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西行法師に憧れて  作者: 実茂 譲
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6.

「二人は遠い親戚か何かですか?」♯882は柏木あるいは伊辻にたずねた。二人と出会ってから数時間が経過したが、二人の区別はいまだ曖昧だった。

「いいえ」どちらかが言った。「どうしてそう思ったんです?」

「いえ、とくに理由はないです」

 自動車はしばらくトンネルを走った後、周囲を水田に囲まれたエアシップ用ポートの駐車場に入った。駐車場にはコロニー管理局ナンバーや民間ナンバーの自動車が二十台あまり駐車して、エアシップが来るのを待っていた。

「一時間、ここで待ちです」伊辻――ではなく柏木が言った。

「外をまわってもいいですよ」柏木――ではなく伊辻が言った。

 ♯882は車から外に出て、周囲を見回した。見渡す限りを水田が埋め、はるか遠くに鎮守の杜らしき緑の集まりがちょこんと居座っていた。ドーム型スクリーンは雲ひとつない快晴に設定され、遺伝子組み換えの栄養強化米たちは収穫と脱穀を待ちわびて、頭を深く垂れていた。水田プラント管理部門の粋な計らいで十五分に一度、エリア全体を洗うような強い風が吹いた。すると稲の海は波打ち、互いにこすれあって熱い土に打ち水をしたようなさわやかな音を立てつつ、水を含んだ土の甘い匂いがやってきた。風と土の匂いがやってくると、エアシップを待つ人々はみな会話をやめた。彼らはみな水田とは無縁の、高度に自動化されたコロニーのなかに閉じこもって暮らしていた。にもかかわらず自分たちには湧くはずのない水田への郷愁を感じてしまい、何と言ったらいいか分からなくなるのだ。しかし、分からないと困惑することはなく、むしろ心の底から安らぐことができた。♯882もそうした人々と感動を共有していた。この空気、匂い、草と水と土のつくったバランスの素晴らしさには生まれ故郷に戻ったような懐かしさを覚えずにはいられなかった。実際に彼を創ったアンドロイド開発プラントの味気ない培養槽を見たところで、この感覚は生まれないだろう。

「水田の魔力ですねえ」柏木――ではなく伊辻が言った。「原風景っていうそうですよ」

 一時間後、何の前触れもなく空を司るドーム型スクリーンにぽっかり穴が開き、卵型のエアシップが水に落ちたドングリのようにゆっくりと、しかし確実にポートエリアに降りてきた。足が生え、卵形の異様な四足動物のようなエアシップはポートのぐるりと囲む稲穂をついとも揺らすことなく静かに着陸した。その巨大な船体が地面に降りたその瞬間でさえ、震動はまったくなかったのだ。なめらかな底面が帯状にべろりと剥がれて、坂道となって地上と接すると待っていた自動車たちはその坂道を上って、エアシップ内の駐車場に入っていった。

 エアシップは上昇しながら、稲穂に覆われた水田プランテーションに丸い卵型の影を落とした。エアシップに乗り込んだ人たちはみな車から出て、コーヒーショップのある展望室へと足を運んだ。柏木と伊辻がその役割を入れ換えながら、どちらがコーヒーを奢るかを不毛に論じ合っているあいだ、♯882は展望室の先のほう、上下左右がガラス張りになっていて、あらゆる方向を眺めることのできる桟橋のような通路へ足を運んだ。

 通路の先端でドーム型スクリーンがエアシップを飲み込もうとして、ぱっくり口を開くのを眺めていると、肩を叩かれた。

 白の髪にコバルトブルーの眼をした少年型戦闘用アンドロイドが微笑んでいた。

「♯7A1だ」

 そう言って、手を差し出してきたので、♯882は手を握り返した。

「僕は♯882だ。会ったことはないよね」

「いや、ある。二年前、飛行タイプの異星獣にやられかけたとき助けられた。まあ、そっちが覚えてないのは無理もない。おれは損傷がひどくてすぐに回収部隊に拾われたし、そっちは次の異星獣を殺るのに忙しかった。まあ、これでも義理堅いつもりでね。こうして見かけたわけだから、あのときの礼を言おうと思ったわけだ。そっちも休暇の取り消しかい?」

「いや、解放されて自発的に戻るんだ」

「そりゃずいぶん物好きな話だな。おれは休暇が切り上げになって戦場にとんぼ返りさ」

「きみのタイプは?」

「隠密性重視の暗殺型。気づかれる前にやつらのコアを破壊するんだ。うまく殺れば異星獣どもは自分が死んだことすら知らないまま死んでいく。そっちは?」

「近接戦闘重視。一応重火器タイプの支援なしで殺せるスペックはあるんだけど、飛び道具は刺さると爆発するスローイングナイフしかもっていないから、できれば火力支援がほしい」♯882は言った。「三ヶ月、戦線を見てないけど、今は安定してるのかな?」

「まあ、安定してるほうだな。でも飛行型の巣が割りと近場で見つかったらしくて、それを殲滅するために休暇が取り消しになっちまった」

「お気の毒」

「それがおれたちの創られた目的だから仕方ない。箸はつかむため、はさみは切るため、戦闘用アンドロイドは異星獣を殺すために働かなくちゃいけない。まあ、それに休暇の取り消しで出撃する場合、残りの出撃義務がぐんと減るんだ。まあ、悪い話ばかりじゃない」

 エアシップがドーム型スクリーンを通り抜け、道路が錯綜し、エレベーターの乱立する空洞に飛び出した。コンテナやトレーラーを満載したエレベーターはせわしなく上下を繰り返し、材料をプラントへ、製品を居住区へ流し込んでいた。展望室の左では巨大エレベーターが停止していて、UFC――アンダーグラウンド・フルーツ・カンパニーのロゴが入ったトレーラーがオレンジジュースかパイナップルジュースを作るための工場へ次々と走りこんでいった。

「不思議だよなあ」♯7A1は小首をかしげて言った。「人間の巣にはジュース工場がいくつもある。工場にオレンジやパイナップルを供給するためのプランテーション・エリアがそれ以上の数存在する。もちろんこれはコロニーが持っている機能のごく一部で全てのプラントを一望したいならもっと大きな空洞が必要だ」そこまで言って軽く息を吐くと、♯7A1は#882のほうを真顔で振り返って言った。「どうしておれたち、……いや人間は自分の巣にこんな完璧なジュース製造システムを生み出すことに成功していながら、やつらを駆逐しきれない? やつらの巣はただ卵があるだけなんだぜ」

 複雑だからこそやつらの単純さに勝てないんじゃないかな、と♯882は言った。♯7A1は、そうかそういう考え方もあるな、と言った。その後、二人は始めて異星獣の巣を見たときの印象を話し合ったが、それは驚くほど似通ったものだった。初めて異星獣の巣に入ったとき、マスク越しに見たのは彼らの生命力の単純さだった。先に孵化した子がまわりの卵を食べながら、成長し、自分の兄弟である別の個体とぶつかれば、それも襲って食べてしまう。彼らは噛みつき、千切り、溶解液をまきちらし、相手を自分の養分にしようとするのだ。強烈な生存競争は巣の中心に設置された燃料気化爆弾が炸裂するまで続いたことだろう。異星獣にあるのはただ生への執着だけであり、異星獣が人間やアンドロイドに襲いかかるのはその延長線上にある出来事に過ぎなかった。

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