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群像転生物語 ――幸せになり損ねたサキュバスと王子――  作者: 宮島更紗/三良坂光輝
七章  ――透明な少女と魔法の学園――

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幕間    『ある少女の記憶』

【*****】


 ルスラン王国の片田舎にある、私の町は、街道から少し外れた場所にあるのどかな場所だ。

 畑と森と川に囲まれ、季節の移ろいだけが、時間の流れを教えてくれる。


 同い年のアシュリーとイアン、私は、そので育った。


 赤髪のアシュリーは生まれつき特別だったわけじゃない。力が強いわけでも、勉強が得意だったわけでもない。ただ、少しだけ人より正義感があって、少しだけ考えすぎるところがあった。


 そして何より誰よりも優しかった。

 私は物心ついたころから、アシュリーのそんなところが好きになったんだと思う。


 イアンは、そんなアシュリーの隣にいることが多かった。同い年で、気性は正反対。思ったことをすぐ口に出し、危険なことには真っ先に眉をひそめる。だからこそ、二人は釣り合っていた。


 私たちは一緒に成長し、一緒に笑いあい、何かあったら、一緒に悲しんでいた。

 そうして、私たちは十五歳の誕生日を迎えた。アシュリーの誕生日に、彼の妹が一生懸命に作った手作りの花輪を、今でもよく覚えている。渡された時に涙ぐむ、アシュリーの顔をよく覚えている。


 アシュリーの妹は――アシュリーより少し小さく、よく笑う子だった。兄の背中を追いかけるのが好きで、怖いもの知らずで、それでも約束だけは必ず守る。

 アシュリーはいいことだって言っていたけれど、私もイアンも、そんな彼女に少し心配をしていた。


 その日は、朝から雨が降っていた。


 午後になっても止まず、山の向こうで雷が鳴る。川は普段よりも幅を増し、濁った水が速い音を立てて流れていた。それでも、私たちは集まった。私たちが集まるところには、もっと年下の子供たちも、いつの間にか集まってくる。


 雨が弱まった隙を見て、川辺へ。いつもの場所。いつもの遊び。その延長線に、危険はないと信じていた。


 ――中州。


 増水した川の中央に残された、わずかな陸地。そこに、アシュリーの妹が立っていた。


 彼女が足を滑らせた瞬間を、私ははっきり覚えている。叫び声。水しぶき。次の瞬間には、川が二人の間に横たわっていた。


 助けに行ける距離だった。


 手を伸ばせば届く気がした。私も、アシュリーも、イアンも泳げないわけじゃない。流れは速いけれど、渡れないほどじゃない――そう、アシュリーも感じたんだろう。アシュリーは、止める私を振り切って、川に入ろうとした。


「危ない! 戻れ、死ぬぞ!」

 くるぶしまで水に入り込んだアシュリーの背中を、イアンの声が止める。

 そう。その一瞬、アシュリーは立ち止まった。


 アシュリーの妹は泣いていた。でも、アシュリーを見て、必死に声を張り上げていた。

 そう、涙に隠れて、アシュリーに期待していた。

 そしてアシュリーは、妹にこう呼びかけた。


「心配するな! すぐに大人を連れてくる!」

 彼の決断に誰が文句を言えるのだろうか。あの時、あの瞬間、彼は正しい決断をした。

 私は今でもそう思っている。


 同じことを、あの時、アシュリーの妹も、理解したのだと思う。泣き顔から精一杯の笑顔を作って、こう言った。


「待っているから! 戻ってきて!」

 約束だった。


 アシュリーは頷き、大人を呼びに走った。正しい判断だと、私もイアンも信じていた。誰であってもそう言ってくれると、どこかで期待していた。


 アシュリーと私達が戻ったとき、中州はもうなかった。


 川は何事もなかったかのように流れていて、彼の妹の姿も、声も、痕跡すら残っていなかった。


 それから数日後、彼女は見つかった。下流の浅瀬に、動かなくなったアシュリーの妹の姿があった。

妹を抱きしめるアシュリーに誰も声をかけられなかった。


 辺りに、彼の慟哭が響き渡った。



 誰も、アシュリーを責めなかった。

 イアンも、大人たちも、「仕方なかった」と言った。無茶をしなかったことを、褒めさえした。


 それでも、アシュリーは知っている。私はずっと彼を見て来たから、彼のことを理解できた。


 妹は、待っていた。戻ると言ったのは、自分だ。

 その約束を、破ったのも、自分だ。


「もし、あの時――」

 私の前で、彼がぽつりと零した言葉だ。


 その先を、彼は考えていたのだろうか。

 もしも、を考えていたのだろうか。


 あの時を後悔しているんだろうか。

 

 私は、彼に、何をしてあげられるんだろう。


  *****


 それからしばらくの間、アシュリーは川に近づかなかった。

 町は変わらずそこにあり、畑は耕され、季節は巡る。それでも、増水した水音だけは、彼の記憶から消えなかったんだろう。雨が降るたび、遠くで雷が鳴るたび、思いつめた表情を見せていた。

 そんな表情を見せている時、彼はきっと、妹の事を想っていたのだろう。


 だから私には分かる。その日も、ただの不注意だった。彼の意識が亡くなった妹に向いていたんだと思う。


 山道を抜ける近道。雨上がりで足元は緩み、苔の生えた岩が滑りやすくなっていた。危ないと分かっている場所で、私は注意深く足を進めていた。


 けれどアシュリーは足を止めなかった。

 急いでいたわけでもない。ただ、考え事をしていたんだろう。もしかしたら、私が足を滑らせないか、気にしていたのかもしれない。


 私が彼の姿を見た次の瞬間、彼の身体が宙に浮き、背中から崖下へと落下していった。


 慌てて、アシュリーの姿を追って崖下を見下ろす。幸いにも、彼の身体は斜面に留まっていた。

 息が詰まり、視界が白くなった。起き上がろうとしても、足に力が入らない彼の姿を見て、思考が正しく動かない。

 普段の彼なら、このくらいの斜面は登れるはずだ。けれど、斜面を流れる雨水と、痛めた足の影響で、うまくよじ登れないようだった。


 危険が迫っていた。斜面の下には、増水した支流が見えた。さっきまで遠くにあったはずの水音が、急に近づいた気がする。転がり落ちれば、そのまま流される距離だ。


 助けを呼ぼうとして、声が喉で詰まる。


「大丈夫だ。心配しないで」

 どう見ても、良くない状況。そんな中で、私の顔を見て、彼が笑いかけてきた。

 自分の状況を理解しながらも、私を安心させたかったのかもしれない。


「待ち合わせ場所に来ないイアンが心配するはずだ。きっと、助けは来る」

 彼の言葉に思考を無理やり動かす。町まではそう遠くない。誰かが通りかかる。イアンを呼びに行けば。大人を呼べば――。


 その考えが、途中で途切れた。


「アシュリー!」

 彼の名前を呼ぶ声がした。

 視線を上げると、斜面の上にイアンが立っていた。雨に濡れた髪を乱したまま、状況を一目で把握したらしい。


「動くな!」

 そう叫びながら、イアンはすでに斜面を下り始めていた。

 危ない、と口にしようとした時には、イアンはもうアシュリーの近くまで降りていた。


 足場は悪く、岩は濡れている。滑れば、そのまま二人とも下まで落ちる。そんな中、イアンは腕を伸ばし、アシュリーの服を掴む。


 引き上げる力は強引で、乱暴だった。地面が足元に戻った瞬間、アシュリーは大きく息を吐く。その場に座り込む二人のもとに、私は駆け寄った。きっと、酷い顔をしていたんだろう。こんな状況なのに、二人は私の顔を見て、大きく笑った。


 怒る時だったのかもしれないけれど、私はただ、ただ、嬉しくて、私もつられて笑ってしまった。

 三人で、しばらく笑っていた。


 イアンの手は震えていて、肘から先に血が滲んでいる。擦りむいたのだろう。息も荒い。


「……大丈夫か?」

 イアンの言葉に、アシュリーは何も返せず、ただ俯いた。


「危なかったけれど、彼女がいてくれたから、不安はなかった。むしろ、僕で良かったくらいだ」

 と、私に笑顔を向けるアシュリー。イアンは私とアシュリーの顔を交互に見て、深く呆れたような息を吐いた。


 帰った後、私の部屋で、二人っきりの時、アシュリーはこういった。


「イアンは本当にすごい奴だ。……あの時、少しでも考えてたら、躊躇していたら、僕は間に合わなかったかもしれない。……迷ったら、間に合わない。だから、僕は――」

 それに続く言葉は聞けなかった。

 ただ、私は分かっていた。彼はあの時、もう見ることができなくなった、妹の姿を思い描いていたのだろう。


 責めるでもなく誇るでもない。事実を述べるような口調で、あの時の自分の行動を考えていたのだろう。


 彼の言葉が、胸に刺さる。

 彼の妹が、彼に期待していた声が、重なる。


 ――待ってるから。


 彼はこう考えていたんだと思う。「あのとき、自分は考えた。まだ大丈夫だと思ってしまった。だから、間に合わなかった」と。

 助かったという実感よりも、それよりも、ひとつの理解が形を持っていたんだろう。


 危険を承知で行くこと。それを彼は、知ってしまった。


 だから、あの悲劇が起こってしまった。


*****


 私に恋人と呼べる存在ができたのは、それから少し後のことだった。

 アシュリーは妹を失ってから、町での時間、私やイアンといる時でも、どこか心に空洞があったように思う。笑っていても、考え事をしていなくても、どこか上の空だった。彼は隠していたけれど、ずっと一緒に過ごしてきた私は、分かっていた。


 だから、私は、彼の隙間を埋めたくて、恋人になった。

 私は特別なことをしたわけじゃない。ただ、同じ場所に立ち、同じ空を見上げていただけだ。


 それでも彼は、私の事を好きだと言ってくれた。

 それからの毎日は、それまで以上に幸せな日々だった。


 その日も、いつもと変わらないはずだった。

 私は、町外れまで家の用事で出かけていた。途中までアシュリーと一緒だったけれど、道の途中、喧嘩をしている男の人たちを見つけてしまった。


 私の目的地は遠くない。危険な場所でもない。だから、アシュリーは、すぐに戻ると言い、男の人たちのいるところへ向かっていった。私は笑顔でアシュリーを送り出し、一人で歩いていた。


 町外れの雑木林を歩いている時、私は一人の兵士がしゃがみ込んでいるのに気が付いた。


 ルスラン王国王族の紋章を付けた、綺麗な甲冑を着た兵士だった。


 どこか怪我をしている様子の彼に、私は声をかけた。

 必要なら、誰か大人を呼んで来ようと声をかけた。



 その瞬間、私の視界は暗闇に包まれた。




 酷い時間だった。

 五人か、六人か。私は男たちに掴まり、雑木林の中で、凌辱された。


 男たちは私を殴りつけ、服を裂き、辱しめた。


 声も出なくなったころ、彼らの話から、彼らはルスラン王国王子の近衛兵だと分かった。

 私にしていることは、彼らにとっては、ただの息抜きだと分かった。王子も黙認している遊びでしかないと知った。


 彼らが欲望を満たしたら、山賊のせいにして、お腹を割かれ、ゴミのように捨てられる運命だと分かった。


 今なら分かる。あの時、男たちに弄ばれながら、私はもう、死んでいた。


 足音が近づいてきた。私の名を呼ぶ複数の声が雑木林に広がっていく。

 なかなか戻らない私を心配して、町の人たちが集まったのだろう。


 男たちもそれに気が付いた。腰の動きが止まる。

 男たちも、町から町へ、悪行が知れ渡るのは避けたかったのかもしれない。


 とにかく、男たちは甲冑を手に取り、逃げた。


 私の前に、大好きな、恋人が立っていた。私の裸を、見たことのない、怒りに満ちた顔で見ていた。


 ありがとう。来てくれたんだ。私がそう呼びかける。


「……ごめん。気づけなくて……ごめん。もっと早く……来ていれば。ごめん」

 なんで謝るんだろう。私は、明確に彼に助けられたのに。


「ううん、間に合った。……アッシュは、間に合ったんだよ」

 間に合った。そう思った。

 私は死ぬところだった。そこをアシュリーは救ってくれた。


 アシュリーは、自分の上着を脱いで私にかぶせ、手を握る。

 彼の匂いに包まれ、安心する。生を実感する。


 温かくて、安心する手だった。ずっと、離したくない手だった。

 離してはいけない気がしていた。


「……ごめん」

 私は、首を小さく振る。


「ううん、来てくれてありがとう、アシュリー」

 私一言で、アシュリーは静かに崩れた。

 アシュリーは私の胸の上で、ずっと、ずっと、泣きわめいていた。



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