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四話

 数日をかけ、ヤグルカの街に到着したのは、日が傾き始めた夕方だった。肌寒い風に吹かれながら、私は街の中を歩いて行く。

 アーメルナヤンと比べると、この街はやや小さく、人の数も少ないだろうか。王都から大分離れていることもあり、人々の雰囲気や街並みに田舎臭さが漂っている。でもそれは決して悪いことではない。騒音や息苦しさがない分、落ち着いてゆっくりと周囲を眺めることができる。少なくとも、私の故郷よりはいい街だ。

 夕食時とあって、多くの民家の煙突からは白い煙が吐き出されている。通る場所によっては美味しそうな匂いも漂ってくる。こんな匂いをかがされると、空いていなくても腹が鳴り始めそうだ。しかし辺りには食事のできる店などは見当たらない。こう小さな街では、商店そのものの数も少ないのだろう。だが私が今すべきことは食事ではない。人捜しだ。

 元同僚であるイオシフ・パーレン……彼の故郷はここヤグルカではあるが、そのどこに住んでいるかまではわからない。さらに言えば、まだヤグルカに住んでいるとも言い切れない。浅い関係しか築いていない彼の近況を私が知る由もない。ここに来るまでにかけた数日が、どうか無駄足にならないよう願うばかりだ。

 徐々に辺りが暗くなる中、私は通りをまばらに歩く人に片っ端から聞いていくことにした。ここは小さな街だ。住人なら同じ街に住む者の名前や家くらいは知っているだろう。

「パーレン? さあ、わからんな」

「人捜し? 他を当たってよ」

「イオシフ・パーレン……ああ、近所にそんな男がいたな」

 三人目に聞いた男性が思い当たる素振りを見せた。

「どこに住んでいるの?」

「あっちの裏通りだよ」

 男性は民家の並ぶほうを指差す。

「そこの路地を抜ければ行ける。緑の扉の家だ」

「緑の扉……わかった。ありがとう」

 私は早速言われた路地へ入った。

 薄暗い裏通りには、並ぶ民家の窓から漏れる灯りが点々と連なっている。道には伏せられたたらいや壊れたほうきなどが置かれていて、ここの住人の生活感が表れている。この通りのどこかに彼の家があるのか――私は近い家から順番に扉を確認していった。

 すると緑の扉はすぐに見つかった。ここに住んでいるのか。だがふと隣の家を見て、私は動きを止めた。

「……緑だ」

 隣の家の扉も緑色をしている。色の濃淡はこちらのほうが薄いが、それでも緑色には違いない。聞いた男性は、緑の扉が複数あることを知らなかったのだろうか。念のため私は通りの家の扉を一つずつ確認してみた。

「……まったく」

 思った通り、やはり緑の扉は他にもあった。その数十一枚。これだけの数があっては特定する目印にはもはやならない。こんなことなら案内でもしてもらうのだった。面倒だが十一軒、すべてを訪ねるしか――

「なっ……!」

 その時、背後から腕を強く引かれ、私は路地に引き込まれた。

「はっ、放せ――」

 焦る私を相手は民家の壁に押さえ付けてくる。何者だ。まさか妖精が仕留めた男の仲間か――影になった顔を見つめて、私は瞠目した。

「……パーレン?」

 こちらを睨むように見ている顔は、私の記憶にあるパーレンに違いなかった。

「こんなところで、何をしてる」

 なおも私を押さえ付けながら、パーレンは警戒する声で言った。

「私がわからない? 王族護衛部隊の、ナザリー・セギュールだ」

 これにパーレンは小首をかしげる。

「何を、言って……」

「久しぶりで元同僚の顔を忘れたか? まずはこの手をどかしてくれ。苦しくて仕方がない」

 そう言っても、私の首元を押さえる腕は動かなかった。パーレンはまだ私を睨んでくる。

「ここで、何をしてるか聞いてる」

「あなたに会いに来た。頼みがあって」

「頼み……? 俺に何を頼むっていうんだ」

「その説明を聞きたいなら、早くこの手をどけてくれない?」

 パーレンはいぶかしむ目付きでこちらを見つめてくる。彼はここまで疑り深い性格だっただろうか。

「何を警戒してるか知らないけど、あなたを引っかいたりなんかしないから」

 そう言っても、しばらく私の顔を探るように見ていたパーレンだったが、ようやく警戒を解き、押さえ付ける腕を引いてくれた。

「……そんなに話したことのない仲とは言え、こんな対応をされるとは思わなかった」

 私の言葉に、パーレンはやはり怪訝な表情を浮かべている。完全には警戒を解いていないようだ。一体私の何に注意をしているのか……。

「それで? 頼みって何だ」

「外では話しづらい。あなたの家で話せない?」

 パーレンはわずかに眉をひそめたが、すぐに戻した。

「……わかった。こっちだ」

 路地を出るパーレンの後を私は付いて行く。そして裏通りを直進した最奥の家にたどり着いた。そこに見える入り口の扉は確かに緑だったが、塗装が剥げ、全体の半分が木の肌をさらしている。……あの男性、本当にパーレンの家を知っていたのだろうか。甚だ疑問だ。

「……入れ」

 鍵を開け、扉を開くと、パーレンは中へ促した。部屋は一つで、あまり広いとは言えない。奥には小さな台所、手前には起きたままのようなベッド、その間にコップやら積み重なった本やらが雑然と置かれた机がある。そう言えばパーレンにはよく読書をしていた印象がある。それは今も変わらないようだ。そんな生活感溢れる部屋内を天井に吊るされたランプは照らし出している。

「一人暮らしか?」

「見ての通りだ」

 まだ家族はいないようだ。それならより頼みやすい。

「除隊して、今は何をしているの?」

 聞くと、パーレンはまた小首をかしげた。

「何でまたそんなことを聞くんだ」

「え……?」

 思わず顔を見た私を、パーレンはじっと見つめ返してくる――また、ということは、私は彼の現在を知っているのか? それはつまり――

「ここにいる兵士の武術指南や、荷運びの護衛をしてると、そう言わなかったか」

 腕を組んだパーレンは不審な目を向けてくる。やはり私は知っているはずなのか……。

「おかしな質問をするようだけど、私は最近、あなたと会ったことがあるの?」

「……お前はふざけに来たのか?」

 険しい表情がこちらを睨む。私はすぐに続けた。

「違う。これは真面目な話で――」

「どこが真面目だ。話を聞いてやろうと部屋にまで入れたのに――」

「記憶がないの」

 私ははっきり言った。

「……いい加減にしてくれ。本当の目的は何だ」

 険しさに苛立ちが加わっていく。これが当然の反応だろう。記憶がないなんて簡単に信じられることではない。だが本当だと信じてもらわなければ困るのだ。

「あなたに会いに来たのは、私を助けてほしくて……それを頼みに来たの」

「俺が、助ける? 一体何から助けてほしいと?」

「正体はわからない。でも数日前に襲われて殺されそうになったの」

「どこで」

「アーメルナヤン近くの街道で。その男は私が何かを持っていると思っていたようで、でも私は何も持っていないんだ。あいつは何を奪おうとしていたのか……」

 パーレンを見ると、その顔は半信半疑でこちらを見ていた。

「本当に、ふざけてないのか?」

「私は大真面目だ。自分の命が危なかったんだぞ? 冗談を言いにわざわざ知り合いを訪ねるわけがない」

 私は真剣に訴えた。これにパーレンはしばし考え込み、そして再び私に目を向けた。

「記憶がないって、どのくらいないんだ」

「正確にはわからないが、少なくとも直近の二週間から一ヶ月くらいの記憶は消えていると思う」

「二週間……じゃあ、最後の記憶は?」

「それがあいまいで……王都にいたのは憶えている。だがその後のことはまるで……」

 私はパーレンに詰め寄った。

「最近会って、あなたと話したっていうのなら、その時私が何をしていたか知らない? 私にはあなたと会った記憶がまったくなくて……」

 疑念の色は完全に消えてはいなかったが、それでもパーレンはどこか驚いたようにこちらを見ていた。

「俺と、話したことも、何一つ憶えてないのか?」

「ええ。ごめん……」

 謝った私に、パーレンは戸惑いを見せた。

「別に謝ることはないが……記憶をなくすなんて、そんなことがあるのか」

 私は肩をすくめた。

「自分でも驚いているし、心底困っている」

「記憶をなくしたきっかけに、心当たりは?」

「あるともないとも言える。私は怪我を負って弱っていたらしくて、でもそうなった記憶がないの。おそらくきっかけはそれなんだろうけど、怪我を負わされた相手すら憶えていない。私の身に何が起こったのか……」

「そう、か……」

 顎に手を当て、難しい表情を浮かべると、パーレンは口を開いた。

「じゃあ、お前と会ったのは、その直前ということになるな」

「怪我を負う前?」

「ああ。その時のお前には何の異変もなかった。普段通りの様子に見えた」

「私はどこであなたと会ったの?」

「確か……王都に近い街道だったか。俺は荷運びの護衛で来てて、偶然お前と会ったんだ」

 街道……ということは、私は王都を出て、どこかへ行こうとしていたのだろうか。

「そこで俺は自分の仕事について話したんだよ。すっかり忘れられたようだが」

「そうだったのか……何も憶えていない。その時の私とはどんな話をしたの?」

「互いの近況だ。そっちは俺の暮らしぶりを、俺はお前の仕事ぶりなんかを聞いて……そうそう、これからどこへ行くのか聞いたら、お前は王女のために、ある物を探しに行くと言ってた」

「王女のために……?」

 私は思わず前のめりになった。これは重要な情報だ。

「ある物って、私は何を探していたの?」

「そこまでは話さなかった。守秘義務を理由にして。まあ当然だ。元兵士とは言え、俺はもう部外者だ。王女に係わることなら、なおさらべらべら話すわけにはいかなかったんだろう」

「私は王女のために、何かを探しに向かっていた……」

 それで王都を出て、その途中に怪我を負わされ、そして記憶をなくした――空白のあらましはそんなところだろうか。では私を襲った男の目的というのは――

「王女のための、その何か……それを奪おうと、私は襲われたの?」

「今のところはそう考えるのが自然だな」

「でも、どうしてそんなことを知っていたのだろう。守秘義務があるのなら、限られた者しか知らないはず」

「その限られた人間の手の者だったのかもしれない。あるいは、話を漏らした者がいるか……」

「何のために?」

「俺が知るわけない。何を探してるかも知らないんだ」

 それは私も同じことだ。記憶が戻らない限り、自分は何を探すよう言われたのか予想するのも難しい。高価な物なのか、はたまた王女にとって重要な物なのか。それがどんな物かわからなければ、襲った男の正体にも迫れないだろう。

 しかし、私にはやはり目的があったことはわかった。王女のために何かを探していた最中だったようだ。だが途中で襲われてしまった。その犯人は私が探している物を奪おうとしている可能性もある。けれど私はそれらしき物は持っていない……犯人は、私がまだ見つけていないことを知らないのだろうか。それとも、私はすでに見つけていたのか? 手元にあった物を、襲われた時に奪われてしまったのだろうか。だとしたら目的は変わってしまう。探し物から、襲撃者を特定し、奪い返さなければいけないが――可能性を考えれば切りがない。すべてを明らかにするには、やはり記憶の回復がなければ……。

「王都へ、王女の元へ戻らないのか」

「こんな話を聞いたら、一層戻れない」

「だが緊急事態とも言える状態だ。一度戻って事情を話したほうがいいと思うが」

 私は首を横に振った。

「お待ちしているソフィヤ王女に、落胆させるような報告はしたくない。受けたご命令はしっかり果たしたい」

 私を信用してくださったからこそ、探し物をするよう頼まれたのだ。仕える者としては、そのお心に精一杯お応えしたい。

「果たすと言ったって、何を探してるかわからないんじゃ果たしようがないだろう」

 呆れたように言うパーレンを私は見据えた。

「だから、あなたに頼みに来たの」

 私の目を見てパーレンは困り顔に変わった。

「助けてやりたいのはやまやまだが、俺なんかに何ができる?」

「私と会った街道に案内して。そこから通ったであろう道をたどり、記憶の手掛かりを得たい。それと、探している何かを狙う者がまた襲って来ないとも限らない。危険に巻き込んでしまうけど、その時は一緒に戦ってほしい」

「俺が除隊した理由は知ってるだろう。この腕の怪我で前のように武器を振るうことはできない」

 言いながらパーレンは左腕をぽんっと叩き、示す。

「相手によっては、何の力にもなれないかもしれない。それでも頼むか?」

「あなたの利き腕は右でしょう? それに護衛の仕事もしているなら、それなりに戦えるはず」

「護衛ったって、資材や農作物の荷車ばかりだ。盗賊に襲われることは滅多にない、安全な仕事だ。実戦からも大分離れてるし、あまり頼られても困るんだが」

「私はあなたの実力を知っている。その当時より腕は落ちたとしても、今頼れるのはあなたしかいないの。どうか、助けてほしい」

 見つめ、懇願すると、腰に手を置いたパーレンは軽く息を吐き出した。

「……助けたい気持ちはあるんだ。だがまあ、どこまでできるかは、やってみないとわからないな」

「引き受けてくれるの?」

 これにパーレンは難しい表情を浮かべながらも頷いてくれた。よかった――私はひとまず胸を撫で下ろした。

「じゃあ、すぐに出発を――」

「何言ってる。窓の外が見えないのか? もう日は暮れてる」

 言われて目をやれば、開いている小さな窓の外は、すっかり夜のとばりに包まれていた。

「この辺りは治安はいいが、賊がまったくいないわけじゃない。それに暗くなると獰猛な獣が出てくることもある。出発するなら明日の朝だ」

「あ……そうだな……」

 自分の行動の目的がわかって、少し焦りが出たようだ。記憶はいつ回復するかわからない。焦ったところでどうしようもないのだ。冷静な意識を持たなければ。

「では今夜は宿で休むか。悪いが、場所を教えてくれないか」

「宿で金を使うことはない。ここで休めばいい」

「ここで? しかし……」

 私は部屋を見回した。寝られる場所はベッドしかない。もう一人が寝るには机をどけた床くらいしかなさそうだが。

「俺は武術指南してる兵士の詰め所へ行く。男の汚い部屋でよければ使ってくれ」

「いいの? 何だか申し訳ないが……」

「一晩くらいどうってことはない。ゆっくり休んでくれ。……あ、調理台にぶどう酒があるから、飲みたきゃ飲んでいい。明日の朝、また来る」

 そう言うとパーレンはさっさと出て行こうとする。

「待って」

 私は扉を開けようとした背中を呼び止めた。

「……何だ」

 わずかに顔を振り向かせ、パーレンは自分の肩越しにこちらを見る。

「大して親しくもないのに、どうしてここまでしてくれる?」

「どうしてって……お前は、元同僚で仲間だったから」

「でも部屋に入る前は私を随分と警戒していた」

「あれは……すまなかった。仕事柄、誰でも警戒する癖が付いて」

「知り合いでも?」

 聞くとパーレンは顔を見せ、笑った。

「ああ。家の近くをうろつかれたら、たとえ知り合いだって怪しいもんだろう?」

 私は想像してみた――確かに。そう感じてもおかしくはない。私は不自然な動きをしていたのかも。

「だが今はお前の事情もわかった。そして俺に助けを求めてくれてる。それを無視できるほど、かつての仲間に対して冷淡にはできない。俺の力が役に立てるかわからないが、できることはやるつもりだ。……これで疑問は解けたか?」

「ええ。あなたの親切さがよくわかった」

 パーレンは薄い笑みを浮かべた。

「そりゃよかった……じゃあ、また明日」

 再び背を向け、パーレンは静かに我が家を後にする。残された私は安堵感からか、体から力が抜け、近くの椅子に腰かけた。口からは溜息が漏れる。疲れのせいもあるのかもしれない。しかしまだ目的の一片が判明しただけで、探している物も、失った記憶もわからない状態だ。それで安堵するのは少々早いか。それでも協力者を得られたことは心強い。これで道が開けるのを願いながら、今夜はパーレンに感謝して休むとしよう。

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