5.
アンドロイド福利厚生委員会から派遣された係官のうち中年男のほうは柏木と名乗り、女性のほうは伊辻と名乗った。二人ともコロニー技官の制服を着ていて、制帽もかぶっていたから、ぼんやりしていると二人の区別がつかなくなりそうだった。柏木は歳より若く見え、伊辻はまだ二十歳そこそこのくせに大人びて見えたし、柏木は中年男にしては声が高く、伊辻は二十歳の女性にしては声が低かった。二人の役割もしばしば交換されるためややこしかった。第四居住区を出る際、ドーム型スクリーンのふもとの検問所までは確かに柏木が運転していたはずなのに、次の検問所でIDカードを提示しているときには伊辻が運転席に座っているのだ。
「以前、担当したアンドロイドは」と柏木――ではなく伊辻が言った。「観光地のバーテンダーになりたがってましたっけ?」
確かそうだ、と柏木が答えた。「第三十二居住区は観光用居住区になるって話だ。崩壊前の沖縄のような平均気温高めの白い砂浜と青い海に囲まれた小さな島をつくるそうだ」
南の島いいなあ、と伊辻は言った。「居住者の応募倍率は相当なものになるんでしょうね」
「まあ、アンドロイドなんだし戦功を考慮して採用されるんじゃないかな?」
「そういえば、♯882さんは居住区では名前を作らなかったんですか?」伊辻――ではなく柏木がたずねた。
♯882は、笹山了一という名で暮らしていたと答えた。
「ささは簡単なほうの笹? それともしのとも読める面倒なほうの篠?」柏木――ではなく伊辻がたずねた。
「簡単なほうの笹です。竹かんむりに世界の世」
答えを聞くと、柏木と伊辻は数年に一度しか出会わない親戚の名前を思い出したときのように、おーおーとうなった。
♯882を乗せた自動車はプラントや居住区を結ぶ産業道路を走っていた。ときおり道路が巨大な空洞に入り込むと、貨物用モノレールが頭上を走り、トレーラー数十台を乗せたまま斜めに上昇していく巨大エレベーターと平行に走ることになった。柏木と伊辻はハンドルを握る役目を巧妙に入れ換えながら、いくつかの検問を通り過ぎ、正午になると休憩のために産業道路のトンネル内で営業している釜揚げうどんのチェーン店に寄っていった。
「釜玉二つ!」店に入るなり柏木か伊辻かあるいは二人が一度に言った。
♯882は席を取るために何も持たずに四人がけのテーブル席に座った。店には常に五百人ほどの客と従業員がいたが、アンドロイドは彼一人のようだった。調理場はうどんを茹でる湯気のカーテンで覆われてよく見えなかったが、ときおり白い湯気の壁をたくましい腕が突き破って、揚げたてのごぼう天やちくわ天をセルフサービス用スペースに供給していた。客はコロニー技官が半分、その他のプラント労務者が半分でそれが入り乱れて、トングで具を取り合い、席に陣取って、つゆと無料の天かすをふりかけて熱いうどんをすすっていた。その音は上下五階層を貫いて聞こえそうなくらい大きな音だった。
このチェーン店はまだ生卵が同じ大きさのアレキサンドライトと同じくらいに貴重だった時代から営業していた(ちなみに受精卵はもっと貴重で孵化させずに破壊した場合、最高で銃殺刑が言い渡された)。そのころの店は地上のすぐ下で営業していて、店は大きなビニール地の軍用テントでできていた。いつ異星獣が天井をぶちぬいて雪崩れ込むか分からないなか、店主自身が焼夷弾を装填したショットガンを背負って、これから異星獣を倒しにいく、あるいは倒してきた兵士たちに熱いうどんを出してきたのだ。コロニーが階層を深く、広く、安全になっていくにつれて、うどん屋もショットガンを背負うのをやめた。店舗数を増やしていったが、何よりも嬉しかったのは鶏卵製造プラントの完成で安価な釜玉うどんの販売が実現したことだった(これに伴い受精卵の破壊者に対する極刑も廃止された)。
柏木と伊辻の二人組は手で触れられないくらい熱いうどんに卵の黄身を乗せてやってきた。具は最初は柏木が小海老のかき揚げ、伊辻が紅しょうがの天ぷらにきざみ海苔をかけたものだったが、席に着くころには柏木が紅しょうがを、伊辻が小海老のかき揚げを乗せていて、しかも刻み海苔は相変わらず伊辻のうどんにかかっていたのだった。この調子だと食べている最中に柏木と伊辻の具が入れ替わっていることだろう。♯882は深く考えるのをやめた。
柏木と伊辻は、アンドロイド福利厚生委員会の係官としては♯882ほど活躍したアンドロイドが外の世界で生涯を閉じようとしていることは大変残念至極の限りですが、アンドロイド権利条項にあるとおり、戦闘用アンドロイドもまた、その意思は人間同様必ず尊重されねばならないという意識で職務を遂行するので安心してくださいという旨を二秒で言ってのけた。うどんが熱いうちにつゆをかけ、黄身をうどんにからめて半熟状態にして、天かすをかけなければいけなかったからだ。その後、柏木と伊辻、あるいはその両方は浄水プラントの全ての水を一度に放出してもここまでひどくはないだろうと思えるほどの騒音を立てて、うどんをすすり、満足げにICカードをテーブルの端末にタッチさせた。店のマスコットキャラクターのホログラフがあらわれて二十個集まったらうどんが一杯タダになるスタンプを押して、ありがとうございました、とお辞儀をして消えた。
店を出るとき、柏木はあと三つのスタンプでタダになるといい、伊辻はあと十二個でタダになるといっていたが、♯882の予想通り、車に戻るころには柏木が十二、伊辻が三つのスタンプでタダになると言っていた。