飛翔8 『バレンタイン』
*****
それは、聖職者見習いを狙った誘拐事件だった。
大聖堂勤務の聖職者を狙うのであれば、『教会』は顔面に吐きかけられた唾を拭うため勢力を上げて討伐に挑むだろう。
だが、見習いの娘を狙うのであれば、精々異端審問官数名が捜査に乗り出すだけだ。それならば、逃げ切れる。
そう計画した盗賊団が、他盗賊団と共謀し、聖者使役官見習いと法務執行官見習いの娘を十名ほどさらい、馬車を使って中央都市までの道のりを走っていた。
怯える娘達の中に混じり、アルエットの青髪も馬車に揺られていた。
見習いといえども、『教会』に選別された女達。高い買い手がつくことを見通しての犯行だった。
だが、選別された聖者使役官たちの美は、見習いといえども、盗賊たちの目には毒にしかならなかった。
馬車の片隅では、女の悲鳴と、男らの歓喜が連鎖する。
一人一人と、美しい者から馬車の奥へと連れ去られ、衣を引き裂かれていく。
絶望の声が、アルエットの身体を怯えさせる。
渦巻く悪意と失意に紛れ、アルエットの心を満たすのは、美への憎しみだった。あれほどまでに母親から追求を望まれた美は、生きていく上でなんの役にも立たないものだった。身を持ってそれを理解し、それを自分に強いていた母親に恨みを込める。
順番がきた。背後から歩み寄る男の気配にそう感じとる。
それは、アルエットの青髪に、男のごつごつしい手が乗った瞬間だった。
馬車が一際激しく揺れ、横転したのだ。
不意を突かれた男達に黒ずくめの剣士が襲いかかる。帆の天井が破かれ、剣で武装した男女が馬車に突入し、手際よく娘達を回収していく。
教会が対応を協議し、決定するのは二、三日後だろうとたかを括っていた男達は為す術がなかった。
首を撥ねられ、腹を破かれ、手首をなくす。
みるみるうちに、無様な格好で死に絶える男達の山ができあがっていく。
盗賊を切り捨てる男達に紛れ、アルエットのよく知る、赤髪の少女も戦っていた。
後に聞いた話だが、呑気に対応協議を繰り返す教会上層部に痺れを切らし、バレンタインは秘密裏に異端審問官見習いの有志達を集め、盗賊団の足取りを追ったとのことだった。
全ての盗賊が動かなくなった後、アルエットは友の胸で延々と泣いた。
そして誓った。
自分も強さを求めると。
バレンタインのような、誰かを護れる強さを求めると誓った。
*****
誓いの夜を越え、アルエットはバレンタインから剣技と戦技を少しずつ学んでいった。
代わりにバレンタインは、アルエットから聖典の教えを学んでいく。
いつしか二人は、昼間も夜も常に行動をともにするようになっていった。
さらに年は流れ、アルエットとバレンタインは同じ部隊に所属することになった。
知恵と武勇、両方を兼ね備えた部隊を作りたい。そう考えた教会上層部の提案により、新たな部隊が結成されることになったのだ。
その人物は教会の中でも教皇に近しい人間だったため、その決定は迅速を持って形となっていく。
ならば合わせて美も追究しよう。決定が流れ落ちるうちにそれが追加され、女性のみの部隊、法務執行官・ドミュニオンがこの世に生み出された。
その構成員の選別は大陸中に通達され、知恵と武勇をそれぞれに持つアルエットとバレンタインは互いを互いに推薦し、無事に選ばれた。
その頃には、アルエットは、美への憎しみが薄れきっていた。それだけ、美しさというものは、憎しみを繋ぎ止めることすらできない、微々たる力しか持たないものだったのだろうと考えている。
選別式典の当日、隊長のイルーアから隊員選別にあたり美も追究されていたと聞き、アルエットとバレンタインは自分らにも残りかすがあったんだなと笑いあった。
無事二人とも選ばれたこと、そしてともに戦っていけることを二人は喜び、祝杯と歓喜の声はアルエットの部屋の中で夜が白けるまで続いていた。
そしてその日は、ドミュニオンとしての活動初日であった。
顔色悪く自分の頭を抱える二人を見て、イルーアは部隊の今後を憂い深いため息を吐いた。
【バレンタイン 飛行船 甲板】
『三位の大剣』が激しい軋みを上げ、引きちぎれた。
そして、それと同時に――
ベヘモスは動きを止めていた。
それはアルエットの身体も同じだった。動きを止めたアルエットの身体が甲板に叩きつけられる寸前で、空手となったバレンタインが間に入り込み抱え上げる。
「アル――アル!」
呼びかけても答えはない。バレンタインも理解していたことだったが、それでも語りかけていた。
“器”のみとなったアルエットは目を閉じ、安らかな顔をバレンタインに向けている。
幼きころの思い出が、脳裏を駆け抜けていく。
「アル……オレを置いてくなよ」
仲間を、かけがえのない友を失った実感がバレンタインの心に傷を負わせていく。
目に見える別れが、胸を締め付ける。
張り詰めた緊張が緩み、幼き頃に心が戻る。
「アル、アルぅ――うぁああああああ!」
それはバレンタインが初めて見せた、自分本来の姿だった。少女のように幼く、友を抱き嘆く。
止まらぬ涙でアルエットの身体を濡らす。
そして――
―― らしくないよ ――
それは、友からの言葉だった。儚く、微かに聞こえた言葉だった。
幻聴だったのかもしれない。それでも、確かに、バレンタインはその言葉を聞いた。
「……はは、だなぁ――」
友に戒められた赤髪の少女は、鼻をすすり顔を上げる。
「オレらしくねー。……だなぁ」
仲間からの最後の言葉に、潰れかけた心を奮い立たせる。
「ありがとな、アルエット、向こうで幸せにな」
はばたいて、大空へと飛んでいった友に向け激励を送る。
空を見上げると、アルエットの髪色のような青空が広がっていた。
友に笑われぬよう、バレンタインは自分の涙をそっと拭き取った。
【オリヴィア 飛行船 操舵席】
なんとか、終わったか。甲板の状況を見ながらオリヴィアは安堵の息を吐く。
ベヘモスは動きを止めた。残る動ける兵は少なく、飛行船を操縦できる人間もオリヴィア以外に残っていない。
着陸前に飛行船を崩壊させられるという最悪の事態だけは避ける事ができた。
「だが、これは――」
オリヴィアは予想以上に思い通りに動かない飛行船と格闘していた。
初めは海に落とす予定だったが、尾翼部分の回転翼が停止してしまっているためか、前進していかず、急遽開けた陸地に着地を余儀なくされていた。
突如、ベヘモスが苦しみだした。
「……やめろ、やめろぉおおお!!」
ベヘモスは叫びながら上空に紫の閃光を放つ。
「それどころではない! 少し大人しくしていろ!」
頭を抱え苦しむベヘモスよりも今は空飛ぶ船の制御が第一だった。
地面に叩きつけられ大破することだけは避けなくてはならない。
テロフォニーの大森林目掛け、舵を取るオリヴィアだったが、船は激しく揺れ動き、徐々に船首が目的の場所からズレ始める。
――駄目だ。要塞に激突することだけは
半壊し、瓦礫が散らばるライラ要塞が目前に迫ってくる。
焦るオリヴィアの目に、ライラ要塞中央に広く取られた中庭が見えた。
――もう、ここしかない。
オリヴィアは渾身の力を込め、舵輪を動かす。僅かに、船首が傾いた。
「着地するぞ! 衝撃に備えろ!」
オリヴィアは全身全霊を込め、叫んだ。
衝撃が空飛ぶ船に広がった。
飛翔編は以上となります。
幕間を一つ挟み、終結編へと移ります。
長い章となりましたが、どうか最後までお付き合いいただけますと幸いです。






