4. 好奇心は猫をも殺す
「セラ、お前もう今日は帰れ」
本日五度目の出動――治癒のため呼び出された――から戻ってきた私は、休憩室のソファに腰かけていた。そんな殊勝な私に投げかけられたのは、労いやエールではなく、切り捨ての言葉。
「へっ?なんで?」
顔に乗せていた蒸しタオルを慌ててとり、その非情な声の主――レイを見上げた。
渋い顔をしているレイは、どかりと乱暴に私の隣へ腰かける。レイはなんだか昨夜から機嫌が悪い。昨夜の戴剣式の帰り道、この従兄弟殿は二人きりになった瞬間、急に私の頭を叩きやがったのである。理由を尋ねても無言。理由が分からなければ、怒るに怒れないし、謝るに謝れないではないか。いや、反射的に文句は言ったけどね。世話焼きの彼が理由もなく、こんな不機嫌さを引き摺るとも思えないのだが……。
「昨日魔力を使い切っといて、回復しきってないくせに今日はもう五回も使ってんだろ?もう帰って休め」
「五回とも治癒が必要だったわけじゃなかったよ。使ったのたったの一回。まだ魔力残ってるから大丈夫」
実のところ魔力の消費というより、出動に走り回ったせいで疲れたのである。
しかし心配性だなぁ。叔父さん叔母さんから面倒見るよう言われてるんだろうけど、職場での身内の気遣いは居心地悪いから放っておいて欲しいものである。……薄情な妹分ですみませんね。
「普段よりセラが呼ばれる頻度多いだろ。昨日あんなことがあって、お前目立っちまったから、大したことない状態でも呼びつけて来てるんじゃねーの?」
「うーん、どうだろ」
確かに呼ばれる頻度はいつもより多い気はするが、このくらいの日もあるにはあった。判断しかねる。
しかしながらぶっちゃけると、戴剣式のことで自分がもっと噂になっているのではないかと、今朝までびくびくしていたのだ。幸運なことに、戴剣式の事件における話題の目玉は、『ワインに毒を入れたのは、美貌の令嬢!? 事件後行方を晦ました令嬢は一体何処へ!?』 というものになっていた。事件の真相はともかくとして、スケープゴートとなってくれたご令嬢に感謝……というのはさすがに不謹慎か。
「とにかく、今日は帰れ。もう所長にも了承とったから」
「えっ何それ! 所長に了承とったって……なんで私のことなのにレイがするの? ここは職場なんだから、保護者面してお節介焼くのやめてよ。恥ずかしいじゃない!」
私は恥ずかしいやら情けないやら許せないやらの複雑な気持ちで、レイに詰め寄った。対してレイは変わらず不機嫌な表情で、私の言葉に揺るぎもしない。
「はい、ストップ。職場で痴話喧嘩しないで」
颯爽とその場に降臨したのは、王宮魔術部の所長である。簡単にいうと私たちの直属の上司だ。
女性にして部下をまとめ上げるクールビューティーであるが、年齢不詳。見た目は20代後半と若々しいが、彼女の実年齢を知ったものは王宮において無事では済まされないとか。
「所長。……すみません。あの」
「セラ・エンディライト。今日に限っては、貴方の兄貴分の意見を聞き入れなさい。私からも今すぐの帰宅休養を命ずるわ」
レイのお節介を撤回しようと私は所長に言及しようとしたにも拘わらず、一刀両断。
所長には逆らえないか弱き部下である私は、しぶしぶ帰り支度を始めた。
「これで、貸し一にしとくわよ」
ニヤリと所長がレイに笑いかけ、レイはひくりと引き攣った。ざまあみろと心中で私は毒気づいたのであった。
4. 好奇心は猫をも殺す
「寮に帰ってもなぁ。暇だなぁ」
普段の私ならば、舞い込んだ休養にテンションだだ上がり。皆が働いているときに貪る惰眠はサイコ―と、思う存分満喫していただろう。しかし、今の私にとって、暇な時間を与えられるというのは苦行だ。原因は自分でもはっきりわかっている。クローゼム様のことだ。
仕事をしていれば余計なことを考えずにすむが、何もしていないと無意識に考えてしまう。ぐるぐると頭の中を回るのは、クローゼム様のあの懇願するような目。おかげで昨日の夜は殆ど眠れなかった。
「大丈夫かなぁ。また変な気起こそうとしてないといいけど」
もしかして、あの時……クローゼム様と二人で居た時、彼は私に何か相談したいことがあったんじゃないだろうか。そう考えると、人を呼ばせようとしなかったり、懇願するようなあの表情にも納得がいく。
こんなヒヨッコの私に相談役が務まるかと考えれば、全くもって良いアドバイスなど出来ない自信があるほどだが、クローゼム様と殆ど関係のない私だからこそ聞き役に適任だったのかもしれない。
すごーく気になってきた。
……なんとか会えないだろうか?
◆
気づけば、私は寮への帰路に背をむけていた。辿り着いたのは、王宮の本館の隣に立地する第一分館である。
宰相補佐であるクローゼム様は本館でお仕事中の可能性が高い。しかし、さすがにアポイントメント無しで本館へ乗り込む度胸はない私は、一か八かと第一分館へと乗り込んだ。
「あの、コニカさんはいらっしゃいますか?わたくし王宮魔術部のセラ・エンディライトと申します」
「――セラちゃん!? あらあらどうしたのー? 昨日は大変だったみたいだけど大丈夫? ここにいるのは、おつかいかしら?」
なるべく若そうな輩を選び捕まえて尋ねていたところに、ちょうど目当ての人が現れ私は安堵した。
「コニカさん! お久しぶりです。あの、魔術部からの遣いではなくて……お仕事中にすみません。もし可能なら数分だけよろしいですか?」
「なになに~?今休憩入ってたとこだから大丈夫よー」
色っぽいしゃべり方に色気満天のプロポーションをしている彼女は、王宮総務部の紅一点のコニカさんである。私が王宮に勤めてまもなく、女子会と称し他の王宮勤めの女性方らと一緒にあちらこちらへ連れ出されたのは思い出したくない――いや、いい思い出である。
「すみません、ありがとうございます。実はですね――」
二人きりになれる場所に移動し、私はコニカさんに昨日のあらましを掻い摘んで話した。戴剣式で誤ってワインを飲んでしまったクローゼム様の治癒を偶然行うに至ったこと。その後も体に支障が生じていないか確認したいのだが、どうすれば会えるのか分からず困っている、といった大雑把な説明だ。コニカさん、興味津々に聞いて下さるのはありがたいが、身を乗り出し彼女の距離がだんだん近づいてもくるものだから少し喋り辛かった。
「なーるほどね! ふーん、ふふふ。セラちゃんも隅におけないわねえ! 心配を口実にして機会を逃さない……。やるじゃない!しかもお相手はあの、フィオ・グローゼム様ときてるんだから!ふふふふ」
コニカさん、口元に手をお上品に当てて笑っているが、目元には下世話さが露わになっていますよ。彼女の性格上、こういう反応は覚悟の上で話したのだが、私の顔に熱が集中していくのが分かった。
「なんとでも言って下さい。でも私は本当に下心なく心配で……」
いや、純粋に心配というより、"気になる”という好奇心がないこともない……。これは下心と言われても否定できないかも。
「いいからいいから!それでこの私の処に来たってわけね~。いきなり本館へ突撃するより賢いじゃない?気に入ったわ!ふふふ、こっそり教えてあげる。――クローゼム様なら今は本館で執務に追われてるでしょうけど、あと30分後には第二訓練場に行く予定が組まれてるわ。運がよければ話せるかもね」
ウィンク付きで、求めていた以上の情報を教えてくれたコニカさんに、私は恥ずかしさと後ろめたさも忘れて驚いた。
「ほ、本当ですか」
「王宮の組織の総務を司るアタシが、上の動向を把握してないわけないでしょ~」
「ありがとうございます。あ、今度アンシェリーのマカロン持ってきますね!」
「嬉しいけど、それよりも後日談を教えてくれるほうが楽しめそうね~」
コニカさんの目が光った気がしたが、私は笑って誤魔化した。
「あの、私コニカさんから聞いたということは無かったことにしますね、えーと、第二訓練場で怪我人が出たっていう情報が入ったんで本当か確かめてきます。それじゃあ、コニカさんまた」
大きく頭を下げてお礼を言ってから、私は第二訓練場へと向かった。
「相変わらずの気ぃ遣いねぇ」と、コニカさんが苦笑していたことには気づかなかった。
◆
第二訓練場へ着くのは15分もかからなかった。呼ばれてもいないのに訓練場の中まで入り込むのはよろしくないと考えた私は、門の手前に広がる芝生に座り込み、一本の樹木の幹に寄りかかった。訓練所自体は高壁に覆われていないので、ここからでも十分に訓練所内の様子が見て取れる。
「まだ来てなさそう」
教えてもらった予定時刻まで、あと15分はあり、ここで待っていようと決めた私は、訓練場を眺めて暇をつぶすことにした。
結論から言うと、予定時刻にお偉いさんたちはやってきた。しかし、肝心のクローゼム様はいない。
私が第二訓練場に入っていく集団をこっそりと観察したところ、筆頭にいたのは第三皇子だ。
なるほど、第三皇子は騎士に交じって実践的な剣技を磨くため邁進しているようだ。
それでこの前、第三皇子が怪我をして私が呼ばれたのか。皇子が訓練場にいるなんて珍しいことだと思ったのだが、彼は頻繁に通っているのかもしれない。頑張り屋さんなことだ。
彼らの中にクローゼム様は居なかったから、もう来る可能性も低いだろうなと思いつつ、少し考えて、まだ待ってみることにした。幸い、今日の気候は心地好い。
……そう、今日は寒くもなく、暑すぎでもなく。加えて私は寝不足だった。うららかな陽気に誘われ思いのほか心地好い芝生の上で、暇をもてあました私は、知らぬ間に寝てしまったのだった。
まどろみから浮上したのは、迂闊にも眠ってしまってから30分ほど経った頃だった。
眠っている間に体温が下がったのか、まだ完全な覚醒一歩手前だった私は無意識に温もりを求めた。やけに枕としてしっくりくる、右隣にある少し硬いが暖かい物体。暖かさ恋しさに、私は更に顔を押し付けた――そして、そこで漸く思考がはたらき始める。
(あれー? ……こんな枕代わりのもの、あったっけ?)
微睡みから急速に脱した私は、ばっとその枕から身を離した。
「なんだ、もう起きたのか」
その枕は落ち着いた声色でしゃべりかけてきた。
「く、クローゼムさま?」
私のまぬけな寝起きに対して、枕もといクローゼム様は、「おはよう」と優美に微笑んだ。……目を背けたい事実であるが、私は宰相補佐さまに肩枕をしてもらっていたらしい。どうしよう、なんて不敬な!
「すみませんっ。私、クローゼム様を知らぬ間に枕がわりに……。ええと、クローゼム様はどうしてここに?」
そうだ。どうしてこうなった。確かに丁度あなたに会いたくて探していたけども!
「丁度君に会いたいと思ってたんだ」
「えっ」
びっくりした。私の心の中を読まれたのかと。挙動不審になりかけている私に構わず、彼は言葉を続けた。
「仕事の合間を縫って、さっき君の仕事場を訪ねたんだが、"今は居ない”ということだった。諦めて戻ろうとした所に君が道端で寝てるもんだから、また幻かと思ったよ。近寄ってみるとあんまり気持ちよさそうに寝てたから起こせなくてね」
幻……すみません、王宮内の敷地で居眠りなんて、淑女としてあるまじき目を疑う醜態ですよね。むしろ叩き起こしていただきたかった……!
「御足労いただいたのにすみません。私、昼前に上司から今日は帰るように言われてしまって。魔量が完全じゃないからという理由で……私は納得いかなかったんですけど。あ、私情をつらつらと、すみません」
「昼前に……? ふうん……」
「クローゼム様?」
「いや、なんでもない。体の方は大丈夫なのか?魔量が不完全なのは俺のせいなんだろう、すまない」
「いえいえ、帰宅要請がでたのは大げさなんですよ!いつもは容赦無用で働かせるくせに」
私がこぶしを握り締めると、クローゼム様が微かに声をあげて笑った。ふーん、なんだ。そんな穏やかな顔もできるんじゃないか。今はすっかり負のオーラが消えている。私の心配は杞憂か?
「それで命令通り帰宅せずに、こんなところで不貞寝を?」
「ちがっ……」
あっでも本当の理由を話せば、不当に情報を得てクローゼム様を探しにきたことがばれてしまう?
「――いや、そうです、かな?」
今度こそ彼は声をあげて笑った。いや、笑われたという方が正しい。私は唇を噛んで恥ずかしさを堪えた。
「実は、君に会いたかったのは、お礼もあるけどそれだけじゃなくて。……君に聞いて欲しいことがあるんだ。構わないか」
笑い終えたと思うと、彼は急に真剣な顔をしてそう言った。
聞いて欲しいこと? やはり、私の予想は的中していて、彼は私に相談したかったのだと考えていいのかな。
「……私でよろしければ」
人生経験および社会人経験もまだまだ乏しい不束者ですが。あ、でも聞き役なら得意ですし、口も堅いです。
「ありがとう、セラ・エンディライト」
いえいえ。あんまり、いいアドバイスとかは期待しないでくださいね。