第二十一話 潮時
ヘイズは二時間ほど心地よい気分で空を飛んだ。
司令部に一報を持っていってやるか。それぐらいしても罰は当たらん。
軽く寝て夜が明けるのを待って、司令部に飛ぶ。
司令部の近くに来ると、ヘイズはさも夜通し飛んできたように装う。
村の入口でオークの門衛に止められたので、慌てた口調で告げる。
「大変です。緊急事態です。リアータの街が吹き飛んでブリモア軍閥が全滅しました」
オークの門衛が怪訝に顔を歪める。
「何だって? そんな馬鹿な話があるか!」
だが、門にいた中佐の反応は違った。中佐の顔は厳しい。
「いや、待て。もう、とっくに到着していいはずの早馬がまだ到着していない。早朝には届くはずの戦況の報告がまだだ」
戦況が気になって門の前で早馬を待っていたのか。
ヘイズは慌てた様子ですぐに立ち去ろうとする。
「こうしてはおられない。すぐに、シュタイン城に飛んで、ボレット小佐に報告しないと」
中佐は立ち去ろうとするヘイズを呼び止める。
「ちょっと待て。もう少しだけ詳しく話を聞かせてくれ」
「詳しくも何もありません。ブリモア軍閥が街に入ろうとしました。すると、街が光って吹き飛んだんです。辺り一面には、多大な魔力が漂っていました」
「それだけか? もう少し、他に情報は、ないのか?」
「光はブリモア軍閥が陣を張る一・五㎞地点にまで及びました。軍は光に飲み込まれて跡形もなく消えました。私は遠く離れていたために、助かったのです」
中佐は表情も厳しく部下たちに命令を出す。
「報告を大佐に上げろ。それと早馬の準備だ。現状を確認させる」
中佐はてきぱきと指示を出す。ヘイズは司令部に入ると食堂で朝食を摂る。
携帯食よりやっぱ温かい食事だな。食事の後は酒場の屋根の上で寝転がる。
虫を使っての司令部内の情報を探った。
徐々にヘイズの齎した報告が拡がっていくのがわかった。
昼過ぎには早馬が帰ってくる。早馬が帰ると司令部内は騒然となった。
頃合いは良しか。さて、ウーゴの街に寄って時間を潰して帰るか。
ヘイズは司令部を飛んで後にする。ウーゴの街を適当にぶらつき時間を潰す。
早過ぎず、遅すぎず、の時間を計算する。
さも全力で飛び続けてきたように見せかけてボレットの館に入った。
ボレットの部屋に入ると、早口に告げる。
「大変です。ボレット様。リアータの街が吹き飛びブリモア軍閥が全滅しました」
ボレットが険しい顔で確認してくる。
「ブリモアが全滅ですって? 間違いないのね?」
「確かに、この目で見ました。私も、危うく爆発に巻き込まれて、死ぬところでした」
ボレットはヘイズを鋭い視線で見据える。
「どうしてお前は助かったの?」
「私が臆病なのが幸いしました。あまりに遠くで戦いを観察していたので、難を逃れたのです。きっと、マーリンの最期の魔法です」
「街が吹き飛び軍が全滅した。本来なら信じられない報告ね。でも、リアータの街にはマーリンがいるわ。マーリンなら最後に街くらい吹き飛ばすかもしれない」
本当は俺が犯人だがな。まさか、インプがオーク軍の六千名を葬ったとは思うまい。
ボレットは険しい顔で命令した。
「わかったわ。下がりなさい」
ヘイズは厩に行く。マリアが安堵した顔で出迎えてくれた。
「悪い。夜通し飛び続けた。疲れたので、少し眠る。独りにしてくれ」
嘘だった。だが、どこで嘘が嘘とばれるかわからない。
マリアも欺いておく必要があった。マリアはヘイズの言葉を疑わなかった。
「おやすみなさい。ヘイズ様」
ヘイズが厩に入ると、窓から出掛けるボレットが見えた。
一人になり今後を考える。オーク軍は一気に全兵力の三分の一を失った。
まだ遠征軍より数では勝る。
だが、これで、ボウロの街を囲む策が安易に採れなくなった。
ボウロの街を遠征軍が出た、との報告はまだ来ない。
リアータの街が消滅したので、ボウロの街に救援は来ない。
マーリンが強制転移で二千人の兵をどこに移動させたのか、気になる。
もし、ボウロの街に移動させたのなら、ボウロの兵力は四千五百になる。
ここまで数が増えると、六千名のビビン軍閥単独ではもう街は落とせない。
野戦に人間が討って出て来れば、ビビン軍閥が負ける事態すらあり得る。
勝った勢いに任せて、シュタイン城にまで攻め込まれれば、万一があり得る。
だが、アレンハンドロとセシルはそんな無謀な戦いをしないだろう。
では、遠征軍はどう動く? 俺がアレハンドロならとうに街を見捨てていた。
されど、アレハンドロはすぐに街を出なかった。
セシルとアレハンドロは街の住人をそっくり引き連れて、徒歩でポンズ地方にまで逃げる気か?
馬鹿げた作戦に思う。だが、時に人は、善意から、とんでもない行動を起こす。
四千五百名の兵士で一万人の人間を護衛して、二十日を掛けて徒歩で移動する。
人間も難しい作戦を採るな。
さて、オーク軍はどう出る? 人間もポンズ地方に逃がすか? 微妙だな。
オークにとって必要なのは、人間ではない。領土だ。
ブリモア軍閥をそっくり失った現状を考えるなら、人間を逃がして力を蓄えてもいい。
だが、この後にポンズ地方からの人間の侵攻があるなら話は別だ。
ここで人間を逃がす判断をすると、後々にオークを苦しめる。
俺としては、人間とオークがぶつかって多数の死者を出してもらいたい。
鍵になるのは宝珠だな。
ここで、宝珠が下手にオークに渡るとオークは戦わない可能性がある。
だが、宝珠を持って人間たちが移動するとなると、オークは人間を襲う。
宝珠は高価な魔道具だから俺も欲しい。ここは宝珠を貰う条件で、人間に加勢するか?
ボルカニア地方の戦争も落ち着きそうだ。ここいらが潮時だな。ボレットともお別れだ。
ヘイズはボレットを裏切って宝珠を手に入れると決めた。
軽く眠って起きる。ボレットの呼び出しに備えた。
だが、声が掛からぬまま、夜になる。
ヘイズは高速でボウロの街に飛んだ。ボウロの街の上空をぶらぶらと飛ぶ。
テレパシーで話し掛けて来る者がいた。魔力の波長からセシルだとわかった。
下を見るが、相変わらずセシルは見えない。
「オークが何の用だ?」
ヘイズは毅然と答える。
「我が主の言葉を伝える。宝珠を渡せば、人間に協力してもいい」
「お前の主はオークではないのか? お前の主は何者なの?」
「知らなくていい。もし、興味があるのなら策を教えよう」
セシルはヘイズの提案に興味を示した。
「詳しく聞かせてもらえるかしら?」
「お前たちは近々、街を出るのだろう。オークは人間を挟撃する」
確証はない。だが、さも確実を装って話した。
「指摘されなくてもわかっているわ。でも、私たちは諦めない」
「オークは軍を二つに分ける。北のシュタイン城側と南のボウロ側だ。北のオークは騎兵の機動力を奪うため、シュタイン城の北を流れる河の向こう側に陣を置く」
予想だが、間違ってはいないと思った。
セシルも同意した。
「河を背にしての布陣は、普通はしないからね」
「我が主はオーク軍のさらに北にある草原に火を放つ。お前は風の精霊でこの火を南側に煽れ。オークたちは堪らず河中に逃げ出す。これを打ち破って河を渡れ」
「河を渡れば、後はずっと草原が続くわね。河を渡れば逃げ切れる、ってわけね」
「そうだ。報酬は宝珠だ。報酬は人間が河を渡れるようになったら宝珠を貰う」
セシルから疑いの念が飛んで来る。
「裏切らない保証はあるの?」
「そんなものはない。ただ、このままでは人間は河を渡る前に全滅して、宝珠も奪われる」
「わかったわ。宝珠は渡すわ。だから、協力を要請するわ」
早い決断だな。これは、すぐにも人間は動く。
本来なら人間が河に到着するまで、ビビン軍閥に攻撃をさせないように工作したい。
だが、時間がない。ビビン軍閥に人間が負ければ宝珠は奪われる。こればかりは運だな。
ヘイズは用が済んだので、シュタイン城に帰る。
ボレットが帰ってきたのは夜遅くだった。
翌日、ボレットに呼ばれた。
「ヘイズ戦場に行くわよ。従いて来なさい」
人間を逃がさず、宝珠を取りに行く気か。
ならば、戦闘は必至。俺の望んだ流れだ。
「この度は、どのような戦いになるのですか?」
「シュタイン城から出て、人間の行く手を塞ぐのよ」
「わかりました。すぐに準備します」
ヘイズは厩に行き、マリアに命じる。
「これから、戦が始まる。マリアは、いつでも逃げられる準備をしておけ」
マリアの瞳に不安の色が浮かぶ。
「どこへ逃げるのですか?」
「お前は黙って従いてくるか、ここで俺を見限るかの二択だ」
「わかりました。ヘイズ様に従いて行きます」
オーク軍四千名が、シュタイン城を出る。幅五百mの河をオーク軍は渡る。
河の北側の二㎞の草原にオーク軍は布陣した。予想通りの布陣だった。
河を背にしなかったのは定石。だが、これは予想通りで俺にとっては好都合。
戦いの勝敗はヘイズが握った。
幕舎が設営されると、さっそく斥候が入ってくる。
「申し上げます。人間がボウロの街を出た、との報告がありました。人間は後ろを歩兵で固め、前に騎兵を配置。間に一万人の人間を入れ護衛しています」
司令官が厳しい顔でボレットに尋ねる。
「ビビン軍閥との連携は取れているのか?」
ボレットは涼しい顔で答える。
「作戦の共有はできていません。ですが、行動は読めます。ビビン軍閥は背後から人間に近づきます。追い付かれれば、人間はビビン軍閥と開戦するしかなくなります」
司令官は面白くなさそうな顔で確認する。
「ビビン軍閥が勝って宝珠がビビン軍閥に渡る可能性はあるか?」
「零ではありません。ですが、人間側にはセシルがいます。ビビン軍閥といえど、簡単には勝てないでしょう」
俺もセシルには、河に到着するまでは頑張ってほしい。
「開戦がなかったらどうする?」
「開戦はどこかで必ずあります。人間にとって危険なのは渡河の最中に追いつかれ挟撃される展開です。渡河の最中に倍する敵に前後に挟まれるほど危険な状態はありません」
普通はそうだ。だが、河まで到達すれば、俺の手により北のボダン軍閥は総崩れになる。
人間は北のボダン軍閥を破る。返す兵を南に向ける。
南のビビン軍閥と人間の全兵士が激突すれば、非戦闘員は河を渡れる。
司令官は楽天的な顔で予測する。
「渡河の最中に挟撃されれば被害は甚大。もっとも、ここにいれば人間はビビン軍閥と戦った後に、我が軍とぶつかるしかないのだがな」
ボレットは笑顔で滔々と語る。
「人間たちが河を渡れたとします。我らがここにいれば、戦闘は必至。疲弊した人間を殺せばいい。後は残った死体から宝珠を回収すればいいだけです」
司令官は景気よく気勢を上げた。
「ならば、ここで、もう一つ手柄を上げるぞ」
「おー」と将たちが息巻いて叫ぶ。
ヘイズはオークたちの敗北する未来を冷たい心で眺めていた。