学食ぷりん
全てのなめらかな奴らに、愛をこめないで。
授業中の学校という物は、小中高大とわず総じて静かなものだ。
学生は皆本分の筈である勉学に勤しみ、教諭は皆本職の筈である教講に勤しむ。そこに矛盾は存在しない筈だが、残念ながら例外はいくらでも存在する。その例外のトップランナーにして最先端、例外中の例外の王者、そしてこのマイナス行為が、いづれかマイナス×マイナスでプラスにならないかと半ば本気思念する最高に最低な愚か者――それがこの僕、幼馴染みに学校随一の美少女がいる王道にしてベタベタなヘタレ系主人公気取り、倉波葉月だ。
やっぱり暇な時には自虐行為……もとい、自身を見つめ直すのが一番良い。普段の素行の悪い自分を顧みて絶望する。そうすると、もう少しまともに生活しようかなと言う考えが生まれる。たまには素行の素晴らしい自分を妄想して、いまや時の人と成りつつある我が幼馴染みとの薔薇色の高校生活を送っているつもりになるのも中々乙なものだ。
まあ勿論それは妄想でしかなく、そして妄想止まりでしかない。基本的に僕は生きていく上で必要最低限のことしかしていないつもりだ。勿論サボタージュは呼吸と同位置にある。そう言うわけで、滅多に何か行動を起こすことはないのだ。思っただけで行動しない、言うところの有思不実行。それには多分、もっとふさわしい言葉があるんだろうが、残念ながら僕はそこまで語彙が充実していない。知っている言葉の中で恐らく最も奇怪なのは「おとど」だ。言葉というか文字というか、おとどは最早絵である。ピクチャーである。フォトである。より具体的に言えばただの漢字です。
「……まあそんなところで現在時刻午後十二時半、四時限目がそろそろ終了ってところか」
長い長い痛い思考を終え、気持ちの面でリセット。僕は軽く息を吐き、なんとなく周りを見渡した。
現在地、公立浜百合高校一棟一階の東に位置する食堂――通称、「How you? 食堂」。意味不明――。閑散以外の何者でもないこの空間にて、響く音と言えば風の吹く音、僕の心音、そして食堂隅にある購買コーナーにてこれから売り出されるであろう色々を整理するおばちゃんの音。図書館を泡沸とさせる静けさだ。もしも僕がバリバリのリバリバのガリ勉生徒であったのなら、この素晴らしい環境を使わない手は無かっただろう。いや、実際そうだったんならそもそもサボりなんてしなかっただろうが。
しかしまあ、この僕がいかに劣悪という劣悪を極めた劣等生だったとしても、この静寂加減は大好きだ。勘違いの無いように言って置くが、僕という人間は、騒がしいのは好きだが騒がしいのが苦手だ。吐き気を催す。好きなのだけれど苦手という、恐らく最高級に嫌なジレンマ。シンドロームだって裸足で逃げ出すだろう。
ええ、どうでもいいですね。
と、そこで中々に丁度良く四時限目終了のチャイムが鳴り響いた。少し割れた感じの、ありふれたチャイムが繰り返し数回流れ、そして、静寂。
僕はごくごく自然に、食堂の入り口に視線を向けた。
「……さて、そろそろかな?」
低く、小さい声でそう呟く。
そしてこの場合の倉波葉月の予感的中率は実に百パーセントを誇る。四時限目終了のチャイム……つまり昼休み開始のチャイムが鳴り響いてから一分も経たずして、一人の少女が、食堂の入り口に現れた。
入り口から結構遠い位置にある此処からみても十分に可愛いと認識できるその少女は、しかし僕なんぞには眼もくれず、そのまま入ってきた時と同じ勢いで、開いたばかりの購買コーナーへと直進する。おばちゃんの人の良さそうな声が、食堂の沈黙を木っ端微塵に粉砕した。
「あら、いらっしゃい更夜ちゃん! 今日もまた随分と早いわねぇ」
ちなみに僕は地獄耳だ。おばちゃんの声はともかく、更夜ちゃん、と呼ばれた少女の声も十分聞き取れる。
「あはは。まあ、足だけが小生の自慢ですので」
静かに、透き通るような綺麗な声。ちなみに更夜ちゃんはたまに自分のことを小生と呼ぶ。そして大体自分のことを小生と呼ぶ。そんな少しイカした素敵な子。僕は嫌いじゃないぜ。
更夜ちゃんの言葉に、おばちゃんは「かっははは!」と凄く元気に笑う。うん、良いことだ。笑うことは健康促進につながるという。下手したら僕より長く生きるんじゃないだろうか。いや有り得ない。どんだけ僕は早死にするんだよ。
「足だけって言っても勉強だってテストは常に学年一位なんでしょう? ほんとに凄いわねー……で、今日もいつものかい?」
「ええ、お願いします」
「分かったわ。少し待ってなさいね」
そう言って、おばちゃんは奥へと向かっていった。
ちなみに我らが公立浜百合高校には、最早伝説と言っても過言ではない程の、空前絶後にして前代未聞、売り切れ必死の超絶人気を誇る最強最凶の購買品が存在する。昼休み開始五分には既にソールドアウト、需要が百だとしたら供給が三程度の、性質が悪すぎる限定品。現在毎日のように更夜ちゃんが購入一人目となっているが、彼女が買い終えてから何故か数秒後に、それを買い求める生徒が殺到する。
まるで彼女が魔術を使って時を止めたかのような光景になるのだが、それは単に、彼彼女らが授業という時間の制約を受けているからに過ぎない。彼女、陰於更夜は、授業終了一分前には、既に教室をでている。それこそ魔術のようだが、詳しくは僕は知らん。
授業が始まるよりも先に教室を出ている僕に、そんな事知る由もない。
そして、そこまでして彼女が手に入れたい究極の購買品とは。
「お待たせしたね! さ、とっとと持ってかないと後からきた奴らに取られちゃうよ!」
ぷりんだった。
ほのかに黄金色に輝いているそれは、大きさ的には市販の物と大差変わりない。だが、味は別格。口に運んだ途端、まるで理想郷に飛ばされたかのような甘美な食感が口全体に広がる。一口食ったら最後、暫く病みつきになる。
らしい。
僕、ぷりん食べられないんだよね。
「ありがとうございます」きちんとお金を払い、丁寧にお辞儀をする更夜ちゃん。きっとその顔には、満面の笑みが浮かんでいるのであろう。「では、また明日」
元気なおばちゃんの声を背中に受け、そうして更夜ちゃんは購買コーナーから離れていく。次に彼女が目指すのは教室……ではなく、食堂の席。
彼女はきょろきょろと辺りを見渡している。数秒後、僕と目が合う。
そして、更夜ちゃんは歩き始めた。
僕の元へと。
なんでいつもこうなるかなあと良く分からない事を考えていると、丁度僕の向かいの席に更夜ちゃんが到着し、そして、座る。
長い茶髪のツインテール。端正な顔立ち。無駄に良い頭脳と運動神経とスタイル。いわゆる天才。時の人。
彼女は言う。
「おはろう、葉月。元気してます?」
僕は答える。
「まあそれなりに、今日も今日とて死にそうだよ」
ちなみに。
陰於更夜とは、僕の幼馴染みの本名だ。
「……で、まあ、さっきまでちずなちゃんと一葉君についての話をしてたんだけど……って、おーい、話聞いてますか葉月くーん?」
「……ん? え、何? なんか言った?」
「話を聞いてますかと言ったのです」
「ふうん」
「……え? 終わり? リアクションそれで終了? わー。相変わらず酷いな葉月はー。《いざゆかん鎌倉、ただし銃刀法違反で逮捕》みたいなっ!」
「いやそれはタブーだろ」
何処ぞの大学生だお前は。
そんな訳で――現在時刻は午後一時ジャスト。昼休みの真っ最中。数十分前の少年少女購買プリン争奪戦のハイライトを脳内で繰り広げていたぼくの正面の席には、例の幼馴染み陰於更夜が居座っていた。ちなみに場所は変わらず食堂。しかし状況は先程とうって変わって、わいわいがやがやと日常騒ぎ。うん、いいね。そういうのは好きだよ。苦手だけど。
しかし……このような状態――食堂にて、本学校きっての劣等生である僕と本学校きっての優等生である更夜が(それなりに)仲良く昼食を共にしている――が昼休みで常となったのはもう三ヶ月ほど前であるが、やっぱり、人の視線にはあんまり慣れることができない。全身をぐさぐさと何か鋭利な刃物でヤラレルような感覚。当初よりかは幾分気にならなくなったが、それでも精神はざっくりと削られていく。完全なる不幸だ。
なんていうかまあ、それも仕方無いかなぁとは思う。この、今僕の眼の前でニコニコしてる少女を知らない人間は、恐らくこの学校の中にはいないだろう。それほどまでに人気、そして羨望の的なのだ。
容姿端麗成績優秀、そしてなによりその最高すぎる性格――そんな陳腐で愉快なベタベタなテロップが張られるような少女だが、この僕だって憧れるくらいだ。
勿論僕が彼女の幼馴染みじゃ無かったらの話だけどね。
……ったく。
「何ラブコメめいた馬鹿やってんだよ僕は」
「ん? ラブコメ? 何それ?」
「……え」
僕は思わず言葉に詰まった。それは僕の独り言が普通に聞かれていたことに対してでは(そういや更夜は地獄耳だった)勿論なく、彼女が、あの全知全能の神ゼウスをも何の遠慮もなく蹂躙したという陰於更夜が、そんな言葉を、たった一つの簡単な単語を、知ら……ない、……だ、と……?
「マジで言ってる? 更夜姫」
「マジと書いて真剣と読むくらい本気だよ。葉月王」
「王って言うな。僕は只の語り部だ」
「十分立派じゃない。じゃあ私は……語り部助手かな」
「……」
随分と男として嬉しい事を言ってくれるじゃないか――って、そうじゃなくて。
「……そんな事はどうでもいいよ。それよりも更夜、ラブコメを知らないって事はさあ、プリンを知らないと同義だぜ?」
「それは無いと思うけど」
僕も思った。
「……そうだな、じゃあ更夜、KYって何の略か知ってる?」
「え? ケーワイ? ……んー、《軽く酔った》?」
「……」
お酒は二十歳になってから。
「じゃあ、GJは?」
「ゴットジャッジメント?」
「JKは?」
「ジョーク」
「TTは?」
「淡淡とした誕生譚」
「倉波葉月は?」
「私の幼馴染みだね」
こいつはやっぱり最高だ。
僕は涙腺が爆破しそうなのを何とか押さえ、手を伸ばして、少女の白くて肌理細やかな両手をつかんだ。相変わらず柔らかい。なんというか、幸せ。
と、言うわけだ。
「結婚しよう、更夜」
ぷろぽーずをした。
「いいよ」
即答された。
…………。
いや、えっと? え、何? マジですか? もしかしてそれもまたマジで言ってるのですか更夜さん? さすがの僕も、それは予想外にして想定外、アクシデントのサプライズのカタストロフだぜ? 惨劇だぜ? ていうか、さっきから僕らを眺めるエクストラ一同の壊意……じゃない、殺意めいた視線が限りなく痛いんだぜ?
逆に狼狽している僕をみながら、我が麗しき幼馴染みは不思議そうに小首を傾げた。
「どうしたの、葉月? 早く結婚しよう? あれ、けど結婚するには何歳かになってなきゃいけないんだっけ? 十六歳? 十八歳? 二十歳? まあ、そんなことはどうでもいいよね」
「よくねえよ」
全然よくねえよ。
僕は一つ深呼吸をして、自分をなんだけ落ち着かせた。いや、馬鹿だろ僕。落ち着け。餅つけ。恥を知れ。こんなノロケをいつまでもしてたら確実に僕は明日生きてないだろう。嫉妬というかなんというか、とりあえず更夜を神と崇拝する暴徒たちに、果たしていったい何をされるというのか。
考えるだけでも肌が凍る情景だった。
「……いや、ごめん更夜。些細な冗談の類の話だったんだよ、今のは。そんな真に受けないで欲しいな。いや別に真に受けたって僕は一向に構わないんだけどというかむしろそっちの方が嬉しいんだけど、そしたら多分、僕殺される」
「そんな冗談だなんて……、あ。ああ……、そっか、成程……」
途中まで何かを言いかけて、どうやら更夜は事情を察してくれたらしかった。辺りをきょろきょろと見渡した後、落胆したようにため息をはいた。
それでいいんだ、更夜。僕は君が反論しかけてくれただけで凄く嬉しいよ。うん。なんというかもう、色々とごめんなさい。
……ま、これもまた一つの日常に過ぎない。月日とは過ぎてはまたやってくる旅人のようなもの、とかの高名な松尾芭蕉の兄さんも言っていたらしいが、日常だってその通りだ。過ぎてはまたやってくる、同じ事の繰り返し。それは悪い事じゃない。むしろ僕は、この日常がいつまでも続けばいいななんて、それこそ非日常じみた些細な願いを持っている。
たとえ恋人じゃなくてもいい。
少しでも長くの間、この綺麗な少女と一緒にいられたら。
それだけで僕は十分だ。
「……」
相変わらず立派に恋愛恋愛してるなあと心の内でため息を吐きながら、僕は静かに立ち上がった。さて、と声に出して呟き、未だプリンを食っている(随分と長く食している)更夜に声をかける。「更夜。僕はそろそろ行くことにするよ」
「んー。何処へー?」
スプーンを口に含みながら、僕を見上げてそういう更夜。ちらとぷりんの残量を見ると、なんとまだ半分以上残っていた。どんだけ味わって食べているんだ、この幼馴染みは。
ちょっとだけ呆れつつも、僕は頬をぽりぽりと掻きながら適当な単語を口から発進させた。
「ちょっと、保険室の先生と愛を育みにいこうかと」
「葉月、死にたい?」
「ごめんなさい」
難なく撃墜された。そりゃ無理な話だ。
仕方無いので、本当のことを話すことにする。
「実際には、少し一葉の奴と話をしにいこうかとね。いや、此処にいるのが嫌な訳じゃないんだぜ? 少しあいつに野暮用があってのことだ。悪いね」
そう言うと、更夜はふうと息を吐いて、それから満面の笑顔を僕に向けた。そして手を振って、
「分かった、いってらっしゃい。放課後に会おうね」
滞り無く、退場の許しを卸した。
……いや、別に意味なんて特にないんだけど。
「ああ、うん」
それから僕は返事をして、くるりと身を翻し、そのまま食堂出口を目指して歩き始めた。途端、後ろから何かと騒ぐ声が聞こえてきた。多分更夜に群がっているのだろう。まあ全く、正直者が多いものである。
……更夜、ストーカーとかされてないかな。
そんなことを考えながら、僕は食堂の出口を目指し、今日も今日とて日常をスローペースで歩き続ける。これが、僕なりの平和というものだ。
それにしても、僕はこの頃授業をサボりすぎだ。このままではさすがに成績がまずいなぁ。うむ、どうしたものか。
……、まあ、いいか。
本作品は、某友人とのコラボレーション小説だったりします。いや、クロスオーバーかな? どうでもいいけど。
某友人が歌詞、自分が短編、みたいな感じで。どうしようもなく歌詞の方がクオリティ高いのですが、まあそれはそこ。
途中で別小説のキャラの名が出てきますが、まあそこはそれ。
よろしければ、感想評価等をお願いします。