いかめし
居酒屋の指定席に座ると、まずは冷えたビールを注文する。グラスに氷がうっすらとついた、のどごし爽やかな黄金色の麦酒。夏はやっぱりビールに限る。濃厚な泡、ほろ苦いようで甘みのある優しい味。ビールは優しい。ハイボールは棘棘している。ハイボールを優しい味にするには技術がいる。ビールは生のままでまろやかさを楽しめるので好きだ。
昔、喫茶店で飲んだビールが一等美味かった。細身のスラっとしたグラスに注がれたビールは、薄味なような喉にガツン! とくる旨味があった。冬向きのビールだったように思う。熱々のグラタン、エビフライ、辛めのチョリソー。喫茶店にあるものは何でもビールと合う。
しかし今は夏だ。夏はゴクゴクやるのが一番良い。若干のサーバー臭が残ったビールなんか乙なものだ。いつ作ったのか分からない枝豆がお通しで出てきて、なんだこれはと思いつつビールとやってみると、これが案外美味くて驚く。そうこうしているうちに一杯目が空になり、ちょうど枝豆もなくなる頃なので、二杯目と一緒に肴を注文する。今夜のお供は「いかめし」だ。
「いかめし」といえば、酒のつまみではなくメインディッシュとして想像してしまうかもしれない。だがイカなんてものは、酒の肴になるために生まれてきたような存在だ。イカそうめんは熱燗に合う。夏の時期ならイカフライでハイボールとやるのもいい。フライの刺々しさと、ハイボールの刺々しさは、意外と合うのだ。いかめしならビールで決まり。小腹の空いたのと、酔いを求めるのと両方を満たせる。
いい具合の香りが厨房から漂ってくるではないか。イカを煮る匂いが鼻腔を刺激して、酒がすすむ。注文を受けてから作ったのか、ようやっと運ばれてきたいかめしはなんとも見事な茶色だ。出汁が染みこんで柔らかくなったイカは、箸で容易に切り分けられる。だがいかめしを切り分けるなど邪道。一口に頬張ると、豊潤な香りが口いっぱいに広がって、夢見心地になる。中身は餅米だ。どこ産の米かは知らないが、豊かな水で育ったのが分かる。イカとよく合っている。
しっかりと味わいながら食し、ビールを飲む。ガブガブやるとはいっても、食べ物をビールで流し込むなんて真似はしない。輪切りになった六つのいかめしを食べ終えると、まだまだ腹には空きがある。ビールもなくなった。
さてここで三杯目、といきたいところだが、止めておく。腹八分目におさえることこそ、美味く食べるコツだ。「いかめし」は六つくらいがちょうどいい。七つは多い。五つではチト物足りない。六つという偶数であるからこそ、一杯のビールと調和するのだ。
いい気持ちになって店を出ると、夜空には星が瞬いていた。いるか座もくじら座も、かに座でさえあるのに、イカ座は無い。
冬に炬燵へあたりながら焼きガニで一杯やるのもいいな、と思いつつ、私は帰途についた。