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3. 溺れる者は藁をも掴む

 クローゼム様に治癒を施した後、すぐさま彼は安全な一室へと運び込まれた。私はというと、「礼には及びません、それじゃあ後はよろしく!」と颯爽と去って……という訳には、当たり前というかなんというかいかず。しかし、もうかれこれ三時間もクローゼム様のそばを離れられない状況に溜息をつきながら、一刻前とは打って変わって安らかな顔で眠りについている彼を横目で見た。

 彼の治癒がうまくいったことは、治癒中の解析から分かっていたし、すでに魔力の尽きている私には、万が一のことがあったとしても出来ることはほとんどないといっていい。しかし、窮地きゅうちを救った王宮魔術師として振る舞いきった私は、クローゼム様が目を覚ますまで彼に付いていろと有り難くも王より任務を直々(じきじき)に与えられてしまい、長いものには巻かれるを甘受している私は、二つ返事で了承するしかなかった。


 3. 溺れる者は藁をも掴む


 クローゼム様の体を揺すぶって、無理やり起こすことも考えた不敬な私であるが、それを実行せずに三時間も耐久しているのには理由があった。

 なんというか、気まずいのだ。今更ではあるが、私が彼に施した治癒の方法。単なるマウストゥマウスであると自分に言い聞かせてはいるし、あの時の判断は正しかったと思う。

 しかし私はまだうら若き乙女の身なのである。それくらいの恥じらいが生じても仕方ないだろう。……あぁ自分で弁護しといてなんか余計に居た堪れなくなってきた。

 うーん、でも、不幸中の幸いというか、クローゼム様が倒れワイン毒事件が発覚した直後、会場は阿鼻叫喚あびきょうかんの混乱を極め、近くのお偉方は犯人特定のためそれぞれの役割に従事し始めていた。上の対処能力さすがである。よって、治癒の様子をじっと傍で見守っていたのは第三皇子や護衛騎士とせいぜい2、3名位だろう。当たり前だが誰からも私の治癒行為が弾劾だんがいされるような気配はなかった。ドアを隔てて護衛が置かれているとはいえ、二人きりでクローゼム様の看護に従事させられているのだから、私は信用ある者として捉えられていることは間違いない。


 ベッドに肩肘を置き頬杖をつきながら、つらつらとそんなことを考えている時だった。クローゼム様のまぶたわずかに震えていることに気付いた私は、慌てて頬杖をやめ、背筋を伸ばす。

 彼の瞼はそのままゆっくりと動き、開眼された。


「あの、クローゼム様。ご気分は?」

 私の声に、クローゼム様は横になったまま、顔だけを私のたたずむ右方へと向けた。彼の濃緑の瞳が私を捉えたが、彼は何も発しようとしない。

 まだ意識が覚醒し切らないのかと考えた私は、なるべくいたわる声色をもって彼に話しかけた。

「クローゼム様、お辛いところはありませんか」

 対して彼は何故か目をみはり、口を僅かに開けて固まってしまった。


 そんな彼に、状況の一部始終を伝えるべきか否かと私は思考を巡らせる。私の考えが間違っていなければ、彼は毒入りワインを自らの意思で飲んだのだ。そんな行動をした彼に対して今必要なのは、無闇に刺激を与えず休息と安全を確保することではなかろうか。

 うん、そうだろう。と、取りえずの結論を出した私は、水を汲んでこようとベッドサイドの椅子から立ち上がろうとした。

 ところが思いがけず、彼によって左手首を掴まれ、私が立ち上がることは中断された。

 咄嗟とっさのことに掴まれた手に視線を落としていると、かすれた声がした。

「良かった……。もう大丈夫か」

 私はクローゼム様の顔へと視線を移動させた。


 えーと、自ら毒をくらっといて、その発言はどういうことだろう。自殺企図とかじゃなくて、単に私の"毒入ってます警告"に身を呈して反発したとか?いやいや、そんな馬鹿っている?


 不審感を隠すことも忘れて怪訝な表情で彼を見つめているところに、彼は至極しごく真面目な顔付きで更に頓珍漢とんちんかんな発言をした。

「君は……天使か?」

「あ、やばい。私の治癒失敗だったかも」


 涙が出そうだ。このやんごとなき身分かつ王宮の頭脳が、身体に支障は無かったがアタマは毒でやられちゃってました――なんてことになれば、私は間違いなく王宮魔術師の名を剥奪。最悪、国外追放なんてことになりかねない。利己的な考えに身を委ねた私は、血の気がひいた。

「しっかりしてください!寝ぼけてらっしゃるだけですよね!?」

 自慢じゃないが、私は髪も目も、光を通さぬ真っ黒だ。天の使いとは程遠い。


「だって、俺は死んだんだろう?」

 そう小さな声で苦笑された。儚い、笑み。

 私はすっと落ち着きを取り戻した。


 よくよく観察すると、彼の視線は私のものと交わっているようで、まだ覚束おぼつかずピントを合わせられていない。つまり、やはり彼はまだ意識が覚醒しきっておらず、簡単に言うと寝ぼけているようだ。そして、発言を統括して考えるに、自ら死を選ぼうとしたと判断してよさそうだ。


「クローゼム様」

「ん?」

「……残念ながら私は天使でも死神でもなく、魔術師です。そして、ここは天国でも地獄でもない、現世うつしよです。 天使との逢瀬おうせは、この魔術師が妨害しました。私をどうぞ憎むなりなんなりしてくださいませ」

 こんな言い方いけないと思いつつ口が止まらなかった。でも、あの時、助けたいと思ったのだ。そして、今も。私を憎むことで負の感情の矛先を彼自身かららせるならと考えるのは、浅はかなことだと分かっている。本当に勝手であるが、いつも自分が治癒に携わった対象は生きていて欲しいと執着してしまう。それは間違いなく、ただただ傲慢だ。


「魔術師……?」

 私を掴んだ手は離さずに、もう一方の手で彼は自身の顔を覆った。

 その様子に私が身を固くして見守ったのも一瞬のことで、彼は顔から手を離すと私を見上げた。その目はしっかり焦点が合っており、先ほどまでの微睡まどろみはすっかり消えていた。

 覚醒しきった様子にあっと思ったと同時、がばりとクローゼム様は上半身を起こした。


「……すまない。思いがけない事態に混乱している」

「え、いえ。当然です。目が覚めたばかりですし」

 むしろ、急に一気に意識をはっきりさせたものだから私もびっくりである。

「そうではなくて――」

 言葉の続きをまったが、彼は私を見つめたまま一旦口を閉じてから言葉を繋いだ。

「いや、ええと。……俺は毒入りワインを飲んで死にかけたが、君が助けてくれた。それで間違いないか?」

「はい。……私の制止が間に合わず(・・・・・)、クローゼム様がワインを口にしてしまったため、勝手ながら治癒を施させて頂きました」


 私は視線を逸らし軽く頭を下げた。お偉いさんの自殺企図なんて、とんでもないスキャンダルだ。助かった今、無かったことにして、まあるく納めたいという私の切なる想いよ、届きたまえ。


「君は、気遣いが過ぎるな」

 怒りは含んでおらず優しい声色であったが、握りしめた手に冷汗が滲む。私はおそるおそる顔を上げた。するとにっこりと優しく微笑まれてどきりとした。この状況で笑うって、一体どういう思いでいるのだろう。

 実はやけを起こしてて、再び自害する気はなかろうかと、じっと彼の顔を観察してみる。


「そうだな、そういう事にしてもらおうか。君の制止は間に合わなかった(・・・・・・・・)が、助かったよ礼を言う。それと今はもう変な気(・・・)を起こそうと思わないから安心してくれ」

 さすができる男と評判なだけある。私の浅はかな思考など筒抜けのようだ。


 にっこりと微笑んでいる彼。そう言えば彼が目を覚ましてから、負のオーラを感じない。取り敢えず色んな意味で安心してよさそうだ。


「ええと、では、クローゼム様。目を覚まされたということで人を呼んで参ります」

 そう告げ、未だしっかりと私の手首を掴んでいる彼の手に視線を落とした。暗に、そろそろ離せという意味だ。

 ところが手を離すどころか、あっけらかんと彼はのたまった。

「呼ばなくていい」

 予想外の言葉に瞬いた。

「言っただろう。俺は今、思いがけない事態に混乱しているんた。離れないでくれ」

 すぐに戻ってくるからと言及しようと思ったが、熱を帯びたような真剣な眼差しに気付いて私は何も言えなくなってしまった。


「では水を持ってきます。後ろに置いてありますから」

 病床に伴う心細さは分かるため、もうしばらく落ち着くまで部屋に居ようじゃないかと思い直す。しかし、水分はすぐにとった方がいいだろうと気が付いた私は、後ろの机に置いてある水瓶に視線をやった。

「いや、いい」

「水分とった方が良いですよ。声もまだ掠れてるじゃないですか。えと、ちょっと手を離して頂けますか?」

 そう言いながら、つい手を引っ張るという最終手段を使ってしまった私だったが、より一層掴む力を強められてしまった。なんだか子供を相手にしてる気になってきて笑みが引きる。


「離したら、君が居なくなってしまいそうだ」

「え!居なくなりませんよ。私は転移術とか使えなくて、治癒だけが取り柄なんです」

 真面目な顔して言ってくるものだから、動揺してこちらも変に真面目に返してしまった。私は眉間に皺を寄せることで恥ずかしさを誤魔化した。


「そうか、分かった。君の名前は?」

 分かったといいつつ、手を離す気ないじゃないか。私が諦めつつ、自分の名前を告げようとした時、規則正しいノックの音がした。こちらの応答は待たれずに扉が開く。


「目が覚めていたのか……!容態は?」


 そう言いながら室内へ入って来たのは第三皇子である。そして後からもう一人、皇子に続いて入って来たのはなんとレイであった。長いこと見知らぬ場所でお偉方の側にいる必要があった私は、よく見知った従兄弟が現れたことにとても安堵した――が、それは一瞬のことで、何やら我が従兄弟殿の表情が硬いことに気付き、手放しで喜ぶことが出来なくなってしまった。もしかして、私が大事おおごと起こして、怒ってる?


 皇子の訪室の手前、慌てて立ち上がろうとしたが、掴まれた左手が邪魔をしており立ち上がることがままならず狼狽すると、それに気付いて眉を上げた皇子はなにやら難しい顔をしながら、立ち上がらなくていいと制してくれた。


「気分はどうだ?フィオ・クローゼム」


 中々クローゼム様が答えないので、私は彼の横顔をちらりと見た。そして彼の表情に気付き、さっと血の気がひいた。


「問題ありません。迷惑をおかけしました。明日には通常通りに従事できます」

 礼儀正しい返答。そして無表情でいて冷静な顔。その反面、抑圧された負の感情がくすぶっているかの様。彼は、戴剣式中に見た表情へと戻ってしまっていた。痛々しくて、私は顔をひそめそうになる。


「セラ・エンディライトもご苦労であった。もう時間も遅い。明日の仕事に支障ないようよく休め。迎えも来ている」

 皇子はそう言ってレイを示した。私は了承する。


「クローゼム様、何かお体に不調がございましたらなんなりと託けください。申し遅れました、私はセラ・エンディライトと申します。ではこれにて、失礼致します。」

 頭を下げた後立ち上がる。しかしやはり手首を掴む力は弱まることなく、それどころか痛い程だ。

 内心冷汗をかきながら掴まれた手を引いてみると、それがあっさりと解かれたため私は拍子抜けした。


「セラ・エンディライト、このお礼はまた」

 そう告げ、私を見遣るクローゼム様の目が、何かを懇願しているかのように感じたのは気のせいだろうか。

 その場を離れることを一瞬躊躇(ちゅうちょ)したものの、退室をレイに促された。結局、促しを拒否してまで留まる理由は見当たらず、私は後ろ髪を引かれる思いで帰路についた。

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