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短編小説

終止記号のないレクイエム



 ふと耳にした旋律が、記憶を呼ぶ。

 







 君の面影を求めて彷徨さまよっていた。


 海の見える公園へ続く坂の途中に、懐かしい五重塔が現れた。彩色がすっかり落ちて、黒々と周囲の光を飲み込む骨太の塔。


 立ち止まって仰ぎ見ると、強固な基壇を築き巨木を削って懸命に組みあげた工人たちの姿が自然と目に浮かんだ。彼らの心血を注ぎ込んだこの塔は後世の人々が修繕を繰り返して今も均整のとれた美しい姿を保つ。


 扉を開いて太い心柱(しんばしら)に手を当てたなら、強靱な意志で塔を造り上げた人間の魂を感じることができる。一心に千年も塔を護り続けた人々や日々様々な祈りを込めて塔を見上げた幾多の人たちの思いに触れることもできる。時代を超えて立つ塔は彼らが生きた証であると同時に、生き生きとした彼らの姿と想いを時を超えて未来へと運んでいくタイムマシンなのだから。


 誰よりも優しい目をした君は、誰かを傷付けるよりもひとりきりでこの世界を去ることを選んた。

 幸せなはずの二重奏に一人で黙って終止符を打った恋人よ、教えてほしい。かつて君が生きた証が、この小さな街のどこかに今も残っているはずだ。けれど、それはいったいどこなのだろう。探し続けても歳月は様々なものを跡形なく消し去り、残っているものも姿を変えてしまった。


 五重塔を仰ぎ見た。


 天を指す心柱。その鋭い先端に刺し貫かれた九枚の宝輪(ほうりん)が、硬く凍った青銅を真冬の空に沈めている。


 遠いあの日、初めての恋にときめくふたりは言葉を交わすこともできず、見つめ続けた。凍れる音楽とも呼ばれる天女の舞う水煙(すいえん)を頂点に(くゆ)らして気高く屹立きつりつする、この塔を。


 君は瑞々しい曲線を描いて華やかに歌うヴァイオリンだった。けれど寄り添って君を護るはずの僕は青臭い湿気の残る凡庸なチェロでしかなかった。


 ふたりが懸命に奏でた恋の前奏曲(プレリュード)は、その後の苦しみの前触れだったのかもしれない。僕たちはあんなにも愛しあったのに、悲しいほど優しい目で君が見つめた終止記号は、最後の日まで僕には見えなかった。


 君は初恋の人。そして最後の恋人。僕は君を決して忘れることはない。けれど、君の思い出を抱きしめた僕がこの世界から消える日、ふたりの恋も、その思い出も、僕と一緒にすべて消える。かつてこの小さな街で僕たちが懸命に奏でた恋のプレリュードは温度を失い、永遠の内側に硬く凍りついて結晶する。


 そして――― 冷たく透明に結晶した僕たちは、その日から終止記号のない無音のレクイエムを奏で続けるだろう。遠いあの日、ふたりときめいて見上げた天女の舞う、あの場所で。









  Dmitrii Dmitrievich Shostakovich : 5 Pieces for Violin and Cello - 1. Prelude










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