第十六話 遅れてきた援軍
ボッズは現状を伝えるとヘイズの元を去った。
マリアはすっかり怯えていた。
セシルめ人間を逃がすだけでなく、援軍を呼びに行っていたのか。
ポンズ地方は人間の支配地域だが、人間だけが住む地域ではない。
何かしら問題を抱えている。全兵力を動員してシュタイン城を救いに来た訳ではない。
だとすれば、まだオーク軍の負けは決まっていない。
人間はいったいいくらの兵を率いてきたんだ。
「よし、ちょっと見てくる」
マリアが震えんばかりの態度で訊いてくる。
「私はどうしたらいいんでしょう?」
「下手に動くな。街から逃げ出す判断は危険だ。人間の敗残兵や魔獣に遭ったら終わりだ」
マリアはこくこくと何度も頷いた。
外に出るとオーク軍は浮き足立っていた。今、攻められるとまずいな。
オーク共が死ぬ分には構わない。だが、人間が勝利すれば命の回収ができない。
ヘイズは空高く飛び上がる。城から四㎞、北側に行った場所の河沿いに灯りが見えた。
遠見の魔法でざっとだけ確認する。二千名の人間がいた。大半は馬に乗っていた。
平原を馬で駆け抜けてきたか。城攻めに時間が掛かっていれば、危なかった。
援軍が場内に入っていれば、城は落ちなかった。
これだから戦争は、気が抜けない。
オーク軍は城攻めで多数の死者を出したといえ、まだ四千の兵を残している。
人間の敗残兵と援軍が合流すれば、人間の兵力は二千五百人。
城を奪還するには不可能な数ではない。だが、簡単でもない数だった。
相手は騎兵が主力だ。騎兵は開けた場所でこそ力を発揮する。城攻めには向かない。
人間も城が落ちていると知って落胆したはず。夜目も利かないから今夜の戦闘はない。
問題は明日以降だ。人間がどんな行動に出るか、だな。
いざとなったら、マリアを連れて送還用魔法陣で逃げるか。
館に帰るとマリアがすぐにヘイズの傍に来る。
「人間はどうでした? 大勢いましたか?」
「オーク軍よりは少ない。今夜の戦闘はない。問題は明日の朝以降だ」
ヘイズとマリアは厩で寝る。
だが、マリアは怖くて眠れないのか、頻繁に寝返りを打っていた。
「眠れないのか、マリア?」
マリアが背を向けて答える。
「思い出すんです。人間に村を焼かれた晩のことを」
「そうか。なら俺が魔法で眠らせてやろうか?」
「大丈夫です。今は寝てはいけない気がします。寝たら、人間が襲ってきた時に逃げられないから」
「なら、好きにするといい。俺は眠る。明日も目覚める。マリアと一緒に朝を迎えて、マリアと共に生きる」
マリアが寝ている向きを変えてヘイズを見る。
マリアの顔には不安な色がありありとあった。
だが、寝床に入る前より落ち着いていた。
「私は役に立たない生贄です。でも、嘘でもいいです。今だけは、見捨てないって約束してくれますか?」
「お前は役に立つ使用人だ。だから、なるべく回収する」
マリアが潤んだ瞳で尋ねる。
「見捨てないって、約束してくれないんですね?」
「そうだな。なら、ちゃんと今晩、眠って朝を起きるのなら、約束してやろう。俺はお前を見捨てない」
マリアがそっと小さな手を出す。
ヘイズはマリアの手を握った。マリアは静かに目を閉じる。
「おやすみなさい、ヘイズ様」
ヘイズも眠り、朝早くに起きる。
夜が明けてすぐだったが、マリアは起きてどこかに行っていた。
人間は夜間の戦闘を避けたか。慎重な判断だ。
街を歩けば、武装したオークたちの姿が目に入る。
オークたちは夜襲に備えていたせいか、あまり元気がない。
館に戻ると、ボレットが帰って来るところだった。
夜通しの軍議か。ボレット様も大変だね。
日が完全に昇った。マリアと一緒に食事を摂る。
食事といってもザワークラウトと乾パンだった。
物資をまだ完全に運び込めていないから仕方ない。
でも、こうなると、長くは籠城できない。
オーク軍にはビビン軍閥やブリモア軍閥の兵がいる。
司令部まで早馬で危険を知らせれば、七日もあれば援軍は来る。
裏を返せば、七日はボダン軍閥の兵で持ち堪えねばならない。
さて、数では劣る人間はどう動く。
昼になる。オーク軍は街の第一城壁の上に高からと軍旗をいくつも掲げていた。
軍旗を上げて数が多くいそうに見せる策か。姑息だな。だが、有効かもしれん。
人間はどれほどのオークが場内に入っているか、具体的な数を知らない。
敵が多くいると見れば無理に攻めてはこない。敵を欺くのも戦争だ。
昼前にヘイズはボレットに呼ばれた。ボレットが疲れた顔で命じた。
「人間の中にセシルが混じっているか、確認してくるのよ」
セシルの実力は知っておきたい。
けれども、普通のインプではセシルに近付くことすら、ままならない。
ボレットは何を考えている。
ヘイズは泣きそうな態度を演じて抗議する。
「無理ですよ、ボレット様。セシルといえば三傑の一人。私など発見する前に殺されます。それに、私はセシルの顔を知りません」
ボレットは魔法を唱える。
セシルの姿が空中に浮かび出される。
セシルは身長百七十㎝のすらりとした長身の女性だった。
見た目は二十代。だが、セシルには長命なエルフの血が入っている。
年齢は二十よりもっと行っている。
セシルはさらさらの金髪で丸顔。切れ長の目をしていた。
体はハーフ・エルフにしては筋肉が付いていた。
ボレットは憎しみの籠もった目でセシルを見る。
「こいつがセシルよ。我らオークの敵にして、ボダン軍閥の仇よ」
「でも、そんなに怖い人物なら、なおさら会いたくないですよ」
「泣き言は聞かないわ。セシルが従軍しているか、していないか――で、対応策は変わるのよ。何としてでも、確かめるのよ」
やれやれ、無茶を命じるご主人様だ。
ヘイズは館を出ると、厩に鞄を置いて外に出た。
シュタイン城を出て、高度五百mまで飛び上がる。
人間の陣地から一㎞にまで近づく。
遠見の魔法で人間の陣地を観察する。だが、セシルの姿は見えない。
入念に探すが、見つからない。これは隠れているな。
セシルは見つからなかった。だが、人間たちを観察して、別の情報がわかった。
人間の荷物は思ったより少ない。河沿いの草原であれば馬が餓える状況にはならない。
だが、草原の草は人間には食えない。
明らかに城に入って兵糧を分けてもらうつもりで出発してきたか。
人間は直ちに動く。だが、無理な城攻めはない。俺なら撤退する。
ヘイズに向かって鷹が高速で飛んで来た。ヘイズにとって鷹なんて敵ではない。
軽い気持ちで魔法の矢を神速詠唱で唱える。
光り輝く三本の矢が鷹に向かって飛んで行く。
光る魔法の矢は鷹に当たる寸前で不自然に軌道が逸れた。
全力でなかったとはいえ、俺の魔法を魔法で曲げた、だと?
鷹と衝突しそうになる。ヘイズは、ぎりぎりで回避した。
ヘイズは躱されない逆治癒の魔法で鷹を倒そうとした。
だが、鷹に魔法は効かなかった。
俺の魔法に抵抗しやがった。セシルと感覚共有した使い魔か。忌忌しい。
鷹はしきりにヘイズに突撃を繰り返す。ヘイズは避けて拳を叩き込もうとする。
だが、鷹の動きが速過ぎて、当たらない。鷹の攻撃もヘイズに当たらない。
三分ほど鷹とヘイズの空中戦が行われる。
いい加減、苛々してきた。本気で鷹を仕留めようかと考えると、鷹は飛び去った。
ヘイズの頭にテレパシーが届く。テレパシーは女の声だった。
「話を聞きなさい。ドウロの街の住人とリアータの街の人間を逃がしなさい。こちらの要求を聞けば、宝珠を渡すわ」
辺りを見回すがセシルの姿は見えない。セシルは地上からテレパシーを送っている。
距離が離れすぎている。俺の感知魔法で居場所を知るのは難しいな。
セシルがなぜヘイズにテレパシーを送ってきたか、理由はわかる。
オークの高位術者と感覚共有した特殊な使い魔だと、ヘイズを勘違いしている。
ヘイズは心の中に壁を作り、思考を漏れ出ないようにする。
俺の後ろにオークの上層部がいると見て、交渉しに来たか。
これはうまく行くと宝珠が手に入るかもしれない。思わぬ臨時収入が見込める。
さて、どうセシルを騙したものか。
すぐに良い作戦は思いつかない。なら、少し時間を稼ぐか。
テレパシーにヘイズは答える。
「わかった。検討するから時間をくれ」
セシルから鋭く厳しい念が返ってくる。
「お前、今、私を騙そうと考えていたな」
俺の心の中に築いた壁を突破したか? いや、セシルがいかに魔法を使いてとて、そこまでの技量はない。俺の心中は読まれていない。
ヘイズは堂々と答える。
「悪意をいだいて、何が悪い。我らは敵同士だ。だが、安心しろ。宝珠が欲しいのは、事実。街の人間にそれほど固執しないのも真実だ」
「わかった。なら、日暮れまで回答を待つ」
少し面白い展開になってきたな。さて、オークたちはどう動く?
ヘイズは飛んでシュタイン城に帰った。