慟哭10 『覚悟と意地』
【ドミュニオン ライラ要塞船着場】
事の成り行きを見守っていたイルーアが立ち上がり、シセラ艦の残骸に突き刺さっていた長剣を引き抜く。
片手で器用に刀身を持ち、静かに佇む白の騎士へと差し出した。
「やっと話は付いたようだね。手助けできなくてすまないね。バレー」
「いいよ、隊長。……動いて大丈夫なのか?」
「悠長なことは言っていられないだろ。心配しなくても血は止められている……痛みはあるけれど、動く分には支障ないさ」
支障はあるだろ。バレンタインは浮かんでいたその言葉を噛み殺した。
イルーアの失った左腕は戻ってこない。ことが収まった後に待ち構えているのはドミュニオン隊長の引退だ。
言葉にしてしまうと、認めたくない現実を無理矢理突きつけられてしまうと感じたからだ。
「現在十隻の飛行船が存在する。それは全てウィングブリッジに停泊しているはずだ。それの破壊と、設計図を消失させる。……私ができる譲歩はここまでだ」
長剣を受け取ったオリヴィアが妥協案を示し、イルーアが首を振る。
「破壊? 私が見た船はシセラ艦の三倍はあったよ。可能なのかい?」
眉を潜めるイルーアの言葉にオリヴィアは迷いなくうなずく。
「可能だ。帝国が敵に渡った時のことを考えないはずがない」
「……分かったよ。ひとまずは設計図を取りに行った仲間達と合流。それから一緒にウィングブリッジまで向かう。これでいいかい?」
三人が頷き合った瞬間、それは起こった。
激しい爆発音が船舶場全体に響き渡り、続けて死者の唸り声がこだまする。
門が突破されたか。とバレンタインは状況を即座に理解し、舌打ちする。
「魔物かい……?」
状況を把握していないイルーアが手に持つ槍に力を入れる。
「ちげぇ。……もっと厄介なもんだ。俺たちにとっては特にな」
それはバレンタインが言い終わるのを見計らったかのようだった。
本来ならば船が浮いているはずの水面が激しく揺れる。
魚群を一気に放したかのような揺れが水面全体に広がり、さばり、ざばりとそれらが現れた。
古ぼけた鎧に身を包んだ、ヒト型トカゲの集団が水面から這い上がり、バレンタイン達に狙いを定める。
リザードマンと呼ばれる魔物。その姿を一目見て、イルーアは身震いした。
リザードマン自体は大陸西側に広く分布する特別珍しい魔物ではない。ドミュニオンとしてイルーア自身何度も戦ってきた存在だ。
イルーアの畏れは別にあった。
現れたリザードマンは全て、一体たりとも正常な姿をしていなかった。
四肢が欠け、首の骨が折れ、内臓を垂れ流し、それでも虚ろな眼差しで向かってきていた。
その目に生気は感じられない。死してなお、何者かに動かされている。説明を受けずともそれを感じ取ったイルーアの心に憎しみが広がる。
屍の戦士と化したリザードマンが五十、六十と増え続ける中、鉄の扉を突破した人間の屍達も集まりだす。
「……魔族の仕業だね」
イルーアの言葉にバレンタインが頷く。
「多分な。切っても刺しても向かって来やがる。しかもこの数は……」
途切れなく続く死の行進。
それはバレンタイン達を囲うように続き、みるみるうちにその範囲を広げていく。
「……ここで死ぬ訳にはいかない。行こう」
二百を越えた死兵に囲まれ、覚悟を決めた白い騎士が剣を抜く。
「待ちな。白い騎士。バレーも聞くんだよ」
「なんだよ。……早くしねーと益々分が――」」
「……私が道を開くから、アンタらはマユとアルの所に向かいな」
「はっ!? 何冗談言ってんだ」
「こんな状況で、冗談なんか言わないよ。そして議論している暇もないだろ」
「ふざけんな! そんな怪我で何ができるってんだ。オレたちと一緒に――」
「見くびるんじゃないよ!」
イルーアは肩を貸そうとしたバレンタインを引き離し、一喝する。
「私は法務執行官屈指の戦闘部隊、『ドミュニオン』の隊長だよ。戦いにおいて、私の右に出るヤツなんて、そうはいない。そんなの分かってるだろ?」
「そりゃ、そりゃ分かってるけどよ。――でも、傷が」
「心配しなくても雑兵に負けるほど落ちぶれちゃいないよ。バレー……ずっと近くで見てきたアンタなら分かるはずだろ」
「……隊長」
「心配しなくても後で必ず合流するさ」
「でも――」
「そこの隊長の言うように、議論している暇はなさそうだ。――来る」
先陣を切るリザードマンに己の武器を向ける二人を押しのけ、イルーアが手に持つ槍を輝かせる。
咆吼を上げ、振り抜かれた槍から、紫の稲妻が扇状に広がり死兵の身体を焼く。
そしてイルーアは――槍を構え突撃していた。
稲妻を思わせる早さで、敵の群れに突進し、吹き飛ばしていく。
死兵の囲いから、一線状に道を作り出された。
「行きな!」
イルーアの声だけがバレンタインに届く。
「隊長――!」
「行くぞ。彼女の覚悟を――無駄にするな」
白い騎士は動いていた。
銀色の鎧を身に纏った女に、騎士道を見て取っていた。
だからこそ、迷いなく動きイルーアが作り上げた道を駆け抜ける。その姿を見て、バレンタインも苦渋の覚悟を決め、それを追いかける。
「……さぁて、部下の手前強がりを言ったけれど……どこまでやれるかねぇ」
走り抜けた二人に心の中で激励を送ったイルーアが、笑顔を見せながら一人呟き、続ける。
「まったく、少しは休ませてもらいたいもんだよ。隊長なんて、引き受けなきゃよかったね」
心にもないことを口にしながら、敵へと対峙するイルーア。
死兵達が、そのなくした生に嫉妬するかのように片腕の女に激しく襲いかかっていった。






