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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ある個人の夢

作者:

 彼女は何を見ていたのか、猫の癖を真似たわざとらしい滑らかな動作を見せつけて振り返る面貌は不可思議にもジャメヴを私に想起させる。最近の、筆に詰まったときの夢はいつもこうだ。書斎で女性の姿をした何かを自由に観察し、対話し、覚める。しかしこの夢らしくも有り得ないほど意味ありげで無意味な時間に、私は私以外の作為を感ずるのだ。繰り返す空想的空間に意味を齋すなど愚の骨頂であるとしても、現実のようにそこに根拠を求める私を嘲笑う為に誰かが、堕ちてしまえ君と囁く。彼女は私を認識している。私は彼女を観測しない。此処に矛盾が起こらないことに超常への不安が抱かれる。加えて決まって彼女は夢の最後に、訊くのである「何を見たのか」と。私は何も見ていないはずだ。夢なのだから。されどもエログロナンセンスを体現する仕草を彼女と風景に確かに感じている。頭部、特に笑みは幻想怪奇よりもモダンホラーに依るもので、道行く人の一人一人がその劣化としてはっきりと本物が脳裏に現れる、トラウマを産み出す凶器であり、されど肢体は幻想のそれ、姿は各々の想像力に任せるが、特に私にとっては超現実ならぬ超理想の偶像に見えて、絶えず私を蠱惑する女性に見える。私の孕んだ妄想は今や私を喰らおうとする怪物である。それが私に笑いかけて、突然口を開いた。


「初めまして、でしょう?こういうのは殿方からするものでなくって?既視の記憶はないはずだから。」


「下らない。現実にお前はここにいないし、初対面でもない。私の思い込みだけの中だ。」


無愛想に答える。会話の齟齬があっても意識は通じるから、こう答えてもコミュニケーション足り得てしまう。非難が返ることはない。恨めしく、馴れたように側の机の万年筆で夢を晴らそうとしたのを笑いながら声が遮った。


「あなた、死ぬの?自殺?私は困るのだけれど、折角見るのなら割腹がいいなぁ!失血なんてそれまでに幾らでも華を咲かせるもの。信念貫かず半ばで果てるのがね、語る言葉を思い出して話せぬ様がね、情けないあなたの終わりにぴったりだと思うのよ。どう?」


「どうもこうもない。情けないのは認めるが。」


「きっとあなたは老衰か何かでは死ねないわ!そう断言してあげる。」


「どうだか。」


「ええ。」


大きく頷き、ついでに彼女はパイプ入れを取りだしてマッチを着けた。特有の大きい炎を嘗めるように眺めて軸に火が移るのを待ち、既に用意されたいつものブライヤーへ押し込む。紫煙が棚引いて部屋が甘い香りで満ちていった。汗ばんだペンが置かれるのを確認してから彼女は続けた。


「自信が無いのよ。私を愛し、呪い、殺す自信が。狭い書斎で奔放に振る舞わせて、それが苦痛になる私だって居るっていうのに。いやはや不幸!」


「そうは見えない。アンタは私がいくら何とかしようとしても」


「勿論抵抗するわ。私は強かで当然なの。なよっちい女を求める程あなたは浮き世疲れしてないもの。イフ・ユー・キャン。」


「我が儘だ。」


「そうしておける自分が素晴らしいと思った?止める気もないくせに。敗北者のままでお優しいあなたが嫌いよ。」


彼女は本来奥底に縛り付けて、模範的なディレッタントを気取らせるべき物ではないのかも知れないと弱気になり、蒸し返す甘さの中で咳払いをする私に、追い込む様にして彼女は続けた。


「ちょっとだけ私が嫌なら、何でも用意して一思いにしてしまえばいいのよ。あなたの夢よ。空想位自分のやりたいようにして。」


そう言うと彼女は徐に煙草の残る指で私の頬をなぞった。喫煙者の冷たい指で、生気はなかった。私が鉄仮面を装い彼女の挑発を黙殺すると、追撃が用を果たさなかったことに不満げな面をさらし、深く紫煙を吐き出した。それっきり今日の夢は黙っているだけで、お互いを睨み続けて終わった。彼女の酩酊は安心の表れのようであった。

 

「あなたは 何を 見ていた の ?」


最後に外国語の仕様書を読み終えるかのように尋ね、そこで今日は終わった。


--------


 やはり夢は明日も続いた。書斎は昨日よりがらくたに満ち満ちて、現実での私の荒唐無稽なアイディアを嘲笑うかのようであった。そうさせたのが自分であると解っていても。


「お帰りなさい。あなた。紅茶はインスタントしかないの。」


「結構だ。何が入っているかわかったものでない。」


黙って皿をさげる。彼女は昨日よりも女性らしさを弁えていたようだった。給仕の真似事の服装は気に喰わなかったが少なくともより美しくはなっていた。所作に表れるものがあった。


「何か私にして欲しいことはないの?折角こんな美人と二人なのに、色が無いじゃない。」


「美術品に欲情しても虚しいだけだ。しかも自分の作品だ。結末も……」


「それ以上は言わないで。」


強い静止に言いかけたことを忘れた。彼女は何事もなかった様に紅茶に口をつけ、静かに此方に寄越した。私は口をつけなかった。


「あなたはロマンスと云うものに本当に関わりたくないのね。そういったものを排除して、実りあるものがあるのかしら?。物語でも自分が主人公で、冒険して、成功して、発散する。不幸はカタルシスが付き物で、溜め込んで圧縮するものではないはずよ。」


「今の自分はそうしてはいけないから、関わる資格もない。自身の技能も、運も、才能も枯れて見える。いまのところは人生の自由落下の素晴らしさに満足してる。星々が遠ざかるのを見ている。上がる必要はない。」


「まだ十分若いのに。夢とかないの?なりたいものとか。」


「今の仕事を止めて浮浪したいよ。」


「今のあなたならきっと部屋に引き籠って潰れるだけよ。浮浪なんてロマンスに耐えきれっこないわ。」


「潰されたいよ。ホントは倒れたい。圧倒的な実力の前で自分の意味のなさを再確認したい。」


紅茶が冷めていた。自己否定が嫌になってそれを一気に飲み下すと、水出しの甘さが喉を潤した。彼女は嬉しそうだった。


「私はあなたに終わってほしくない。華がないって言ってもこの年まで自分を潰しきれない。まだ思春期なのかな。抗って、負けて、諦めても溜め続けて、ここで消すには惜しい。何より私も長生きしたいもの。」


「力不足で悪い。私は誰も助けられない。」


「あなたには自分を見て欲しいの。ねぇ、いつも何をあなたは見ているの?」


「別に何も。」


覚める間際に、自分の死体の幻覚を、赤いフラクタル模様を、限界を感じたときに見ていたことを思い出した。また見たくないから忘れていた。


--------


 数日後。また夢で彼女と会った。それまでの私の現実は酷いもので、フラッシュバックが何度も起こり、机に向かうこともままならなかった。死体、赤、黒を繰り返して、加えて人付き合いもないから、私の精神は瀬戸際で、絶えず意味のない独り言を呟いていた。受け皿が欲しかったが、睡眠薬とアルコールでは深すぎていつも会えないものだから、思いきって1日止めてみたら正解だったというわけだ。彼女は倒れた本棚を机に、資料の上に腰かけていた。ほぼ半壊した書斎は彼女を亡国の貴人に錯覚させるのに一役買っていた。つまり最も女性らしく、美しかった。


「お帰りなさい。ちょっとずつ片してもこうなってしまうの。許して欲しいな。」


「現実の私の部屋の方が酷い。汚い方がむしろ安心する。」


「良かった。菓子入れとお茶を用意するわ。」


怪物は日毎に女性らしくなってしまい、風景はそれを補っていく。むしろ今怪物に呑まれているのは私なのだ。


「どうかしたの?今日のあなたは目が恐いわ。」


「最近眠れていないだけだ。」


そう返すと、疑るように此方を見ていつものパイプを取り出して、煙草を用意し始めた。


「私が煙草を吸うのはね、自分がどうなるかわかっていても、どうしようもないから。病気や寿命であなたの空想が処理してくれるとは考えられないの。現代らしく、俗っぽく、ガンとかで終われたら良かったんだけどね。」


「それが今日の私ということか。馬鹿馬鹿しい。」


「多分ね。その目だったら。」


仕度を終えて火をつけると、いつもの煙が空間を満たす。健全な現代人の脳内はヤニ臭くないのかもしれないが、私にとってこの煙は落ち着くものだ。多分この後に控えていることに向けて落ち着いていた方が良い。


「幾ら奔放に見せても夢はこの回で完結する。後には続かない。覚悟をして受け入れたこと。あなたが薬に頼らないなら、私が、あなたの自浄作用が何とかするしかない。」


「……」


「荒療治になる。きっと。」


「……」


「いい?あなたの見ているその幻覚。見るべき物じゃない。そんな地獄のような風景は現実にない。恐れて、逃げて、見なければいい。グロテスクな本質なんて棄てて、諦めて。上部の現実へ帰って。」


それは挑発だった。一言で瀬戸の精神は幻覚を呼び覚まし、最悪手となった。気づけば私は思い出した衝動で眼前の貴人のパイプを全力で喉に押し込んでいた。無意識であった。そのまま引き抜けば毒気の混じった吐血が右腕にかかり、彼女の暖かな体温を肌で感じた。それを引き金にこれは何度か繰り返した、いつもの欠けていた夢の結末だったことも思い出した。一連おえて肩で息をする私と対照に彼女は面を歪ませず、手持ち無沙汰に喉の穴をなぞってから微笑んで見せた。背から煙が沈み出る様は滑稽だった。


「御仕舞いね。こうして毎回、同じ結末を迎えて。きっと次回作はもっとあなたにとってもっと美しくなるでしょう。そうしてわたしは忘れられ、奇妙な未視感だけが名残になるの。」


彼女を刺殺したとき、私の視点は俯瞰に変わり、この夢の何もかもが理解されていた。彼女の意志の把握も、自分が最も理不尽であることの認識も、夢の意味付けも済んでいた。こうして穴空きの喉に話させることも意識しているものだった。


「盲目がこの世界に、私に自由を与えていたかに見せたのよ。結局はそうして、こうなるの。わかっていて?怪物は怪物しか孕めないし、怪物のまま変われない。殊に物語にならない妄想においては絶対に。」


そこまで終えると糸が切れたかのように私の方へ倒れてきた。さっと抱き抱えると、彼女は不満げに面を背けた。


「私は結局……」


「そのための観察でしょう。貴方が私にさせたいこと、よくわからないけれども、意味は、あるのでしょう。きっと。」 


息が切れていく。空想に求めた現実が表れていく。


「ああ、アンタを無駄にはしない。」


「無駄にして、欲しいわね。無駄にして、生きていて欲しい。不健全よ、自分の代わりに、ヤクシャを創って、否定して、そして……。」


書斎の窓際が赤らみ、色白を朝焼けに染めた。もうお仕舞いに思えた。


「私が無意味になれば、もう止めてくれるのなら、わたしを、見ないで。失敗した私を、見なかったことにして……。いい?あなたは、何を、見たの?」


--------


 斯くして夢は覚めた。またいつか見なければいけないだろう。物事を悪い方へ重ねても、まだ私がどうにか生きているのは、彼女らの献身に対して生きて苦しみ、贖罪する目的によるものなのだから。

明けの赤紫の雲は紫雲と見えた。棚引く様が美しかった。


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