#2 毒蛇
これは遠い遠い世界のお話。
ここでは動物達が、まるで人の様に衣服を纏い二本脚で歩いている。
さて、満月の夜に広い荒野でたった一輪咲くという「月影の雫」を探すヤマネズミ。
彼が見つけたものとは……
「お……オオカミの死体だあーっ!」
しりもちをついて叫ぶヤマネズミ。すると、オオカミがむくっと顔を上げた。
「ま……まだ、死んではおらん」
「え、生きていたんですか?」
よく見ると、土にまみれていたものの、端正な顔立ち、目は大きく鼻筋が通っている。
手足が細く長く、また、身に付けているのは高価な物ばかり。
どこぞの富豪かな? などと呑気に考えていると、オオカミが語りかけてきた。
「た……食べ物か飲み物を恵んではくれまいか?」
「あ、はい。李ならあるけど食べますか?」
「是非!」
ヤマネズミが差し出す手ごと持っていかんばかりに李を頬張るオオカミ。
一齧りすると、口いっぱいに酸味が広がり無理やり唾液が絞り出される様だ。
一つ食べ終わると頭が冴え、二つ食べ終わると力が漲り、三つ食べ終わる頃にはすっかり元気を取り戻した。
「かたじけない。そなたは命の恩人だ。何か御礼をさせて欲しい」
オオカミからの、せっかくの申し出だったが、あまりにも目まぐるしい展開に、ヤマネズミは、しばし言葉を無くしてしまう。
「どうされた?」
固まったままのヤマネズミに話し掛けながら、オオカミがすっくと立ち上がる。
すると、腰に着けた空の水筒に花が一輪刺さっていた。
「それは……月影の雫っ!!」
少しの間、二人から離れよう。
この国は、周りを荒野に囲まれているが、ちゃんとした道も繋がっている。その道を、やはり旅装束の者が歩いていた。
トラである。
鋭い目は真っ直ぐ前を見ている。大股だが姿勢は些もぶれない。頬に傷があり胸にはキラリとペンダントが光っている。
しばらく規則正しく歩いていたが、道が広くなった所で急に立ち止まった。
「先ほどから大勢でつけてきているが、何の御用かな?」
トラが振り返ると、ぞろぞろイタチの盗賊が現れ、首領が口を開く。
「足音なんざ消していたのに、トラってのは感がいいねえ」
「お褒めいただき光栄だが、それで何の御用かな?」
「ずいぶんと勇ましいが多勢に無勢ってやつだ。金目の物を全部置いていきな」
「断ると言ったら?」
トラがそう言った瞬間、盗賊が一斉に襲いかかった!だが、拳も蹴りも刃物でさえも、トラに傷一つ付けることができず、次々吹っ飛ばされていく。
「なんて奴だ!お前達、大丈夫か!?」
「いや、平気だ」
「派手に飛ばされた割には何ともねえ」
盗賊達は立ち上がり、再び臨戦態勢に入る。しかし、トラは闘う構えなどせずに、こう言い放った。
「勝負はついた。動ける者は動けぬ者を運べ。吾輩一人で全員を牢に運ぶのは至難であるから、今夜は見逃してやる」
首領は呆気にとられている。
「寝言は寝てから言え。皆立ち上がり動いているではないか。なあ、お前達?」
首領が手下達へ語りかけると、どうも手下達の様子がおかしい。
「親……分……か……体が……」
「なっ!どうした、お前達!?おいっ、旅のトラ!貴様いったい何をしたんだ!?」
「心配するな。明日には動ける」
そう言い残すと、トラは、そのまま立ち去っていく。
「待て!このままで済ますか!!」
「お……や……ぶ……」
「くそっ!動ける者は動けぬ者を運べ!」
トラがイタチの盗賊を一蹴した頃、ヤマネズミはオオカミに事の成り行きを話していた。オオカミは月影の雫の事を知らなかったのだ。
「この花が月影の雫という花なのですか?」
「はい。どうか僕に譲ってください」
「もちろんお譲りいたします。命を助けてもらった礼には不釣り合いな位だ」
「ありがとう!ああ、しかし早く水をやらねば萎れてしまう……」
「む、それなら私に任せてくだされ。先ほど頂いた李で力が漲っておる。そなたを担いで家まで走ってしんぜよう」
「えっ?いやいや、僕も脚には自信が……ちょっと……ちょっとちょっと!」
オオカミはヤマネズミを、ひょいと担ぐと風の様に走り始めた。
「うわっ!なんて速さだ。僕を担いで尚、僕より速く走るとは……」
思わず呟くヤマネズミだが、風を切る音でオオカミの耳には届かない。逆にオオカミの通る声が辺りに響く。
「そなた、お名前は何と申します?」
「僕は『ナサバナ』です」
「えっ?鯖?」
「ナ、サ、バ、ナ!」
「ほう、ナサバナ殿ですね?良いお名前だ」
「あなたの名前は!?」
「えっ?生?」
「お、名、ま、え、は!?」
「ああ、私の名は……」
一方、城の塔の見張り台では見張り当番の者達が暇そうにしていた。軍の副隊長のクマが、緊張感もなくイノシンに近付く。
「隊長、今年の対戦相手の名簿を持ってきたっすよ」
「こらっ!オビ!見張り中に何を不真面目な事を言っとるか!」
副隊長のクマは『オビ』という名である。
「じゃ、見ないんすね?」
「……見るわい」
「ふふふ。はい、どうぞ。もうすぐっすね。国一番の強者を決める神前闘技催。武器こそ使わないっすが、昔は命を落とす者もいたっていう真剣勝負の場。そこで二年続けて優勝してるんすから、隊長はさすがっす!」
「ふ、おべんちゃらを」
「いやいや、今年も優勝は陽の国の軍隊長、地鳴りのテツで決まりっすよ」
イノシシは『テツ』という名であった。
「他人事の様に言いおって……今年は印の国のトラ、『キリ』殿が参加するそうだ。たいそう不思議な技を使うと噂で聞く」
「へえ?隊長の技より不思議な技っすか?それに他国の方が参加するんすねえ」
「オビ、お主まだ名簿を見とらんのか?お主も参加するのだぞ?」
「オイラは相手が誰でも良いっす。隊長と当たるまで負けるわけないし」
「体も大きいが気も大きい奴だ。頼もしいが、くれぐれも油断はするなよ」
「それはそうと隊長。前回優勝者の推薦枠が空いてるっすが、決めてないんすか?」
「こらっ!話を逸らすな。推薦枠か?もう決まっとる。だが実績の無い者なので、今実績を作りに行っとる」
「へえ。いったい誰を?」
「ナサバナ。ヤマネズミのナサバナだ」
「ナ……ナサバナ様!?」
「うむ」
「……って誰でしたっけ?」
「……怒るぞ」
テツが実績と例えた月影の雫は、風の速さを越えて音の速さに到達したと思えるほどのオオカミの走りで運ばれている最中である。
「私の名は……」
言いかけてオオカミはザザーッと音を立て、無理矢理止まった。
「うわっと!」
ナサバナが振り落とされそうになりながら、必死にオオカミの肩にしがみつく。
「ど、どうしたの?」
「すまぬ、ナサバナ殿。小さな毒蛇を踏みかけた」
オオカミは、足元の蛇の首根っこを掴み、ナサバナの顔に近付ける。
「ぎゃっ!危ない!早く遠くへ放ってください!」
「放る?もったいない。こうして血抜きをした後、塩焼きにすると旨いのですぞ?」
オオカミが蛇の首に軽く手刀を当てると、蛇の頭が、ぽーんと飛んでいき血が滴り落ちた。
「ぎゃあっ!!」
「ナサバナ殿、男がこれしきの事で情けない声を……ああ、まだ名乗っておりませんでしたな。私は、神前闘技催に出るために北斗の国より参りました
『トモ』と申します」