第1章-3話 『道標』
見慣れた荷馬車の滑落現場に戻ってくる。
念のため周囲を確認するが、ゴブリン3匹は既に息絶えている。
平野に向かえばゴブリンの大群がいるのは分かっている。
それと逆方向について知ることが出来れば、選択肢が増えるだろう。
問題はイルナースを連れていくかどうかだが……。
前回と同じように、イルナースが壊れた荷馬車の近くで伸びていた。
もし今回も脱出経路を確保できなければ、また彼女を殺すことになる。
「……うっ」
イルナースは自力で目を覚ましたが、咄嗟に遠くの岩陰に隠れる事にする。
脱出経路も見つけていないのにお荷物姫を背負うつもりは無い。
咄嗟に物陰に隠れて様子を見ていると、彼女は半ば這いずるようにして荷馬車の残骸を漁り出した。
「誰か返事をして! 私がすぐに治療しますからっ……!」
気が済むまでさせておけばいいか。
生存者が居ないことを悟れば、戻ってきた場合の説得も容易い。
すぐに峡谷を抜けられるルートを見つけられればの話だが……。
俺は空回りするイルナースを置いて、平野とは逆方向へ向かうことにした。
*****
谷底を走り続けること15分ほど。
ようやく峡谷を抜け、深い森に辿り着く。
ここまでイルナースを背負えば1時間以上かかる道のりだ。
振り返ってみれば、ここから平原まで大規模な地割れが起こったかのような地形で、荷馬車は峡谷を覆うこの森から滑落したようだ。
荷馬車の通ってきた道を辿れば、イルナース達が出発した地点まで着くだろう。
だが、横道に入ろうとした俺の目の前が閃光に包まれる。
「何だっ……!!」
「テレポート!」
光が収まってから目を開くと、フルールが笑顔でこちらにすり寄ってくる。
「あれれぇ? レイジはあの女のこと、見捨てちゃうんだ」
「今回はな。情報収集だ」
「私にはレイジがただの人でなしにしか見えないんですけど~」
「ロクな魔術も無しにお荷物背負って、ゴブリンの大群から逃げられるかよ」
「ま、そうだよねぇ、ふふふ」
この女、イルナースを助けられないことを分かっていて俺を唆したらしい。
善人ぶりやがって、とんでもねぇクソ女神だ。
次にはイルナースは絶対に助け出して、こいつに目にもの見せてやる。
馬車の通ってきた道を探すため、藪の中に入っていくと、またフルールが絡んでくる。
「どこ行く気なの~?」
「……馬車が通ってきた道を見つけて、辿れば人と会えるかも知れない」
「考えなしじゃないみたいだけど、無知って辛そうね」
「言っておくが、もう十分辛い目には遭ってるぞ」
「あっそ……じゃあ社会勉強だと思って頑張りなさいな、クスクスクス……」
フルールは俺の周りをくるくる回った後、吹き抜ける風のように木々の間へ消えていった。
今は1人でゆっくり考えたかったから、消えてくれるなら好都合だ。
正直、短期間で得た情報が整理できていない。
魔術……。
神性魔術:神への信仰の見返りとして、後天的に得られる魔術
無頼魔術:それ以外の、神に頼らない魔術。
こういう認識でいいのなら、俺が何かしらの神を信仰する事で力を得ることが出来るかもしれない。
まぁ、今回のケースでは太陽が必要になる太陽神は論外だが……。
そもそも、太陽がないと行使できない魔術と言うのは、夜に襲撃されたら弱いじゃないか。
きっと他にもあるに違いない……。
あれこれと思案しながら藪を掻き分けて森の中を進んでいくが、一向に道らしい道に辿り着かない。
馬車が通れるような道であれば見落とすこともない。
であれば、もしかして逆方向だったか?
馬車の勢いが強ければ、峡谷の逆から滑落していた可能性もある。
盲点。
浅慮な自分を恥じながら、元いた峡谷の入口まで引き返すことにした。
*****
……何かがおかしい。
真っすぐ進んで、真っすぐ戻ってきたはずだが、峡谷さえ見当たらない。
しかもそう長くは歩いていない。
そもそも、俺が掻き分けてきた道が消えている……。
これは即ち。
有名なRPGゲームで見たことがある、迷いの森だな。
手元には骨のナイフと小さな棍棒しかなく、着ているのも布切れ一枚だ。
くそ、こんな事なら荷馬車の残骸から食料か水でも探しておけばよかったな。
身体を休めるために一旦立ち止まって周囲を見てみると、手の届く範囲に色とりどりの果実が実り、苔むした足元には空色のキノコが生えている。
どれが生食用か、さっぱり分からない。
生き物の類に遭遇しないのも、幸か不幸か。
どうせなら派手に魔物とエンカウントしてデスルーラしてしまいたいが。
……。
「道に迷いました!! 誰かいませんかねー?」
実利も兼ねて、付近の誰かに呼びかけることにした。
人間が当たればそれはそれでよし。
……。
「ふふふ……はぁい」
「はっ!?」
至近の背後から女の囁き声が聞こえ、即座に振り向くが見慣れた木々が続いているだけ。
魔術の類か。
素直にホラー演出に恐怖する。
冷静になると上出来すぎるぞ。
むしろ進んで魔に狩られる道化になるべきでは。
「声がしたぞ!? どっ、どこからだ!」
「どこでしょう」
「姿を見せろっ……!」
それらしく、骨のナイフを構えて周囲を警戒する。
ロードが出来る以上、大仰に演技をする余裕は常にある。
しかしそんな余裕も無駄で、真上の木々から垂れた蔓が俺の布切れ一枚を奪い去った。
取り返そうと全裸で飛び跳ねるが、手の届かない高い所まで持っていかれてしまう。
男の全裸とか誰得だよ……くそう。
左手で股間を隠し、右手の骨のナイフを捨てて胸を隠す。
俺にだって命には代えがたい尊厳がある……!!
「おい、悪戯もいい加減にしてくれよ……」
「あなた、木精に襲われているのに、裸を隠している余裕があるなんて。随分落ち着いているのね」
「全裸をしっかり見られるくらいなら、すぐさま自害するからな」
「待って。死んだらイヤよ」
「ならそっちも姿を見せてくれ」
「もう……せっかちさん」
何故か向こうが恥ずかしそうなのは何でだ。
少し待つと、褐色の木の幹から伸びた枝の束が上裸の女を形作った。
そして深緑の蔓が衣服のように彼女を包み、髪に桃色の花が咲き誇り、眼球の部分に瑞々しい桃色の果実が収まる。
これが、ドライアド……近くの植物だけで人間の真似をしているらしい。
初めて見るその光景に飲み込まれたように、ただただ美しいと感じることしか出来なかった。
突っ立っていると目の部分から黒い種子が浮き出て、まるで人間の黒目のように俺を見つめてくる。
「人を真似たのだけど、似ているかしら?」
「……ああ」
咄嗟に右手で銃の形を作ってセーブした。
決して肌の質感が人間と似ている訳ではない。
荒れた樹木の肌と、浮き出た血管のように伸びる幾つもの蔓。
蔓一本一本から息吹を感じられ、生きた芸術を目の当たりにしていた。
そんな人の理解を超えた危険な美に……このドライアドの姿に心奪われた。
こんな奇跡は未だかつて目にしたことがない。
言葉を失って彼女を眺めていると、真上から落とされた布切れが俺の頭に乗った。
「どうしたの、ぼうっとして?」
「初めての経験だから」
「あなたはどこまでも無垢なのね……」
気付けば3人のドライアドに囲まれ、身体を観察されていた。
いたたまれず、布切れを身体に巻き付けることにした。
「あなた」「背中に」「番号があるのね」
「うん?」
「あら」「知らなかったの?」「13番」
「俺、人造人間……らしいんだ。だから色々と良く分からないんだ」
「それは知っているのね」「誰の入れ知恵?」「気になるわ」
3人同時に発声するわけではないので聞き取れる。
そもそも、彼女らに声帯はなく……脳内に直接情報を流し込まれているようだ。
これも魔術となれば、幻覚の類か。
そもそもこの接触が幻覚であるなら、セーブできているのかすら怪しい。
故に……嘘を付いたら、魔術的に見抜かれそうでもある。
ドライアドは明らかに格上の存在だ。
そう、認識した。
誠実であり、友好的に接するべきだろう。
「わたし、嘘は嫌いよ」「あなたは無知だけれど」「馬鹿ではないのね」
「心を読めるのか?」
「ほんの触りだけよ」「あなたってば」「考え事までせっかち」
「さっきの……入れ知恵ってのは、風神フルールがそう言ってたんだ。本当なのか?」
「風神?」「フルール?」「理解できないわ」
風神の名を出すと、3人のドライアドが会議を始めた。
話が纏まると、俺の前に1人が出てくる。
「あなた、風神が見えたの?」
「……ああ、見えた。話もした」
「面白いのね、あなた。名前は?」
「アベレイジ」
「それがあなたが付けた、あなたの名前なのね。ますます面白いわ」
ドライアドは幹を軋ませて、わざとらしく口角を釣り上げる。
人造人間なのに、目覚める前から自分で名前を自覚している事を気付かれたか。
俺の名前は誰に付けられた名前でもない。
そう……これは俺が考え、俺に付けた、俺の名前。
隠すこともない。
「あのさ、こっちの質問も聞いてくれるか?」
「いいわ」
「さっきこの森を荷馬車が通ったと思うんだが、何か知らないか?」
「ああ、あの荷馬車……」「「クスクス」」
「うん?」
「わたしの庭に許可なく立ち入って、果てには火を放ったから、崖下に落としたわ」
「……俺も、許可なく入ってしまった。すまない」
「レイジは無知だもの」「でも彼らは知っていた」「わたしの庭と知っていた」
「そうか」
火を放った?
あの荷馬車の人間の誰かが、火の不始末か、何かやらかしてあの様か……。
全く見当がつかないが、火が原因でドライアドを怒らせたのは確かだ。
彼女が益になりそうもない嘘を付くか?
答えは限りなくノーだ。
「同じ人間として申し訳ない。良ければ森に入る時の作法を教えてほしい」
「あなたは人造人間よね」「作法?」「おじゃまします、でいいわ」
「それだけでいいのか?」
「わたしの庭に」「無言で踏み入るなんて」「気分悪いもの」
森が荒れるとかそう言った損得勘定ではなく、礼儀作法の問題であった。
良くも悪くも、話は通じる相手だ。
「ねぇレイジ」「もしかして」「あの荷馬車に乗っていたの?」
「棺桶に入れられて、落ちた先で初めて目を覚ました」
「そうなの」「それなら」「いいこと、教えてあげる」
「いいこと?」
「あなたのお母さんは」「ここから北の洞窟に」「住んでいると思うわ」
ドライアドが手を伸ばすと周囲の視界を閉ざしていた木々が退けるようにスライドし、人一人通れる道が出来る。
その先の遠くに、太陽神の光が射す平野が見えた。
どうやら、あっちが北らしい。
北に向かえば、人造人間の創造主……つまりはこの世界における母がいる。
これ以上ない情報だ。
「俺を、解放してくれるのか?」
「またいらっしゃい」「そうそう」「これを持って行って」
両脇にいた2人のドライアドが、目玉になっていた桃色の果実を2つずつ引き抜いて俺に手渡して、森へ溶け込むようにして還っていく。
「これは?」
「ホムンクルスでも、お腹が空くでしょう? 食べ終わったら、どこでも種を埋めて」
「何から何まで、ありがとう」
「約束して」
「ああ、食べたら種を植えればいいんだな」
「それと、また遊びに来て」
「……分かった」
少し迷ったが、頷いた。
道中魔物に襲われて、もしかすればリセットした後になるかも知れないが、再び訪れるのは嘘ではない。
イルナースと峡谷を抜け、ここを通る時には、また出会うことになるはずだ。
もちろん生きていれば、またドライアドに会いに来るつもりだが。
手を振って、ドライアドに背を向ける。
「さようなら。お母さんに会えるといいわね」
「頑張るよ」
「フフフ……」
消えゆく声に振り向くと、背後にはぬかるみに馬車の車輪跡が残された道が続くばかり。
今更になってドライアドの残忍さに恐怖を感じた。
魔物にほとんど支配されていると風神が言っていた理由の一つだろう。
森に一歩踏み入れるにしても、彼女のさじ加減で殺されてしまうのだ。
ようやく平野まで通り抜け、初めての直射日光を浴びて一息つく。
あれが、太陽神サイン……ただの太陽にしか見えないが。
まぁ、日が沈む前に人がいる所まで辿り着ければいいか。
程よく瑞々しく甘い桃色の果実にドライアドの親愛を感じながら、日向の道をのんびり歩いて行くことにした。