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七話

 緑に覆われた頭上から、時折きらきらと輝く日の光が差し込み、そのたびに私は目を細める。辺りには無数に立ち並ぶ木々の景色しかないが、吹き抜けていく風は爽やかで、吸い込む空気も新鮮で気持ちがいい。少し疲れた体もすぐに癒してくれそうな環境だ。

 数日をかけてアーメルナヤンの街に到着してから、私達はすぐに峠の道に入った。これまでの平坦な街道に比べ、ここは坂道が多く、やはり険しい。道幅も狭く、荷車などはもちろん、すれ違う者もいない。王都までの距離としては、この峠道のほうが近いのだが、大きな荷物が運べない上にこの険しさもあり、多くの者は時間がかかろうとも遠回りになる別の道を使っているようだ。

 私は張り出した木の根に腰を下ろし、休憩を取っていた。案の定、今の私の体力ではなかなか厳しい道で、自分の落ちた体力を実感させられる時間が続いていた。それに気付いたパーレンは休憩をしようと言ってくれて、私はもう少し歩くつもりだったが、パーレンが用を足したいと言うので頷くしかなく、こうして休んでいるのだ。

 しかし、ここに腰を下ろしてから十分以上は経っている気がする。用足しにこれほど時間がかかるだろうか。それとも腹でも壊しているのか。パーレンが姿を消した茂みのほうをうかがいたかったが、万が一そんな様子を見てしまったら気まずいどころではない。気になるが、静かに待つしかない。

 だがふと思った。私は二度も襲われている。まだ狙っている者がいるとしたら、同道しているパーレンのほうを襲うこともあるのでは――そう考えると、私は居ても立ってもおられず、すぐに立ち上がった。こんなに時間がかかっているのはそういうことかもしれない。危害を加えられていないとしても、囲まれて逃げられないとか、見つからないよう隠れて動けないとか……だったら早く助けないと。

「待たせた」

 声に振り向けば、横には笑顔のパーレンがいた。

「無事、だったか……」

 私は胸を撫で下ろした。

「ん? 無事って? 俺は用足しに行っただけだが」

「なかなか戻ってこないから、前みたいに襲われたんじゃないかと思って」

 これにパーレンは笑った。

「ああ、悪かった。実は入った茂みに蜂の巣があって、飛んできた蜂から逃げてたんだ。幸い刺されずに済んだが」

 襲われてはいたが、相手は蜂だったか。

「そうか。それなら、よかった」

「そっちの体力はどうだ。休んで戻ったか?」

「ええ。大丈夫」

「じゃあ行こう。夕方までにはこの辺りを見て回らないと、暗い道で迷子になりかねないからな」

 まだ時間は午前だ。手掛かりを探す余裕はたっぷりある。わざわざ峠道を上って来たのだ。どんなことでもいいから、一つくらいは思い出したい――私とパーレンは狭く険しい道を再び進む。

「……何か、感じない?」

 太陽が高い位置に差しかかり、そろそろ山の頂上が見えてくるというところで、私はパーレンに聞いた。

「何かって?」

「妙な気配……」

 私は周囲に目をやりながら答えた。

「え……?」

 パーレンは表情を曇らせ、私と同じように周囲を見回す。

「……俺は特に感じないが」

「耳を澄ましてみて。後ろの方から、がさがさした音が付いて来ているような……そこに気配を感じる気がして」

 梢が揺れる音に混じり、背後から草を踏むような音が私には聞こえていた。休憩を終えた後くらいからだろうか。それはざっざっと、こちらの歩みに合わせたかのように、規則正しく聞こえてくる。意思を持った音……すなわち気配だ。

「枝や草が単に風で揺れてる音だろう?」

「そうじゃなくて、付いて来ているんだ」

 どこかに忍びながら、まるでこちらをうかがっているような……。

「本当か?」

 足を止めたパーレンは踵を返すと、通って来た道の脇の草むらや木の裏などを確認し始めた。

「襲ってきた男達の仲間がいるのかもしれない」

「……人影は見えないな。何度も襲われて無理もないとは思うが、ちょっと神経質になり過ぎじゃないか?」

 言われて私は言い返そうとしたが、そうかもしれないと思い、言葉を呑み込んだ。確かに、休憩中もパーレンの戻りが遅いことに、襲われたのかもと不安になっていた。いつ襲われるかもしれないという気持ちが不安を増幅させ、些細なことにも敏感にさせているのかも。耳を澄ますと、今は風に揺れる枝葉の音しか聞こえない。不安な気持ちが空耳を聞かせていたのだろうか。

「……ごめん。そうかもしれない」

 謝るとパーレンは歩み寄り、軽く息を吐いた。

「そう心配するな。俺もいるんだ。さあ、行こう」

 促され、私はまたゆっくりと歩き始める。不安な気持ちを消すため、もう一度耳を澄ましてみた――気配を持った音は聞こえない。自分達の足音に、風に揺れる緑の音だけ。やはり空耳だったようだ。怖がり、警戒することは身を守るために必要なことではあるが、それも度が過ぎれば身動きが取れなくなる。今は警戒よりも、記憶の手掛かりを見つけることに集中しなければ。

 険しい坂道を上り続けると、視界が少しずつ開けてきた。ようやく頂上の峠まで来たようだ。

「なかなかいい眺めだ」

 木々の間から少しだけ見える王都と、その周囲にある森や川などの自然の景色に私はほっと息を吐いた。

「初めて見る眺めか?」

 横に並び、同じように景色に目をやりながらパーレンが聞いた。

「多分……この峠自体、来るのは初めてだと思うが」

「それはまだわからないだろう。忘れてるだけかもしれない。少し見て回ったらどうだ」

「でも、特に何も……」

「急な坂でちょっと疲れた。休憩ついでだ」

 そう言うとパーレンは木に寄りかかって腕を組む。こちらを見る目は見て回って来いと急かしてくる。ここまでは黙々と歩いて来たのに、急にどうしたのだろうか。休憩の口実にしては強引に感じるが。だがまあ、ここに来たのは記憶を思い出すためなのだ。こちらに拒否する理由はない。私は一人で辺りを歩いてみることにした。

 眼下を見下ろせる場所から少し戻った道は片側が崖に面しており、かなり危険な道になっている。私はどれほどの高さの崖なのかと思い、何となくのぞいてみた。

「……まあまあの高さだな」

 崖と言っても断崖絶壁というものではなく、急な斜面が長く続いているような崖だ。だがそれでも人が誤って落ちれば容易に転がり、無傷では済みそうにない。危険な場所には違いないだろう。一番下は木や雑草が多過ぎて見えないが、音の反響などから結構な高さであることは感じられた。

 視線を戻し、他の場所も見て回ろうと辺りを見回した瞬間、私は動きを止めた。今、頭に何かが浮かんだ。ぱっと閃光のように……男達の襲撃を受けている時にも、同じことがあった。ほんの一瞬、黒いもやに隙間ができて、そこから何かが見えそうで、見えなくて……。

 私は慌てて周囲に視線を巡らせた。これはきっと、消えた記憶が何かに反応しているのだ。見覚えのあるものに。一体私は何に見覚えがあるの? こんな自然しかない景色の中で、記憶は何に反応した?

「どうかしたか」

 あちこちに視線をやる私を見て、パーレンが近付いてきた。

「今、何かが思い浮かんだ」

「記憶か? 思い出せそうなのか?」

「わからない……でもここに手掛かりがあるかもしれない」

 どこにまた閃くかわからない。私は焦る気持ちをできるだけ抑え、周囲をゆっくりと眺めた。春の暖かさに芽吹いた若い緑が視界の多くを占める。こんな景色はここに来るまでに飽きるほど見てきた。おそらく、この峠道だからこそ閃いた理由があるはずだ。そしてその手掛かりも……。

 再び崖下へ視線を落とした時、私はそこに何かが落ちているのを見つけた。低木の枝に、茶色の紐のようなものが絡まっている。何だろうか――私は危険を承知で崖に一歩踏み出した。

「おい、何してるんだ。ここを下りるつもりか?」

 慌てたパーレンがすぐに止めに来た。

「違う。そこに落ちているものを拾うだけだ」

「それ以上下りたら、足を滑らせかねないぞ」

 一応木の幹に手をかけてはいるが、斜面上ではどうしても体勢が悪くなる。パーレンの言うようにいつ足を滑らせてもおかしくはない。

「じゃあ、腕を支えてもらえるとありがたい」

「わかった……気を付けろ」

 木につかまる腕をパーレンに握ってもらいながら、私は低木まで反対の腕を目一杯に伸ばした。紐までは指先ぎりぎりの距離だ。ふらふらしそうなのをこらえ、どうにか紐に触れると、二本の指で挟んで回収した。そしてパーレンに引っ張り上げてもらい、無事に道へ戻った。

「ありがとう。助かった」

「それで、何を見つけたんだ」

 拾ったものを見ると、それは首飾りのようだった。紐は切れてしまっているが、その途中には光沢のある黒く丸い石が金具でがっちりと留められている。作りを見るに、素人の手作りのようにも感じる――あれ? 私はこの首飾りを知っている。それどころか、身に付けていた自分が見える。これはなくした記憶の一部……私は、誰かにこの首飾りを貰った。でもいつ? どこでだった? 肝心なところはもやに隠れて見えない。けれど何か思い出せそう。もう少しで、手が届きそう……。

「どうした。これに見覚えがあるのか?」

「……これは、私の首飾りだ」

「え? 本当か? それじゃあ……」

 私は静かに頷いた。

「ここにいたんだ。私は。この峠に」

「記憶が戻ったのか?」

「いや、ほんの一部だけだ。この首飾りのことだけ……でも、私はなぜこんな場所にいたのか……」

 そして、なぜ首飾りが切れ、崖に引っ掛かっていたのか……そこまで思い出せれば。

「だがよかった。坂道を上って疲れた甲斐もあったってことだ。全部じゃないが、少しでも思い出せたんだ。その続きもゆっくり思い出せばいい」

 パーレンは私の肩に手を置くと、明るくそう言った。私はそれに答えようと、首飾りからパーレンへ顔を向けた。

「そうだな。この調子が続けば――」

 間近で笑顔を浮かべるパーレンを見た途端、頭にこれまでにないほどの閃光がほとばしった。それは邪魔をしていた黒いもやを吹き飛ばし、見えなかった光景を鮮明に浮かび上がらせた。そこに見えたのは、雨。薄暗い中に降る雨だ。木も草も地面も、どこもびしょ濡れだ。もちろん私も、追って来た相手も。全身に雨を滴らせ、私を崖際に追い詰めて来る……厳しい表情が間近に迫って来る……。今、目の前にある笑顔とは真逆だというのに、その顔はぴったりと重なる。これが、忘れていた真実――

 私は肩に置かれたパーレンの手を払い、後ずさった。

「……いきなり何だ」

 怪訝な顔でパーレンは言う。

「あなたも、ここにいたのだな」

 これにパーレンは動きを止め、わずかに目を見開いた。

「王都に近い街道で会ったというのは嘘だ。あなたは、私を追ってここにいた。そうだろう?」

 見据えたパーレンは何も答えず、同じように私を見てくる。

「答えろ」

 するとパーレンの表情が変わった。薄く、穏やかな笑みを浮かべる。

「……全部、思い出したのか」

「ええ……あなたは私を、ここで追い詰めた……」

 追っ手の一人として、あの日、パーレンは私の前に現れたのだ――

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