると消えた。
久々に使った黒魔術だが、上手く行った。
ベヒーモスの呪縛を解除した。
すぐにでもベヒーモスは精霊界に帰還してもよさそうだ。だが、帰らない。
ベヒーモスは目に力を込めてサンドラを睨みつけていた。
サンドラはサンドラで顔に喜びの色を浮かべ戦闘を楽しんでいた。
やばいな。ベヒーモスもサンドラも、当初の目的を忘れている。
踏ん張るベヒーモスをサンドラがずるずると押し始めた。
ベヒーモスが吠える。大地が大きく揺れ始めた。
おいおい、こんな空間で地震発生か。生き埋めとか、止めてくれよ。
ヘイズは空を飛ぶ。天井からの落下物を機敏に避けた。
ベヒーモスの体が一回り大きくなる。今度はベヒーモスがサンドラを押し始めた。
ここでサンドラの体に力が漲る。
サンドラはベヒーモスを持ち上げると、壁にぶん投げた。
壁にベヒーモスがぶつかる。天井から人間くらいの岩が、ぼろぼろと落下してくる。
ここら辺が頃合いだな。これ以上しつこく続けると、遺跡が壊れる危険性がある。
ベヒーモスが起き上がって突進を試みようとする。
ヘイズはベヒーモスとサンドラの間に大きな火球を投げて爆発させる。
サンドラとベヒーモスの戦いが停まる。
「ストップ。そこまでだ。それ以上やると戦いの舞台が保たない」
ヘイズの声にベヒーモスは攻撃を止めた。サンドラも構えを解いた。
サンドラが不満顔で抗議する。
「何よ。今、いいところなんだから、止めないで」
「サンドラ、勘違いしないでくれ。サンドラの役目は俺を守るのが仕事だ。これ以上、ベヒーモスとぶつかると、俺が岩に潰されちまう」
敵意のある目でサンドラを見つめる、ベヒーモスにも注意する。
「あんたも、いい加減にしてくれ。俺はあんたに掛けられた呪縛を解いた。いわば恩人だ。その恩人を生き埋めにしたら、名折れだぞ」
ベヒーモスとサンドラは、ちらちらと互いを見る。
サンドラがむすっとした顔で先に妥協した。
「いいわ。ここはヘイズに免じて終わりにしてあげる。付き合いって大事だからね」
サンドラの足元に魔法陣が出現する。サンドラはさっさと帰って行った。
ヘイズはベヒーモスに近付く。
「あんたも、もういいだろう。精霊界に帰ってくれ」
ベヒーモスの肩から出ていた角が引っ込む。
ベヒーモスは機嫌悪そうだったが、礼を述べる。
「世話になったな。世話になりっぱなしでは悪い。一度だけお前に力を貸してやろう。我が名はアーダイン。何かあったら、呼ぶが良い」
おっと、これは思いもかけない収穫だったね。取引先が一つ増えた。
ヘイズは魔法を唱えて精霊召喚契約書を出す。
アーダインは精霊召喚契約書を軽く読み、呪文を唱える。
空中に光るペンが現れ、サインが施される。
精霊召喚の契約が済む。アーダインは足元に魔法陣を出現させて帰って行った。
ベヒーモスの排除は終わった。召喚水晶も使わずに済んだ。
おまけに、ベヒーモスが一回、味方で召喚できる特典が手に入った。
これで魔石も貰えれば儲けものだ。
エレベーターが壊れていないか気になった。
扉を開けて中に入る。ヘイズは無事だった召喚水晶を回収した。
上へのボタンを押すとエレベーターは正常に起動した。




