第一話 主人と使い魔
高さ五十㎝の真っ赤に光る縦長の水晶がある。水晶には一体の魔物が写っていた。
魔物は子供のような容姿をし、肌は紫色。頭髪はなく角がある。背中には蝙蝠の羽を生やしている。恰好は革の半ズボンを穿き、肩掛け鞄をしている。頭には丸帽子。靴は先が尖った木の靴を履いていた。
魔物の種族はインプ。名をヘイズと言った。
ヘイズは自分の身長の半分ほどもある水晶を抱え、テントから出る。
春の陽気が眩しい。インプは光の元でも動ける。だが、あまり光の下は得意ではなかった。逆に僅かな光でも暗闇を見通せる目を持つ。
テントの外では人間とオークの軍勢との戦争が行われていた。
前線とは五㎞の距離がある。だが、戦争は激しく戦闘音は伝わってくる。
オークとは豚の顔を持つ人型種族である。性格は計算高く好戦的。オークは魔神の軍勢に属する勢力で人間の敵である。だが、利があると見れば他の種族も襲う一面があった。
戦争が始まって六十分。戦いは人間が優勢であり、オークの軍勢は押されていた。
ヘイズはシビアに計算する。これは負けだな。この召喚水晶でサンドラを呼び出しても戦局が持ち直すのは一時的だ。どこかで、タイミングを見て、ずらかったほうが良い。
外では本陣を前にオークの将兵が待っていた。
ヘイズは雇い主であるオークの黒魔術士の元に召喚水晶を運んだ。
「ご主人様。召喚水晶を持ってきました」
オークの黒魔術士が召喚水晶を地面に置き、呪文を唱える。
召喚水晶が真っ赤に燃えて、地面に直径十mの魔法陣が描かれる。
魔法陣の上に身長二十mにもなる炎の女精霊イフリータが現れた。
ちなみに、男の場合はイフリートと呼ばれる。
ヘイズはイフリータの名前を知っている。名はサンドラ。ヘイズの盟友である。
だが、あえて主人にはサンドラの名前を教えていなかった。
オークの黒魔術士が命令する。
「イフリータよ。人間を焼き尽くしてこい」
サンドラは戦場を一瞥すると、不機嫌な顔をする。
「どうした? 早く行け」とオークの黒魔術士は苛立つ。
サンドラはヘイズの顔を見る。
ヘイズは手を合わせて頭を下げた。
サンドラが空を飛び、人間に襲い掛かる。
ヘイズの予想通りにサンドラの活躍でオークの軍勢が盛り返すかに見えた。
オークの司令官が怒る。
「何をしている。軍を前に出せ。この機を逃すな。人間を蹴散らせ」
副官が叫ぶ。
「駄目です。魔法による多重干渉により命令が上手く伝わりません」
「伝令だ。伝令を出せ」と司令官が叫ぶ。
この辺りが頃合いかな。
ヘイズは畏まって申し出る。
「ご主人様、私が前線に出て命令を伝えてきます」
「おい、待て」
主人のオークの黒魔術士の言葉を聞かずにヘイズは飛び出した。
ヘイズは伝令に行くと見せかける。見えなくなった場所で空を飛び、高く飛び上がる。
インプの翼は高くは飛べない。だが、ヘイズの翼は悠々と高度五百mまで飛んだ。
おーおー、ここなら戦争がよく見えるわ。
鶴翼の陣形を採って人間たちを囲んでいたオークの軍勢は半ば崩れていた。
対する人間は、魚鱗の陣を綺麗に保っていた。
頭数が多くても、兵の練度に差があっては、勝てないんだよな。
戦場での前線で爆発を起きる。サンドラが撤退時に放つ憤怒の炎だった。
あーあー、サンドラも撤退か。これは決まったな。さあ、経験値を回収しますか。
頃合い良しと見たヘイズは、大きく息を吸い込む。
戦場に散った無念の人間の意志と命が、空気と一緒に大量に流れ込む。
ヘイズは戦争で死んだ人間の力を吸っていた。
ヘイズの耳朶に挟まっている小さな金属片から、声が聞こえる。
声の雇い主はオークの黒魔術士だ。
しきりに「戻ってこい」と喚いていた。
「ばいばい。ボス」
ヘイズは耳朶から金属片を外すと、ぽいと捨て、安全な場所まで飛んだ。
地面に降り立ったヘイズは鞄を開く。次いで、畳まれた一辺が一mほどの布を取り出す。
布には魔法陣が描いてあった。
ヘイズは魔法陣に乗ると、自ら送還用の呪文を唱える。
辺りの景色が薄くなり、消える。次に景色が戻ってくると、石造りの地下室だった。
地下室は二十㎡の広さがあり、床に魔法陣が描いてある。
棚には色々な魔道具が置いていあった。
魔道具の中には戦争で使った召喚水晶も置いてある。
地下室から出る。台所と繋がるリビングがある。扉を一枚隔てて寝室があった。
ヘイズは台所で一杯の青い魔法薬を飲む。その後、パジャマを着ると眠りに就く。
「さて、また明日から就職活動だ」
ヘイズは夢を見た。地球で人間だった時の夢だった。だが、起きると忘れてしまう。
ただ、ヘイズは覚えている。かってヘイズは人間だった。姓は兵頭、名は景孔。
朝になると、土鍋で粥を炊き食べる。おかずは乾燥させた鮭フレークとザワークラウト。
食事を終えると地下室に行く。魔法陣の前で呪文を唱える。
魔法陣が光り内容が書き換わる。それから、もう一度、別の呪文を唱える。
魔法陣の下から人間サイズになったサンドラが現れた。
サンドラが軽く手を挙げると、サンドラを覆っていた炎が消える。
ヘイズはサンドラを労った。
「お疲れ様。毎度毎度、苦労を掛けるねえ」
サンドラは愚痴った。
「本当に苦労ばかりよ。負け戦ばかりじゃストレスが溜まるわ」
「次は勝てるように努力するよ。こちらもいつも負ける側だと出費が嵩む」
「それで、人間と魔神の戦況はどうなのよ?」
サンドラは精霊界の住人である。精霊界は戦争の舞台にならない。
精霊たちにとって、戦争は関心が薄かった。精霊は概して人間界の戦争に疎かった。
「人間がどっかで勝っても、別の場所で負ける。魔神勢も同じく、どっかで勝っても、どこかで負ける。一進一退。勝ったり負けたりだ」
サンドラはつまらなさそうに答える。
「今までと変わらないのね。つまらないわね」
「だが、確実に両陣営で特筆級の戦力、いわゆるSクラスと呼ばれる人材が育ちつつある。このまま行けば、時代は戦乱の時代から群雄の時代へと移ってゆく」
サンドラが、にこにこして褒める。
「Sクラスって、ヘイズを指しているの?」
「よせよ。俺はそんな柄じゃない」
「普通のインプに精霊召喚はできないわ。高度な黒魔術も使えない。ヘイズはインプの限界を突破しているわ。種の限界を超えた先にあるもの、それがSクラスでしょう」
ヘイズの見た目はインプである。だが、インプの能力の限界はとうに超えていた。
「だとしても、俺はSクラスの下のほうだ。歴史に名は残らないさ」
サンドラは目を細めて評価する。
「そう、つまらない男ね」
「話を本題に戻す。次の戦争はボルカニア地方だ。ここで、街を落とさんと、オークが人間の街に侵攻を掛ける。これに、介入してオークを勝たせる」
サンドラはあまり乗り気ではなかった。
「でも、勝つ保証はないんでしょう」
「ない。だが、今のところ一番、人間を敗北させやすい場所だ」
「いいわ。戦争になったら、召喚水晶で呼びなさい。加勢してあげるわ」
ヘイズは力を口に集める。頭で炎をイメージする。
口から力の塊を吐き出した。直径五㎝の紅玉が出た。紅玉を掌で受け止める。
紅玉は火の力が籠もった石である。紅玉のような石は魔石とも呼ばれた。
炎の精霊は、紅玉を摂取することで力が上がる。
ヘイズは紅玉にわずかに付着した唾液を拭こうとする。
だが、サンドラは構わずヘイズの手から紅玉をひょいと取る。
サンドラは妖艶な笑みを浮かべると、そのまま、紅玉を口にした。
「美味しい。人間の命の味がする」
サンドラにとって、美しさとは強さでもある。
サンドラはより美しくなるためにヘイズに手を貸していた。
ヘイズは召喚水晶を餌に主に取り入り、主の傍で戦争に赴く。
サンドラは炎の力で人間に大きな被害を出し、戦場に人間の命を散らす。
散った人間の命はヘイズが吸い上げる。手に入れた命はサンドラと折半する。
ヘイズはそうして、力を手にしてサンドラと共に成長していた。