第十四話 サンドラ対マーリン
オーク軍は日中に休み、しっかりと飯を食って、戦いに臨んでいた。
時を告げる魔道具が、シュタイン城攻めの一時間前を知らせる。
ボラテリアの連れてきた魔術士が、通信妨害の魔法を発動させた。
オークが動き出す。街にある見張り台の光が動くのがわかる。
どうやら、人間もオーク軍の異変に気が付いたな。
オーク軍は街から八百mまでの距離に近付き、これ見よがしに篝火を焚いた。
シュタイン城攻めの時刻の十分前になり、ボラテリアが毅然とした態度で命じる。
「召喚水晶をここへ。イフリータを呼び出すわ」
ヘイズは召喚水晶を袋から出して、持って行く。
ボラテリアが召喚水晶を地面に置き、呪文を唱えた。
召喚水晶が真っ赤に燃えて、地面に直径十mの魔法陣が描かれる。
魔法陣の上に身長二十mの炎を纏ったサンドラが現れた。
サンドラは不機嫌な顔で現場を見渡す。
ボラテリアは命じる。
「イフリータよ。街から六百mの距離に待機せよ」
サンドラは不思議がる。
「街を攻撃しなくて、良いのか?」
ボラテリアは強い口調で命じる。
「指示に従え」
ボラテリアの口調にサンドラはむすっとした顔をする。
サンドラがボラテリアの後ろのヘイズを見た。
誰にも気づかれぬように、こっそり手を合わせて頭を下げる。
サンドラが渋々の態度でボラテリアの命令に従う。
身長二十mのサンドラが近づく。街の見張り台の灯りが激しく動く。
命令の位置で、サンドラは立ったまま腕組みして動かない。
そのうちに、雑念に混じってサンドラの念がヘイズに伝わってくる。
雑念が混じる理由はわかる。近くで通信妨害用の魔法が発動しているためだ。
サンドラの魔力は強い。ヘイズとの距離も短い。
なので、雑念が入ってもよければ、テレパシーを送れた。
「今一、状況がよくわからないんだけど、本当に街を攻撃しなくていいの?」
サンドラの魔力は強いが、ヘイズの魔力もまた強い。
二人の間なら、ボラテリアに感づかれずに会話できる自信があった。
だが、あまりよい気はしない。
テレパシーを読まれるとは思わん。
だが、戦場でのテレパシーでの会話はできるだけ避けたい。
誰が聞いているかわからん。
「街を攻撃しなくていい。指示通り、街の前で待機だ」
ヘイズが答えると、街の門前に、白く光り輝く身長二十mの老人が出現した。
巨人の正体は、ヘイズにはわかった。力ある投影の魔法だった。
力ある投影の魔法とは、魔術士が触れられる分身を作る魔法である。
巨大なものほど造るのが難かしく、また力も強い。
「マーリンだ。マーリンが出たぞ」と、オーク陣営から驚愕の声が上がる。
サンドラがにやりと笑い、ひゅーっと口笛を吹く。
マーリンの奴、二十mもの投影像を出すとはやるな。
だが、あれだけ巨大な投影像を出すんだ。マーリンの本体は百m以内にいる。
マーリンは投影像を出したが、サンドラに挑み掛かってこない。
サンドラも手を出さないので、膠着状態に陥った。
作戦通りに、マーリンの釘付けには成功した。
サンドラから浮き浮きとした念が飛んでくる。
「強そうなお爺ちゃんね。ちょっと遊んでもいい?」
気温は初夏なので、まだ暑くはなかった。マーリンの死ぬ日は今晩じゃない。
ヘイズは強くテレパシーを送る。
「やめてくれ。待機でいいんだ。余計な真似はしないでくれ」
サンドラから不満の念が伝わってくる。だが、サンドラは頼みを聞いてくれた。
マーリンと一般的なイフリータなら、マーリンのほうが強い。
だが、サンドラは魔石を摂取して強くなったイフリータである。
対するマーリンは弱ってきている。戦えば五分に戦えるはず。
だが、負けたら、せっかくのお膳立てが崩れる。
マーリンもまた負ける事態を恐れている。マーリンが負けたら、街はすぐにでもオークに攻められる。マーリンの敗北は住人の死を意味する。
では、このまま膠着状態がいつまで続くのか。答えは否である。
精霊は人間界に存在し続けるには魔力を必要とする。
力ある投影も維持するには魔力を使う。
時間が来れば、どちらかが消える。
どちらが消えるかは、ヘイズには予想が付いた。サンドラだ。
サンドラには召喚水晶からの魔力補給分がある。
だが、サンドラにあまりやる気がない。
召喚水晶からの供給が途絶えれば、すぐに精霊界に戻る。
対してマーリンには引けない事情がある。
死ぬぎりぎりまで頑張る。となれば、先に消えるのはサンドラになる。
サンドラが時間になれば消えるとわかっている。だから、マーリンも動かない。
無駄に動かず、魔力を少しでも温存する。
よしよし、ここまでは作戦通りだ。
ボラテリアの元にブリモア軍閥の指揮官がやって来る。指揮官の顔は険しい。
「ボラテリア少佐、イフリータでマーリンを倒せないのか?」
ヘイズは澄ました顔を作っていたが、心の中で毒づく。
ここに来て欲張り野郎が出やがった。
ブリモア軍閥はサンドラならマーリンを倒せるのでは、と期待し出した。
サンドラは今回の作戦の要。ここで、サンドラが動けば作戦そのものが瓦解する。
だが、ブリモア軍閥は今日まで、陥落寸前の街を前に見ているしかなかった。
今日、チャンスが来た。是非ともチャンスをものにして王様に良い顔をしたい。
ボラテリアは冷たい顔で意見する。
「戦闘は可能でしょう。ですが、貴方の意見は司令部の方針と異なります」
「だが、マーリンを殺せればシュタイン城攻略に時間を掛けられる。街も落とせる。良いことずくめだ」
駄目だ。このおっさん、欲に目が眩んでいる。ボラテリア、間違っても、受けるなよ。
ボラテリアはボダン軍閥で派閥が違う。ブリモア軍閥の意見なんて聞かないとは思う。
だが、知性ある者の心は、どう動くかわからない。
ボラテリアが、ふっと笑って訊く。
「イフリータに攻撃命令を出したとして、私は何を得ます?」
おいおい、馬鹿な真似は、やめてくれよ。せっかくの俺の策が崩れる。
指揮官は機を良くして返事をする。
「街にある財宝の一割で、どうだ」
ヘイズはあまりの高額な申し出に、ボラテリアが飛び付くのではと、どきりとした。
されど、ボラテリアは違った。ボラテリアが澄まし顔で、自論を語る。
「お話になりませんわ。財宝の一割は多すぎる。渡す気なんて、ないでしょう。それに、私には監視が付いている」
ボラテリアがヘイズをちらりと見た。オークの指揮官もヘイズを苦々しく見る、
ヘイズは心中で舌を巻く。ボラテリアさんよ。監視がいるって発言はないぜ。
それじゃあ俺を殺せばイフリータに命令できる、とも取れるぜ。
ヘイズなら、ここで戦闘になっても逃げきれる自信は、あった。
だが、せっかく成功しそうになっている作戦を、失敗させたくなかった。
ヘイズが二人に視線を送ると、ボラテリアが素っ気なく将に言い放つ。
「もっとも、いかに強力なイフリータといえども、マーリンに勝てるとは思えません。ここは司令部の命令に従うのが賢いと思いますが」
指揮官はボラテリアを説得できないと悟る。指揮官は歯噛みして帰っていった。
危機は去った。当然か。命令違反して街が落ちなかった時は処分の対象だからな。
サンドラとマーリンはそのまま明け方近くまで睨み合う。
サンドラの姿が揺らぎ消えていった。
召喚水晶の効果が切れたな。静かなる勝負は終わった。
サンドラが消えてから五分後に、マーリンの力ある投影像も消えた。
これで、マーリンは少なくとも今夜までは動けない。
マリアが指輪の力を使い魔法を唱えれば、ヘイズの魔力が減る。
小さいものでも三度も続けてくれば見逃しはない。
だが、合図は未だない。
シュタイン城攻めが上手く行っていないか。
夜になればマーリンが回復する恐れがあるな。どれ、ちょっと加勢に行ってやるか。
ヘイズは、こっそりとブリモアの陣中を抜ける。
弾丸のような速さでシュタイン城に向かった。