悠人11 『父と母』
【帝国軍 住宅区】
居住区に居るグリフォンは街を包む青白い空間と自分の体に起こった異変を繋げ、瞬時に理解した。
「また妙なことをしやがって……」
歯ぎしりをしてヴィクトルの姿を睨み付ける。
「魔法は人間にとって最も脅威なんでな。封じるのは当然の事!」
「はっ!魔法は……ねぇ!」
一瞬の慢心。そこを付かれたとヴィクトルは悟った。深紅が滑るように向かってくるが、最早どうすることも出来ない。衝撃がヴィクトルを横切った。
「それで? なにが最も脅威だって?」
グリフォンの手にはヴィクトルの左腕が握られていた。引きちぎられた肩から血が噴き出し、後から痛みが襲ってくる。
「抜かったか……」
筋肉で血を止めようとするが上手くいかない。深手を負いすぎている。
自分が最早長くないと悟ったヴィクトルは、せめて一秒でもと片腕を構える。
その瞬間ヴィクトルは飛び上がった。
遙か上空にいつの間にか飛ばされ、広場をふかんで眺めている。そこにグリフォンと対峙している見慣れた無骨な全身甲冑が立っていた。
首と片腕の無い、ヴィクトルの体だった。
全てを把握した古将は、最後に赤の男を賞賛し、その生涯を閉じた。
グリフォンはヴィクトルの体が倒れたのを確認し、腕を振って爪に付いた血を払う。飛ばされた血の滴が地面に線を描く。
滴の一つが、空中で動きを止めた。まるで見えない壁がそこにあるかのように。
その瞬間、無防備なグリフォンの胸板に無数の矢が突き刺さった。
グリフォンもまた敵将を倒し、慢心していた。その隙を狙われたのだが、それでも彼の本来の実力ならば十分に避けられる筈だった。
矢の直撃を許してしまった理由。それは、何も無い所から矢が照射されたからだ。
咄嗟にその太い腕を使い顔と喉を防御するが、腕、足と次々に矢が刺さる。
「うーん。ヴィクトルももうちょっと頑張ってもらいたかったな」
矢が発射された透明な空間から、軽薄な声が聞こえてくる。
「ま、ジジイにしたら頑張った方かな。あ、あんたは要らねーよ。筋肉だらけのオスなんて見るだけで吐き気がする」
透明な布のような膜を脱ぎ捨て、葡萄酒色の全身甲冑を着た男が現れた。商業区で魔族漁りをしていたエルヴェであった。
「また、人間の妙な手か」
グリフォンは胸に突き刺さった矢を引き抜き、へし折る。そのままエルヴェへと近づこうとしたが、足の力が抜け、膝を付いた。至近距離で矢の発射を受け、肉の奥深くまで傷が到達していた。
「ざぁんねん!違うねー。こんな透明になれるマントがあれば欲しいけどね。やりたい放題できる」
エルヴェはおどけた調子で矢を次々に放つ。グリフォンはなんとか致命傷は避けてるが、矢が手と腕を貫通し、血が吹き出る。
「知ってる?一部モンスターはね。死んだ後もその特性が残るの。大体一時間も持たないけどね」
エルヴェは十分に矢を打ち込んで、満足したのかアルテミスを放り投げる。代わりに背中に付けたマントの中から二刀の剣を抜いた。
「聞いてる?魔族も特性ってあるでしょ?例えば空を飛べたり、爪が自由に伸ばせたり……」
エルヴェはわざとらしく、先ほど脱ぎ捨てた半透明の物質を見る。一つ大きくため息を付き、振り返った。
「透明になったりね」
グリフォンが怒りに任せエルヴェに飛びかかった。
鋭い鉤爪が喉元を狙うが、それを二本の刀を交差させ、受け流す。
「ああ、暑苦しい。ハロルド、出てこい」
待機していたハロルド率いる千人部隊が広場に足を踏み入れる。
「じゃ、楽しんで来るから後は頼んだ」
獣の咆哮を放つグリフォンの攻撃をくぐり抜け、行政区へ続く階段を登るエルヴェ。グリフォンが追いかけようとするが、大盾を構えたハロルドに阻止された。
「さってと、どんな子がいるかな?」
鼻歌を交じらせ、エルヴェは行政区へと足を踏み入れた。
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【帝国軍 本陣】
「その工夫次第で千差万別に変化する魔法。それを操る魔族は個体によって絶大な力を振りかざす。だがそれ故の欠点もある。それはすなわち……」
エルデナの周りに歩兵の槍がずらりと並べ立てられ、総司令官の号令を待っている。アレクシスと対面するエルデナからは、既に余裕の表情が消え失せていた。
「己の力、魔法の力を過信することだ。例えば、単身で敵陣に乗り込んだりな」
「弱ってる女をいたぶるだなんて感心しないわね」
この後に及んでおどけてみせるエルデナだったが、その表情からは焦燥の色が見て取れた。
「お前は女ではない。化け物だ」
「こんなイイ女に向かって…… 失礼しちゃうわね!」
突如エルデナの指先にある爪が全て伸び、アレクシスに襲いかかる。
小刀ほどの長さの鋭い爪がアレクシスの首筋に届く。だが金属音が響くだけでミスリルの全身甲冑を切るには遙かに力が足りてなかった。
「終わりだ。『帝都の厄災』」
アレクシスがエルデナの髪を掴み、力任せに地面へと叩きつけた。
逃れようとするエルデナの両手を掴み、背中側に回す。力任せに腕を揃えて足で踏みつぶした。
そして手の平が重なり合ったところめがけ、腰に付けていた『エリシャの杭』を打ち付けた。
「――っ!」
太い杭により、両手と地面を縫い付けられたエルデナは声にならない悲鳴を上げる。
「最後の一本だ。人間の英知をゆっくりと噛み締めろ」
アレクシスは吐き捨てるように言い。杭を足で踏みつけて更に深くまで押しつけた。
「縛り捕らえよ。手に刺した『エリシャの杭』は頑丈に固定。自害は絶対にさせるな」
「はぁ、殺さないンで?」
イヴォンが気の抜けた返答をする。この場に居る誰もが、アレクシスならばその場で首を跳ねるだろうと考えていたからだ。
「生かして帝都まで連れて行く。殺すことは許さん」
「この女は危険です。この場で排除するべきかと」
アレクシスの身を第一に考えるオリヴィアらしい発言だったが、その進言は一考もされずに却下された。
「『帝都の厄災』を生かして連れ帰ることこそ意味がある。民の前で処刑することこそ意義がある。帝都の受けた悲しみを償うにはまだまだ甘い」
伝承が本当だとするのならば、それこそ民の前で磔刑にされるくらいの悪行を重ねた女だ。また、言葉にはされないが伝承の悪女を捕らえたとあれば、その名誉も相当なものになる。アレクシスはその辺りも計算しての決断だろう。
「それは……分かりますが……」
それでもオリヴィアは反対したかった。出来るならばその場で首を跳ねてやりたい。と思っていた。何故ならば、エルデナの目が死んでなかったからだ。この女はどんな状況下であってもなにかをするのではないか。そんな気にさせられる。
「諦めな。嬢ちゃん。殺したいのは俺も同じ気持ちなンだけどよぉ。ターンブルへの見返りもデカい」
イヴォンの発言にオリヴィアはすぐに思い至った。
「魔原石か……」
魔族の心臓部。入っている者と入っていない者がいるとのことだったが、あれだけ強力な炎の魔法を使っていたエルデナ。入っていない筈がないだろう。
「『帝都の厄災』の魔石。それを生きた状態で手に入れられるンだぜ。こんだけ長生きなら、魔石加工技術も知ってるかもしれない。生かして持って帰るにこしたことねぇやな」
拷問してでも加工方法を聞き出し、強力な魔石が手に入り、アレクシスは民衆の英雄になる。確かにこのまま行けばそうなる可能性は高い。
だが、オリヴィアには楽観出来ない考えが広がっていく。
たった一体で帝国中を手玉に取った女に拷問など通じるのだろうか。仮に情報を吐いたとしてそれが本当のことなんだろうか。そもそもこのまま大人しく捕まっているのだろうか。
不安がオリヴィアにつきまとう。
「……申し訳ありません。私からどうしてもこの場で殺すべきだと、重ねて進言させて頂きます。アレクシス様。お願いします」
「大丈夫だ」
アレクシスはオリヴィアを咎める事なく、彼女の白いアーメットを優しく撫でた。動物を愛おしむように。ゆっくりと。
「心配するな。オリヴィア。この女は『エリシャの杭』で完全に無力化している」
「私は貴方に死なれたくないのです」
「確かにこの事態は予測していなかった。兵も大勢死んだ。だが私は生きている。……お前達のお陰だ。もし仮にこの女が不穏な動きをしたところで、私は死なんよ。優秀なお前達が付いているからな」
総司令官であり、自分を奴隷から解放してくれた男。オリヴィアはアレクシスに忠誠を誓っていた。その存在にここまで言われてはオリヴィアも引き下がるしかなかった。うつむきながら一礼する。
だが、アレクシスもオリヴィアの気持ちをただ無下にしている訳ではなかった。
「残る兵を集めよ!すぐに編成し、陣を下げる!」
号令を聞き、オリヴィアの頭が上がる。
「皇太子殿下救出まで、 籠城で耐える!」
守りに徹する。オリヴィアが望んでいたことだった。
イヴォンが『良かったな』と言わんばかりにオリヴィアの背中を叩き、オリヴィアはそれを裏拳ではじき返した。
『帝都の厄災』が手に掛けた犠牲者は負傷者含めると五千以上に及んだ。残存兵七千のアレクシス本隊は、コロシアム状の自然砦へと後退を開始した。
帝国軍 内訳
【ボス】
・アレクシス [総司令]
・イヴォン [親衛隊長]
【レギオン軍団長】
・オリヴィア [第一軍]
・エルヴェ [第二軍]
・ヴィクトル [第三軍] ※死亡
・クレール [第四軍] ※死亡
・ガイウス [第五軍] ※死亡
・キース [騎馬部隊] ※死亡






