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西行法師に憧れて  作者: 実茂 譲
13/25

12.

 汽笛が鳴るたびに小さな森や雑木林から鳥たちが狂ったように飛び立った。それがわかっていたから機関士は汽笛を鳴らす前に鳥たちの王のごとく、おごそかに咳をした。王が広間にあらわれて、ゴホンと咳をすれば、おしゃべりする延臣たちを黙らせることができるのだ。事実、機関車が来ると、鳥たちはまだ鳴らぬ汽笛の予感に身をすくませ、飛び立つ準備をするためにさえずるのをやめた。汽笛が鳴らなくても飛ぶ臆病な鳥もいたが、彼らは汽笛よりもシリンダーの音や絶え間なく吐き出される黒い煙を恐れて飛び立つのだ。

 やがて、日が暮れて夜がやってきた。機関車の煙突が夜空に煌く全ての星を自分が吐き出す黒煙で覆い隠すという狂おしいまでに絶望的な目標を立てて努力しているあいだ、♯882は、#67B2の寝顔を見ていた。彼女はスリープ状態になっているのではなく、本当に眠っているのだ。最初はうとうとしていたのだが、やがて窓枠に頭をもたせて、目を閉じた。すると規則正しいリズムで胸郭が動き、小さく開いた口からは静かな寝息が漏れるようになったのだ。♯882は世界で初めて顕微鏡を使って雪の結晶を眺めた人のように驚きと憧れをもって、彼女の寝顔を見ていた。彼は彼女の目を覚まさないよう小さな声でつぶやいた。

「どんな夢を見てるのかな?」

 #67B2は自分が天使になった夢を見ていた。コロニーに住んでいる少女たちは無宗教でありながら仏壇のある家に住み、仏壇のある家に住みながら天使に憧れた。彼女たちは、天使とは肩から白い羽根が生えた美しい存在で分厚い雲のあいだから斜めに差す光の階段とともにあらわれるものだと信じていた。少数派だがミッション系の学校に通い、聖書にも一通り目を通したクリスチャンの少女たちは天使について、ラッパを吹いて世界を破滅に導いたり堕天して地獄の親玉になったりする恐るべき存在として認識していた。#67B2の天使は彼女たちの天使とは少し違った。白い羽根が生えているところまでは一緒だったが、彼女のなかでは天使は愛と歌、歌と幸福を司っていた。幸福無き愛を悲しみ、愛無き幸福を哀れみ、愛と幸福を結びつけるべく歌を授けてまわるのだ。天使となった彼女は歌を小鳥のさえずりや小川のせせらぎのなかにそっと織り交ぜ、愛と幸福がきちんと結びつけられるよう世界を見守っている。やろうと思えば、彼女は鉄鋼所や証券取引所の喧騒にも歌を織り交ぜることができた。すると、全ての作業と取引がぴたりと止む。真っ赤に焼けた鋼板を造ったり、殺到する売り注文を捌いていた男たちが歌に打ち震え、何もできなくなるのだ。歌を聴いた男たちは家族を愛し、そこに幸福を感じることだろう。世界が愛と歌、歌と幸福に満たされると、天使は宙へと上っていく。人が、建物が、山が、海が、地球が見えなくなるまで上っていき、最後に自分の愛と幸福を結びつけるための歌を唄うのだ。

 #67B2の寝顔は愛くるしく、幸せそうだった。

 汽車が停まった。車掌が駅の名前を告げて各車を歩いてまわった。駅の名前は聞いたこともない名前だったが、自分はここで降りなければいけないことだけは分かっていた。

「おやすみ、#67B2。いい夢を」

 彼は#67B2を起こさないように、静かに席を立ち、汽車を降りた。汽車が動き始めると、灯油ランプに照らされた窓際ではビー玉が瓶のなかで動いていた。ガラス窓が閉まっていたから、音は聞こえなかったが、きっとコロコロ鳴いたのだろう。

 コロコロ。

 それは風に乾かされた石が砂丘を転がる音。

 コロコロ。

 それは機関車のボイラーで宝石が転がる音。

 コロコロ。

 それは一人の少年型戦闘用アンドロイドが夢から覚める音。

 ♯882は瞼を開いた。そして、愛と幸福を歌でつなぎとめる#67B2そっくりの天使を夜空に探した。

 だが、天使はいなかった。

 天使のいない星空はただただ眩く、ただただ静かで、ただただ残酷だった。

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