#7 ご婦人
違う種族の間の子は、どちらかの親の姿を受け継ぐが、希に先祖返りすることがある。その際に多少揉める夫婦もある。
「……とおっしゃって、隊長はびっくりしたそうですよ」
城ではルナがトモに、ナサバナ達の子供の頃の話をしていた。トモが身を乗り出してルナの話を聞いている。
「それで、お二人の決闘はどうなったのですか?まさかテツ殿は本気で闘ったりなどは……」
そこまで言いかけて、トモは一度言葉を飲み込んだ。
「……本気で闘わなければ、またナサバナ殿の誇りを傷付けてしまう」
ルナが話を続ける。
「結局、二人が決闘することはありませんでした」
とたんにトモは、ホッと安堵の表情を浮かべる。
「その日に、ナサバナさんのお父様が亡くなったと連絡があり、決闘どころではなくなりましたので」
今度はトモの表情が一気に強張る。一瞬、ナサバナの父の死を喜んでしまった様に錯覚したせいだ。
「ああ……ナサバナ殿のお父上は、早くに亡くなったのでしたね……」
さて、何しろトモとルナはたいそう気が合って、他にも様々な事を語り合い、神前闘技催は性別不問で参加できる事など、トモは自分が知らなかった事も教わった。
ルナは、ついつい本来は内緒にしておかなければならない事までトモに教えたりもした。
「姫、楽しかったです。すっかり長居をしてしまいました。」
ルナから貰った大量の土産を軽々と背負い、トモが帰り支度を済ませる。
「トモさんは、どうして城で用意した部屋には宿泊されないのですか?」
ルナの疑問はもっともだ。城にいれば、外国からの出場者は要人待遇。食事も豪華。練習場にも困らない。至れり尽くせりなのだから。
トモは苦笑いを浮かべる。
「ここにいると、闘技催で闘う方々と毎日顔を合わせる事になります。私はどうもそういうのが苦手でして……申し訳ありません」
こう言われて、ルナは少し残念そうな顔をしていた。
「そうですか……ではナサバナさんにもよろしくお伝え下さい」
「はい」
トモは、にっこり笑って部屋を出た。帰り道は、ルナが用意させた人力車に乗り、ナサバナの家へと向かう。
「今朝、変な感じで出てきてしまったし、なるべく明るく振る舞おう……」
門を出ると、人力車と入れ違いに、城に入っていく者がいた。トモと同じオオカミの女である。人力車が女の横を通る時、トモの背中にサーッと冷たい感覚が走った。
「今のご婦人、只者ではない!」
思わず身を乗り出してすれ違った女の方を見た。すると、女の方もチラリとトモを見た。
目を見てトモが感じたのは、自分とのはっきりとした格の違いであった。
「姫は、出場者の性別は不問と言った。あの方も闘技催へ……?」
トモの額に汗が滲む。
「噂に聞く実力者のキリ殿や、陽の副軍隊長オビ殿でさえ、あれほどの闘気を放っていなかった。一体どのような方なのだ?」
トモが見た出場者一覧には、それらしき名は無かったが、一つ可能性のある事を発見した。
「推薦枠?これだ!」
略歴も女性らしきものはない。唯一あるとすればまだ空白の前回優勝者の推薦枠だと思ったのだ。
「闘技催まであと十日。わずか十日で、私は、今のご婦人を超える事などできるのだろうか……」
ルナと過ごした楽しい一時は、もうトモ頭から消えていた。帰り道の間、トモの表情は強張ったままだった。
一方、ナサバナの疑問は増えるばかり。
「僕があんな事できるわけないじゃん?あっさり信じちゃって、どうなってるんだろ?」
それに、今日は悪い事ばかりが続く。トモと変な感じで別れ、盗賊団に襲われ、ランブルに無理矢理手柄を押し付けられ、勉強会にも行きそびれた。
「あーあ、印の国の医学博士キリさん。話を聞きたかったなあ。格闘家と二足のわらじを穿く異色の博士だもんね」
ナサバナは、猿の翁とは面識がなかったため、何者なのか想像もついていない。
「テツ君と、あのおじいちゃんが何かコソコソ話してたのも気になるなあ」
考えれば考えるほどイライラするばかり。
ナサバナは気分転換に風呂に入る事にした。
「ちょっと熱目に沸かそうっと」
トモと入れ違いに城へ入った女は、敷地の端にある軍の寮へ向かっていた。
襟元に大量の羽根を飾り付けた黒いマント。腰にはダイヤの装飾が施された剣。踵の高い真っ赤なブーツ。
女は、さながら、歌劇の主人公の様に颯爽と歩き、彼女が通ると、城の者、軍の者、来客の者までもが深々と頭を下げる。
寮に着くと、入口で、若い軍人に声をかけた。
「ご苦労様。テツはいるかい?」
軍人は、敬礼をして、緊張の面持ちで答える。
「はいっ!隊長は昨晩見張り担当でしたので、部屋でお休みになっています」
「そうかい。ありがとう」
礼を言うと、女はテツの部屋へ向かい歩きだした。
軍人は敬礼をしたまま微動だにせず女を見送る。
「あっ」
廊下の角を曲がる直前、女が立ち止まる。
軍人は、まだ敬礼をしたままだ。
シュッ!
タンッ!
女が振り返ると小さく音がした。
軍人は、何かが頬を掠めたような気がしたが、何なのかは分からない。分からないが、どうも頬が痒いと気が付いた。しかし、まだ動かず敬礼している。
女が少し悔しそうに呟いた。
「ちっ、間に合わなかったね」
軍人は、ずーっと敬礼したまま動こうとしない。しかし、頬はどんどん痒くなる。
女がまた話しかけた。
「頬っぺた痒いんだろ?動いていいよ。刺される前に刺し殺してやろうとしたんだけどねえ」
軍人の後ろの壁に羽根が刺さっていて、根元には、血を吸ってパンパンになった蚊が串刺しになっていた。
ガチャ。
女はテツの部屋の扉を勝手に開ける。中ではテツが高いびきで眠っていた。見ると毛布からお尻がはみ出ている。
「おあつらえ向きだねえ」
女がニヤリと笑うと真っ赤なブーツがしなる様に後方へ引き上げられた。
次の瞬間。
バシーンッ!!
「ぎゃあっ!」
ブーツは下からえぐる様にテツのお尻を打ち、その巨体が一瞬ふわりとベッドから浮いた!
突然の激痛で目覚めたテツはベッドから飛び降りて、キョロキョロと辺りを見回す。
「アッハッハ!ぎゃあだって!おっかしいねえ」
そこには涙を流して大笑いする女がいた。
「じょ……女王陛下!?」