飛翔5 『ヘクトル』
【アルエット 飛行船 甲板】
仲間であるバレンタインが大剣をふるい、その身のこなしで魔獣の攻撃を避け続けている。
魔獣の動きは素早く、強烈な一撃を持っているため、なかなか攻め込めずにいるようだ。
バレンタインを援護するように、死骸達がアルテミスと剣を使いその身を崩しながら魔獣を囲っている。
生きている者も攻撃に参加していたが、死人と怪我人は増え続け、一人でも多くの命を救うため、ジェラルドとヘクトルが救出に向かっていた。
それを眺めながら、アルエットは唇を噛み締める。
「あーあ……なんで、こんな状況で戦えないんだろ、……だろ」
血を失いすぎたアルエットの身体は、もはや自分の意志で動かすことが不可能だった。
立ち上がることすらままならず、擦れていく意識を無理矢理奮い立たせる。
歯がゆい状況に、悔しさがこみ上げてくる。
「同感だね。後、もう少しだったんだけど」
不意にアルエットの真横で声が上がった。
驚き振り向くと、黒いローブを被った、小さな魔族が浮かんでいる。
「……!」
咄嗟に腰の曲刀に腕を向けた瞬間、受けていた傷により、激しい痛みが身体中を駆け巡る。
「ああ、心配しなくていいよ。ボクは君に危害を加えるつもりはない。これはただの、世間話さ」
フードの中にある、輝く瞳が瞬いた。その言葉はどこまでも軽く、現状にそぐわない雰囲気を持っている。
「……どっかに行きなぁ。こっちに来てもエサは無いよー」
「酷いなぁ。戦えない者同士、少しは会話してくれてもいいでしょ」
離れようとしない魔族に、アルエットはため息をつく。どちらにせよ、追い払う力もアルエットには残されていなかったからだ。
「……あの死兵達を操っているのは、アンタ?」
「そうだよ。ボクの能力の一部だけど、本質はアレじゃない」
「あの虹色の鳥も操ってたんっしょ? どう考えてもあの鳥は戦える状態じゃなかったしねー」
「そう。ボクの能力は、死体に入り込んで操る事だ」
「……アタシからしたら、あの暴れているヤツと同じくらい嫌悪感があるけど……死体に入れるんなら、あの魔獣にも入り込めるんじゃね?」
特に期待もせずに言った提案だったが、魔族が大きく頷く。
「そうなんだ。ボクは、死体の傷口から体内に入ることができる。ベヘモスの頬に傷は付けたから……後はその傷に触れさえすれば中に入り込めるはずだった」
「いいじゃん、行ってきなー」
「無理だよ。ボク自身はろくに戦えないんだ。ベヘモスの頬に触れる前に、消し飛ばされて終わりさ」
「じゃあ、諦めなー」
「……君、ボクと会話する気がないでしょ」
抑揚のないアルエットの声に感づかれてしまう。
もはや、アルエットの感心はバレンタインに移っていた。バレンタインは必至の形相で魔獣に接近しようとしていたが、受ければ一撃必殺の魔獣の攻撃に苦戦を強いられていた。
少しずつ、少しずつ、バレンタインの動きが鈍っていく。
「だ、だめだよ。バレー……少し離れ――」
アルエットの言葉虚しく、魔獣の角がバレンタインに襲いかかった。紙一重でそれを避けたバレンタインだったが魔獣は首の動きを使い角を大きくなぎ払う。
腹を打ち付けられたバレンタインが吹き飛ぶ。空から吹く風を受け、アルエットの近くまでバレンタインの身体は転がり続ける。
「バレー!」
アルエットは無意識に動いていた。立てぬ身体を引きずり、残った体力を振り絞ってバレンタインの元に近づく。
「バレー! バレー!」
アルエットの呼びかけに、バレンタインは目を開ける。
「馬鹿、動いてんじゃ――アル!」
バレンタインの叫びと視線に思わず振り返ると、巨大な獣がその身を立たせていた。
筋肉を隆起させた右腕が振り上がり、鋭い爪がアルエットに向けられる。
――、ここまでか。
絶体絶命の状況下で、アルエットは安らかにそう思う。
元々、灯火となった命、惜しくはなかった。
ただ、後悔があるとするならば、バレンタインを置いていくことと――
一人の男の顔が頭に過ぎる。
自分の身をずっと心配してくれた、男の顔が頭に過ぎる。
その男は――
アルエットの前に立っていた。
両腕を広げ、その大きな身体全てを使いアルエットの前に立っている。
「あ、アゴ割れ――」
アルエットに向けられた顔が、優しく微笑んだ。
魔獣の爪が、ヘクトルの背を大きく切り裂いた。
【ヘクトル 飛行船 甲板】
自分の身体が、自分の意志とは無関係に揺れている。
頬に何か、暖かい滴が落ち、ヘクトルは失われかけた意識を取り戻す。
目を開き、徐々に置かれた状況が蘇る。背にベヘモスの一撃を受けたヘクトルは甲板にうつぶせで倒れ、少しの間気絶していたようだった。
顔を上げると、バレンタインと戦う魔獣の姿が見える。
ヘクトルの前には、アルエットが座り込み、大粒の涙を流していた。
「アルエット、……無事か?」
「……その姿で言うことじゃないっしょ……しょ」
ヘクトルは把握出来なかったが、背中は魔獣の爪に切り裂かれ、おびただしい血が流れていた。
痛みはなく、背中が濡れた感覚と寒気がヘクトルに伝わる。
「なんで、なんでよぉ……こんなの、格好いいと思ってるの?」
何故、問いかけの意味を理解したヘクトルは少しだけ笑って答える。
「格好つけちゃ、いねーぜ。惚れた女を助けたかっただけだ」
「馬鹿……バカぁ!!」
アルエットの叫びに呼ばれるように、足音が駆けてきた。
「ヘクトル! ヘクトル! 大丈夫か!」
親友であるジェラルドだった。
「……おいおい。主役の登場か? 折角、醜男が美人と二人っきりでイイ雰囲気だったんだぜ。気を遣えよ」
「言ってる場合か! 動くなよ」
背中を指先で押される感覚の後、激痛が走る。
「……痛え」
「血は出てるが致命傷じゃない。まだ大丈夫だ。立て! 船室に連れてく」
「立てねぇよ。死ぬならここで、アルエットの胸に埋もれて死にたいね」
「しねーし、そんなにねーし。……いいから行きなよ」
アルエットの声は震えていた。変わらず涙を流しながら、微笑みを浮かべる。
ジェラルドの肩を借り、ヘクトルは立ち上がった。
「……あ~、ヘクトル」
ジェラルドの檄に交じり、アルエットの小さな声が響く。
顔を向けるヘクトルに、アルエットは続けた。
「……ありがとう。惚れねーけど、格好良かったよ。……惚れねーけどね」
アルエットの言葉に拳を握ってみせ、ヘクトルは船内へと向かっていった。






